先日の「やらせ騒動」なんて、いまさら大騒ぎするような話ではありません。何年も前からそうした業者は存在していましたし、最近では開業直後にも関わらず高得点がつくなど、不自然なスコアを目にすることも増えました。そこで運営するカカクコムが念入りに調査をし、「やらせ」39社を一気に告発したというわけです。発表が忘年会シーズンを過ぎてからになったのは、調査が難航したからなのでしょう。
さて話は変わりますが、先日とある飲食店で、いつもレビュアーランキングで上位にいらっしゃるカリスマ食べロガーさんというかレビュアーさんと、カウンターで横並びになりました。ミラーレス一眼レフカメラで写真を撮りまくるので「もしや?」と思い、あとでレビューをチェックすると「●月×日に訪問」との記述が。数十枚アップされた画像の角度からも間違いありません。ほどよく着古したチェックのシャツを着こなし、リュックを床に置いて、しきりに店主に話しかけていたあの方のようです。
確信できていれば、「いつも大変参考にさせて頂いております」とお声をかけたかもしれませんが、万が一人違いでしたら大変です。そこでこっそり後学のため、耳に飛び込んでくるお言葉に耳を傾け、視界の片隅に入る立ち居振る舞いから、勉強させていただくことにしました。
1.空気を読まない
初対面でもまるで長年の友達のように振る舞うスーパーなフレンドリーさがカリスマにはあります。注文が立て込んでいて、余裕ゼロの店主が「そうですか」と生返事をしても気にしません。忙しそうにしていても、ひたすら会話を振り続ける胆力は、ぼくのような小心者には決してマネすることはできません。あえて空気を読まない。それもまたカリスマレビュアーに必要な素養のようです。
2.店と客の垣根を飛び越える
カリスマは写真の撮り方も小市民とは一線を画します。まず店主に「写真を撮ってもいいですか?」と一声かけます。カリスマたるもの礼節を欠かしません。そして店内をぐるりと、あらゆる角度から写真におさめていきます。カウンターにいながら店内すべてを掌握するかのような振る舞いは、天上界の方のようにすら映ります。当然、料理の写真も押さえますが、他のバリエーションも多彩です。
3.お店の気持ちを想像して代弁する
カリスマと同席したお店はメニューの特性上、少し提供に時間がかかるタイプのお店でした。あとで拝見したレビューは「時間がかかるのは許して!」というタイトルでアップされておりました。さすがカリスマ。お店の気持ちも代弁されます。これは相当、真剣にお店のことを考えているに違いありません。
ところが、つい最近他の飲食店の店主と飲んでいて、不思議な話を聞きました。このところ食べログの有名レビュアーさんの何人かが飲食店からあまりよく思われていないというのです。そんなバカな! きっと低評価をつけられた店主の逆恨みか、高評価をつけてもらったのに恩もわからないケツの穴の小さい店主なのでしょう。あれほど素晴らしい食べログのレビュアーさんがどんな誤解を受けているというのでしょうか。
例えば「料理も作れないのに、やたらと技術的な話や素材の話をしたがる」という話などは、客が料理を作れる必要はありません。「『俺がレビューを書いたから、あそこの店は繁盛し始めた』と自慢する」のはきっと事実なのです。自慢めいて聞こえるのは自分の腕を過信しているか、レビュアーさんのカリスマ性をひがんでいるのでしょう。
食べログのレビュアーさんはとても親切です。例えば「2回目の来訪。またもお店にアドバイスをさせて頂きました。真摯に受け止めて頂き、さらなる向上が期待できます。期待しているから厳しいことを言うのです」という書き込みなどには、初訪問時から店に助言をするという、神か仏とも言うべきやさしさがにじんでいます。にも関わらず最近「食べログ掲載お断り」などというお店も出現し始めました。食べログというソーシャルメディアが受発信する情報はお客様≒神様の集合知。そこに間違いなどあるはずはありません。そう申し上げたのですが、酔いが回ってきたこの店主も譲る様子など毛頭なさそうです。
「食べログのレビュアーさんに多いのは、評論家のように店に対して上からモノを言いたい人。グルメ本ブームのときも知ったかぶったお客さんが増えて閉口しましたが、タダで情報が手に入る食べログが主流になったことで、最低限のマナーすら知らないお客が増えました。
えっ。神様がワガママなわけがないじゃないですか。と思ったら、『イエスはなぜわがままなのか』という本があるんですね……。ちょっと読みに行ってきます。
(松浦達也)