住宅地に普通の一軒家。看板、「さわ洞窟ハウス」と書いてある。

今年73歳の洞窟研究家の沢勲さんは、自宅を洞窟の博物館として開放しているのだ。
一階を洞窟内に見立て、階段で溶岩が流れる仕組みを再現。床下にはミニ洞窟。「洞窟情報サロン」もある。

一軒家の2畳間を「大学」にしている人もいる。大阪市中央区、2畳間を「2畳大学」として開いているのは梅山さん。授業を作るのはすべて生徒。「カレー学科」「写真学科」などさまざまな学科をつくって、学ぶ側/教える側が交換可能な場として運営している。

家をちょっと開いて、コミュニティを作る活動を「住み開き」と名づけ、全31ヵ所の「住み開き」事例を紹介する本が出た。アサダワタル『住み開き 家からはじめるコミュニティ』

もう少し、この本から「住み開き」の例を紹介しよう。

「渋家」(しぶハウス)
「共同生活から生まれる出来事を「作品」に転化させる」「小説として集団で家を借りる」というコンセプトの「渋家」は、最初は5人の共同生活からはじまった。
じょじょにメンバーが増え、連日パフォーマンスイベントや展覧会を開催している。

「少女まんが館」
パソコン通信で、少女漫画好きが集まり、思う存分少女漫画が読める場所をつくろうということからはじまって、6畳一間を漫画閲覧室として公開。その後いろいろあって、2009年には、あきる野市網代に移転。四万冊の蔵書があって、定期的に部屋を開いている。

sonihouse
スピーカー制作会社に勤めていて、スピーカーを一番いい環境で鳴らす場をつくりたいと考えた奈良市の鶴林さん。生活空間から音の実験をしていくことを決意し、自宅で、音楽家を招いてスピーカーを使って演奏してもらう企画をスタート。音楽と食を織り交ぜたアットホームなイベント「家宴」を展開している。

他にも、自宅で水族館をしている例や、団地の自宅を毎年開放したアート展、ママ&プレママのサロンとして開放した自宅マンション、元カラオケスナックを改装したシェア型住み開きなどなど。
さまざまな事例は、バラエティ豊か。いろいろな動機でスタートして、いろいろな形態になっている。
共通しているのは、「住む場所」をちょっと開いて交流の場をつくっていることだ。

むかしのシェアハウスというと、家賃の節約のイメージがあるけれど、ここで紹介されているものは、そういったお金の節約のイメージはほとんどない。

“だからあんまり言葉にしないギリギリのラインだからこそ、いろんなことがモヤモヤと許されている”といったようなゆるやかなルールでつながるコミュニティ。

ていねいに紹介された31の「住み開き」を読んでいると、自分だったらどういうふうに住み開くといいだろうとついつい考えはじめている。
“2011年3月11日。その日、東京都内にて予想以上に多くの人たちが自宅を開放した。東日本大震災発生後、大量に生まれた帰宅難民を受け入れるための瞬時の行動だった”
あの日、さまざまなことが大きく変化した。
著者のアサダワタルは「はじめに」でこう書いている。
“「私」が少しひらくことによる、小さな「公」の場。「住み開き」は、自分の日常生活の中で区切られてしまっている様々な役割―仕事、学業、家事、趣味―といったものを再編集し、人間同士の関係性を限りなくフラットに再構築する。”(米光一成)
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