しかし、そのスカイツリーの足元には、昔ながらの暮しを続ける庶民の町がある。藤木TDC『昭和酒場を歩く 東京盛り場今昔探訪』の第11章「東京スカイツリー下の酒場街~押上、業平、曳舟界隈~」には、押上で居酒屋を経営するある男性の声が紹介されている。
「工事現場にも観光客が来てるといってもねえ、ほとんどの見物客は浅草方面に戻って食事しちゃうんだよね。今どきの工事は職人さんも外で食事したり、作業が終わっても地元で飲んだりしないしね。地元にはなかなか金は落としてくれないよ…」
スカイツリーが開業すれば、隣接する商業地域にも人が集まる。その煽りを元からの商店が受けないはずはないだろう。
しかしこうした変化は電波塔周辺だけのものではない。昭和から平成にかけて東京という都市が変貌していく中で、幾度となく繰り返されてきたことなのだ。新しく生まれ変わろうとする動きを止めることはできない。ただ、古いものが忘れ去られることがないよう、街の記憶をどこかに書き記しておくことならできるだろう。
『昭和酒場を歩く』は、そうした街の記憶の書だ。
紹介されている盛り場は、新宿「思い出横丁」や池袋「美久仁小路、人世横丁(「生」ではなくて「世」なのは、かつて隣にあった映画館・人世坐からの転用である。
各章では街の歴史について知ることができるが、もちろん飲み歩きのガイドとしても実用に足る内容だ。たとえば有楽町ガード下酒場の章では、西口「日の基」「新日の基」について詳しく記されている。ここは終戦直後の昔には「日の基引揚者一泊寮」として営業していた。行き場のない満州・挑戦からの引揚者に救いの手を差し伸べる簡易宿泊所として、1950年に閉鎖されるまで約10万人が利用したという。E・H・エリック、岡田真澄の兄弟も、ここの利用者だった。
その日の基も今は老舗の酒場である。半地下になっている日の基は、飾り気のないコンクリートの床と使い込まれた白木のカウンターが印象的で、階段を下りて入ることもあって、大昔の日本映画のセットに紛れこんだ気分になる。それに対して新日の基のほうは改装されて綺麗になり、燗酒よりも舶来の洋酒のほうが似合う洒落た雰囲気の店になった。この本を読んで知ったのだが、新しい店主はイギリス人なのだそうだ。
線路をくぐって東側に抜け、東京駅方面に向かって歩けば「ザ・ガード下」とでも言いたくなるたたずまいの「有楽町高架下センター商店街」がある。
ところで、藤木TDC&ブラボー川上コンビの『まぼろし闇市をゆく 東京裏路地〈懐〉食紀行』と続篇の『まぼろし闇市へ、ふたたび 続東京裏路地〈懐〉食紀行』は、私の愛読書であり、何かにつけて再読している。戦後の復興期に誕生した闇市は、戦争によって経済が壊滅した都市における住民の自助努力の所産だった。
闇市の起こりは、路上の露店である。というよりも、すべてが焼けてしまったため、路上にしか商売の場所はなかったのだ。しかし1949年8月、GHQから露店撤去の命を受けた東京都は、露店業者の整理事業を開始する。その施策の1つに、代替地を露店業者に提供し、路上から横丁へと移動を促したのである(『続東京裏路地〈懐〉食紀行』には、1952年に東京都臨時露店対策部が刊行した資料『『露店』の世界』が復刻収録されており、飲み屋横丁形成に至る過程を知ることができる)。都市のあちこちに残る飲み屋横丁は、その整理事業の所産だ。実は『昭和酒場を歩く』に紹介された街の多くも、そうした場所なのである。
高度成長期に多くの闇市起源の横丁は整理され、やがて消えていった。冒頭に紹介した東京スカイツリー事業も、おそらくは多くの裏路地、横丁を消滅させる結果になるだろう。冒頭に書いたように、それを止める手段はない。
路地裏酒場や飲み屋横丁はいわば戦後史の残滓を今に伝える生きた伝説なのであり、そこを歩くことで、ひとときタイムスリップ気分を味わうことができる。居酒屋ブームの到来後、老舗店を訪れる一見客向けのガイドブックなども多数刊行された。テーマパークで遊ぶような気分で、そうした店に足を運ぶ人も多いだろう。だが街や店には独自の歴史がある。無邪気な観光気分で飛びこむよりは、前もって知識を得てから訪問したほうが、何倍も風情は楽しめるはずだ。そのための入門書として藤木の著書はお薦めである。勉強と構えず、気軽にどうぞ。なんならお店で杯を傾けながら読んでもらってもいい。懐かし気分に浸ってしまい、つい酒量が増えてしまうかもしれないが、まあいいじゃないですか。
(杉江松恋)