ほんと作品ごと、十人十色で、面白いですよね。
そんな中たまにネット上で聞くのがこんな言葉。
「この演出、出崎風だよね。」
はて、この「出崎風」とはなんぞや?
出崎風演出とは、2011年4月17日に亡くなったアニメ監督、出崎統が行なっていた独特な演出技法のこと。
主な作品として「あしたのジョー」「エースをねらえ!」「ガンバの冒険」「ベルサイユのばら」などがあります。
まず印象的なのは止め絵。ラストシーンなどが多いのですが、これ別に手抜きでもなんでもなくてキャラクターの主観で見た世界を、最も印象的に見せる手法。スローモーションを究極まで煮詰めたら、止め絵になるんです。
また、「3回パン」と表現される、同じシーンの繰り返し。振り向きやキャラのアップを3回繰り返す。3回も出てきたらびっくりしますよ。それだけ見ているキャラが、起きていることに対して激しい印象を抱いているんです。
そして逆光。
他にも数多くありますが、非常に大胆に使ってくるんです。リアルに映像を作ろうとすると普通は使えない技術ですよ。特に3回パンは印象に残りやすいので、出てくると「出崎風」と言いたくなってしまいますし、おそらくそのアニメを作っている人は出崎統の技法に影響を受けているか、パロディとして扱っているかのどちらかの可能性が高いです。
それを『アニメーション監督出崎統の世界』の中で、「魔法少女まどか☆マギカ」などの監督新房昭之は「発明」と言っています。「段取り通りに繋がなくてもいいということもアニメにおける出崎さんの発明なんです。だって、今、出崎さんの作品を観てもそんなに変じゃないでしょう。それだけ、みんな出崎さんの発明に影響を受けているんですよ」
自らも、例えば「まどか☆マギカ」の佐倉杏子のキャラや、振り向きの多用を、出崎統の影響だと明言しています。実は最新で話題の作品にも、出崎統の血は流れているのです。
この本は一応、出崎統監督の追悼本として作られています。
しかし違うんですよ。そういうだけの本じゃないんですよ。
この本最大の目的は、今アニメが好きな人や、作家を目指している人や、映画が好きな人などの若い人に向けて、出崎統作品の残した重要なメッセージを後世に伝えることなんです。
たくさんのアニメ関係者がこの本に寄稿・インタビューしています。富野由悠季、新房昭之、山本寛、芝山努、ちばてつや……。
面白いのは全員が追悼本だからといって褒め称えているわけではないということです。あくまでも作品をきっちり評価し、出崎統とはどんな人物だったのかを冷静に捉えています。
富野由悠季は出崎統が素材に恵まれず苦しんでいたことをバッサリ言った上で、作品として残るものがあることの強さについて語っています。〈これは出崎作品の紹介でいちばん大事なところですが、「出崎統」の名前を外して「19××年のTVシリーズの『あしたのジョー』ってすごかったよね」という評価がどれだけ残っているのか、というところに尽きます〉〈ジャパニメーション」と呼ばれるものは、デジタル化してきれいになっても、ほとんどが出崎流で、まだそれを超えているところまでは行ってない気がします〉
自分が目指している地平とは違うことを理解しつつ、出崎統の作品がいつになっても評価されることの凄みを語ります。
ではなにが作品としてそこまで残っているのか。それは、出崎統の初公開インタビューにぎっちり詰め込まれています。
1999年に収録されたそのインタビューにある、〈リアリズムとしての絵が欲しいわけじゃない。映像としての嘘の部分が面白い〉というのが、最もこの本が発行された意義のある重要な言葉。
出崎統という監督は、起きている出来事をそのまま忠実に再現するのではなく、どこまでアニメとして面白く、激しく、嘘として大胆に描くか、それによって人間のリアリティを描写するかに注力した作家です。
〈実写だって、それだけ嘘をついて作るのが当たり前なんだから、ましてアニメは絵でつくるものでしょう。もっと自由な発想でやって、結果として何が大事かってことが画面に出ていればいい〉
〈それは良く言えば柔軟性、悪く言えばデタラメなんですけどね。でも、そういう狙いが、何でもなかったら意味ないんですけど、何かを描き出すための助けになるんだったら、どんどんやるべきですよね〉
アニメだからこそできることだあるだろう、と出崎統は語っていたのです。
たとえばぼくは幼い頃再放送で「ガンバの冒険」を見たことがあります。
あれってネズミの話なわけですよ。普通それ聞いたら、かわいらしい世界なのかなーって思うじゃないですか。実際キャラかわいいですし。
違うんだよ。ネズミの世界から見たら世界ってでかくて怖いんですよ。
そのネズミから見たノロイの怖さを描くのは、写真的ではない。あくまでもネズミの主観なんです。でかいんです。恐怖なんです。
出崎統はその主観からの描写を徹底し、し尽くした結果として、止め絵だったり、逆光だったり、3回パンだったりという「発明」を生み出したのです。
これについてもインタビューでこう語られています。
〈映像とかドラマというのは、ほっとするシーンがもちろんあっていいんだけど、緊張感を前提としたものでありというかね。ぜんぶ緊張していなきゃいけない、見てる人が無駄に時間を使うようなことはしたくないみたいな思いがあって……〉
表紙にもある「あしたのジョー」なんてまさにそのものです。ジョーがリングに立つ。そこから先は常に緊迫している。
相手のパンチは早くて見えないくらいなはずだけど、とてつもないスローモーションとして描かれるのは集中力で緊迫しているから。ライトが逆光になるのは、そのくらい緊張感に満ちた世界に立っているから。ジョーの気持ちそのものを画面に表現することで、人間の感覚を重視して描いたのです。
この本はアニメが好きな人には当然読んでもらいたいのですが、自分はアニメに興味のない、極端な話、出崎統作品を見たことがない人にこそすすめたいです。
アニメの技法などの専門的なことも書かれていますが、わかりやすくまとまっていますので大丈夫です。それよりも、出崎統という作家が、人間を描く時になにをしようとしたのか、また何かを表現する時にどこに重点を置いているかを語ることに軸をおいている本なのです。
例えば出崎統と一緒に仕事をしていた小林七郎はこう語っています。
〈画面の存在感、リアリティを高めようとしていたのです。リアリティの追求には誇張が必要になります。それは近代絵画でもなされている手法で、いろいろな表現には誇張と省略はあって当たり前です。それを忘れるとただの写真になってしまう〉
また、音楽監督鈴木清司はこう語ります。
〈統ちゃん(出崎統)はすごい個性的な絵コンテも描くし、アイデアもすごいんだけど、それを押しつけるようなことはしない、。
出崎統はこう語っていました。
〈僕はよくライターの人に言うんですよ。文字の人は文字で表現してください、って。(中略)韻踏んだりとかね、歌だって構わないよ。詩とか俳句だっていい。オレはそれを映像にしてみせる。シナリオだからといって、やたらと台詞でつないだりつまらないことを書くくらいだったら、このドラマを本当に5行位の詩で書いてくれてもいいよ。それでも書けないんだったら小説を書きなさい。そのほうがむしろ映像に近いんですよね。文字だけの面白さがあるわけだし。観念というか、人間の頭のなか、心のなかのことを、映像でも表現できない、文字でしか表現できないことを描いてくださいって言うんですよ〉
出崎統は、映像の嘘を使って、人間を描く作家でした。
同時に、多くのクリエイターの感性の、面白い部分を引き出す監督でした。
だからこそ生まれた多くの「出崎風」という発明はあるけれども、もしかしたら天国から「もっと超えてこいよ、面白いもの見せろよ」と思っているかもしれません。
もちろん出崎統のような誇張した表現が必ずしも「正解」ではないわけです。しかし人間のリアリティの究極を求めて表現し続けた作家の一生を、この本はしっかり冷静にまとめあげています。
出崎統はすごい。でも賛美するだけじゃなくていい。むしろその「作品」について考えて、なぜ影響を受ける作家が多いかを考えて欲しい。
自分の好きな映画や漫画やアニメがある場合、この本を読んでから「なぜ好きなんだろう?」と考えるてみてください。きっと「人間を描く面白さ」とはなんなのか、じっくり考える機会ができるはずです。
(たまごまご)