《ぼくは、今「雑誌」を作ってるという意識はない。白い紙の束を全国に流通させることが、ぼくの仕事だ。黒いインクは、みんなに伝えたいことがある人、個人がやる仕事だ。ぼくの仕事は、一人→不特定多数につながる電話回線のとりつけだ》(「宝島」1980年5月号)
《一人→不特定多数につながる電話回線》という表現からは、やはりインターネットを連想してしまう。実際、「ポンプ」をいま読むと、誌面で自然発生的に読者たちが同じ話題で盛り上がる様子はネットの掲示板を彷彿とさせるし、巻末には前号以前に掲載された投稿に対する意見や感想がまとめられ、ブログにおけるトラックバックやツイッターのRTのような機能を果たしていた。
私は数年前、この「ポンプ」を、国会図書館で一日かかって創刊号から最終号まで閲覧したことがある。それは昔のサブカルチャー雑誌の投稿欄から、のちの著名人たちの無名時代の投稿を探し出すといういささか趣味の悪い企画のための作業で、その原稿は「ユリイカ」の雑誌特集(2005年8月号)に掲載された。
1979年から85年まで7年分のバックナンバーからは尾崎豊や直木賞作家の熊谷達也など意外な名前が見つかった。だが、「ポンプ」投稿者から生まれた最大のスターは何といっても、のちにマンガ家となる岡崎京子だろう。高校から短大時代にかけて同誌に投稿していた岡崎は当時より人気者で、読者のあいだでファンクラブが結成されたり、読者による「岡崎京子論」なんてものまで誌面に登場するほどだった。ただし岡崎が同誌に投稿していたのは文章やイラストで、マンガではない。それでも少女の目の描き方などからは、すでに後年の作風の片鱗がうかがえる。