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話題作『神様のカルテ3』の作者にインタビュー、前篇では主に作家の背景とデビューの経緯についてお聞きしました。後篇では〈神様のカルテ〉シリーズ化の苦労についてより深くうかがってみます。
あの話題も出ますよ。

ーーたぶんお忙しいだろうと思っていましたので、1年以内に2巻を書かれたのには失礼ながらびっくりしました。
夏川 1つ上の先生が「おまえが次に1冊書くか、俺が論文を書くのが早いか競争だ」と言ってくれました。ずっと指導をしてくれた先生だったんですけど、その先輩が「2冊目までかけたらもうそれは一発屋じゃない」って言ってくれたんです。とりあえず2巻までは時間はあまり置かないほうがいいだろうから、全力で書いてみようと。そこは努力をしたところだったかもしれないです。はじめて書くのがつらいなと思いましたね。
ーーそこから楽しみだったのが「お仕事」になったんですね(笑)。
夏川 でもやっぱり書いている時間は楽しいですね。ただ、そのぶん医業にもより力を注ぐようにしました。医師としての仕事がおろそかになって小説だけを書いていたら、何を言われてもしょうがない。診療し、論文もちゃんと書きながら2巻を書くというやり方を崩さないようにしました。
同じ現場で、小説にウェイトを置くような働き方をする医師がいることは、きっと周りに悪影響を与えると思うんです。みんな必死になって働いているところなので、そういう中途半端なことはできない。「両立ができないなら小説を書いちゃいけないんだ」と思って必死でしたね。
ーーやはり2巻の時が一番きつかったですか?
夏川 1巻のときには医療小説とは思ってなかったので、2巻のときに初めて医療小説を書くという意識になったんです。僕が目をそらしていたものを突き詰める感じになっていって、そうすると遊びがなくなってくるんです。知っている以上嘘は書けないですから。スーパーマンのような医師って、医療と関係ない人の方が書けるのかもしれません。
ーー2巻では医師個人にかかる負担の問題を描かれました。それが1人の人間に可能なのか、というかなりナイーブな方向に進んでいく話です。書いていて心労といいますか、自分にはねかえってくるようなことはなかったんですか?
夏川 書いていて「これは叩かれるかもしれない」と思っていました。一止の友達が「医師だからといって、そんなに働くのはおかしいんじゃないか」ということを言うんですが、あれは現場では絶対に口にできない台詞です。そこを小説の中で、できるだけ丸くして伝える形にしたわけですが、それでもドキドキしました。
「医者なんだから黙って働くのが当然だ」みたいな意見も出るかと思ったんですが、あまりそういうことは言われなかったですね。少しほっとしました。
ーー聖職者には風当たりが強いですから。私生活においても人の模範であれ、みたいなことを言う人も多いですね。
夏川 そうです。当事者である僕がそういうことを書くのは危険かもしれない、とは思いました。でも、医師の中には「よく書いてくれた」と言ってくれた人もいました。それこそ、1巻のときよりはるかにたくさん。ほとんど話をする機会もなかった先生が、「あれはいい話だった」と言ってくれた時は嬉しかったですね。
ーー『神様のカルテ』というタイトルには医師の世界を偶像視しないという意図がこめられています。その方針には2巻で芯が入ったと思うんです。1巻はたまたま医師が主人公になったということですが、1巻でついに題名と主人公が同化したな、という印象です。

夏川 医者をやっていると、どうしても助からない人は助からないし助かる人は助かる、みたいな目に見えない力を常に感じたりもします。それが医者の無力感につながっていくんですけど、そういうものを表現する言葉ではあったんです。
ーーそのへんの省察も2巻からはぐっと深くなりました。今回でシリーズは3巻になりましたが、これまでの一止の姿勢を否定するような障壁が出てきました。ここはネタばらしになってしまうのであまり書けないんですが、主人公をこういう岐路にたたせたのはどういう狙いがあったんでしょうか。
夏川 最初からこういう感じになるとは思っていなかったんです。というか、3巻を書き始めた時にはあんまり深く考えていなかったんですよね。
ーー最初のほうのエピソードは雑誌連載されたんですよね。
夏川 2巻を書き終えたあとに違和感があったんです。あれは、どうしても地域医療礼賛というか、自分を犠牲にして患者につきそっている医師は素晴らしい、みたいな作品としてとられがちなんです。ところが、2日くらい徹夜が続いたときに話していた患者さんから「あんな本を書いた先生がそんな不機嫌な顔をするなんてショック」って言われたこたんですよ。非常にこたえました。
それで「何かすごくよくない誤解を与えているんじゃないか」と考え出したんです。ただ病院に泊まりこんで、にっこりわらって側にいるだけで済むのは医者ではない、と僕は思うんですよね。ときには研究会に出ていって学ばないと置いていかれちゃいますし。あとは、やっぱり家族が支えてくれる分だけ家族に何かをしないと自分の足元が崩れていきますよね。せめてひと月に半日くらいは家族と一緒に過ごさないといけない。そういうものも潰してただずっと側にいろ、励ましていろというような極論がいいことであるみたいにとられる雰囲気というのは、ちょっと問題だと。それなら本当の医師の厳しさを真剣に書いてみようか、と。そういう意図なんです。
ーーなるほど。
夏川 24時間いつでも呼ばれたら出ていって働くというのも大変ですが、それは本質ではないんです。たとえば胃カメラをやっていて病変を見つけて診断をするという当たり前の診療行為にも、常に不安がつきまといます。医師になってもう10年になりますから、よほどおかしなことはしないはずですが、それでも「診断が間違っていないか、知らない病気だったらどうしよう」という不安からは自由にはなれないんです。
どんな職業でもある不安だとは思いますが、医療の世界においては、些細なミスが一瞬で目の前の人の人生を破壊してしまう。そういう大変さが前作では伝わっていないと思ったんです。本を読んで「お医者さんになりたい」って言ってくださるのは嬉しいけど、意外と大変だよと(笑)。
ーーこれもちょっと微妙なことをお聞きします。日本の医療には医局制度というものがあって、それの良い面と悪い面が医療小説では描かれてきました。悪い面というのはもちろん『白い巨塔』みたいな権威主義的な側面、一方の良い面とは医局制度があるからこそどんな僻地でも診療所があるという地方医療を支えてきた部分が間違いなくあるわけです。実は1巻には、その医局制度批判ととられかねない要素がありました。その反省も実はあったのではないかということをお聞きしたいんです。
夏川 そこは僕もちょっと考えが甘かったなと思いましたね。もともと医療小説という意図はなく書いた作品でしたので、たくさん本が売れるとも思っていませんでしたし、言葉の与える影響を軽く見ていたとは思います。たしかに読み返せば反医局ととられるかもしれません。そこは気をつけないといけないという反省はたしかにあります。

ーーそういう意味では、このシリーズも書きながら方向性の微修正をしておられるわけですね。
夏川 そうですね。僕は医局制度がいかに重要かをよく知っています。医局制度がなければ助けられない命がたくさんあるんです。ただ、そのことを書くなら真剣にやりたい。ちらりと書くようなやり方は危険ですから、あえて3巻のテーマからは外しました。
ーー一止の思いも1巻からはだいぶ変わってきたと思います。3巻は非常に印象的な終わり方をするのですが、読んだ人はこの後がどうなるのかということが非常に気になると思うんです。「4巻は出るのか」と思われた読者も多いはずなんです。ここで終わってもいいような結末になっていますから。
夏川 1巻も2巻も同じで、どれもそこで終わってもおかしくないようには書いているんです。「次巻に続く」みたいな書き方があまり好きではないものですから。ただ、今すぐ4巻を書くかどうかと聞かれると、ちょっとわからないですね。
ーー書きたくないわけではないんですよね?
夏川 それはそうです。ただ、次を書くのはとてもつかれる作業になるはずですから。
ーー読者として、一止の成長をもっと見たいという気持ちはありますよ。
夏川 僕自身もそれはあります。彼が医師としてどこまでいけるのか、その変化を見てみたい気がする。ただ……
ーーそれは1年後に必ず書けますとか、そんな約束のできるレベルの話ではないと。
夏川 知っている先生たちは「次を書くならどんどんやってくれ」とおっしゃっているんですけどね。「ただし覚悟して書けよ」と(笑)。
ーーたとえばスピンオフといいますか、一止以外のエピソードを書く可能性はないんですか? 屋久島にいった屋久杉君とか。
夏川 まったく発表するつもりなく自分で書いてみたことはあるんですよ。屋久島を旅しているところのスケッチを書いてみたり。
ーーじゃあ、読者が主人公と同じくらい好きな奥さん(ハルさん)の話を書いたことはないんですか?
夏川 あります。ただ、それを世間に出すかっていうと……。
ーースケッチ的に書いているものはいっぱいあるんですね。
夏川 奥さんが山に登る話とか、そこで誰かに出会うっていう話はいくつか書いています。しかしそれを完成させて、しかもいろんなひとの期待を裏切らないようにするっていうのはまた結構な努力が必要なんじゃないかなと思います。
ーー編集者は欲しいですよね(笑)。
編集者 そんな話があったんだって今初めてお聞きしました。それは喉から手が出るほど欲しいですよ(笑)。
夏川 あんまり努力だけになっていくと、書く楽しみがなくなってしまうので。
ーーいや、それは大事なことですよ。
編集者 はい。喉から手が出るほど欲しいですが、幸いうちの会社はそのへんには理解があるところですから。「決算直前だから『神様のカルテ3.5』を書いてください!」みたいなことは言わないとお約束します。
ーーお書きになりたいものを優先して書いてください。いや『神様のカルテ4』が読みたい人は、『1』から遡ってまた読み返したらいいんですよ。再読も楽しいものです。そういえば『神様のカルテ』の映画はご覧になりましたか?
夏川 はい。もともと小説と映画は別のものだと思っているので、基本的にすべてお任せしました。ただ、医療の映画というとどうしても、手術中に心臓が停止してマッサージを、みたいな場面を妙にドラマチックに描きますよね。でも、あんな場面は私は見たことがありません。せっかく自分が関われたのなら、そういう風に変な形で盛り上げる作品にはしてほしくなくて、医療現場に対する誤解を助長するような場面だけは止めてください、と脚本の段階でお願いしました。その結果、出来上がったものは小説とはまた異なる空気感を持った世界で、とてもおもしろかったです。
ーー最後に読者に一言お願いします。
夏川 本業は医者なのでどうしても予定はたてられないですけど、ずっと書いて行きたいので、次の作品がでたときには応援していただければと思います。

(杉江松恋)

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