いや、ひさしぶりに素晴らしいエッセイを読んだのでみなさんにお知らせする次第だ。
『三角でもなく四角でもなく六角精児』、著者はドラマ「相棒」の鑑識官・米沢守役で四十路にしてブレイクを果たした、俳優・六角精児である。
1962年6月24日、兵庫県生まれ。神奈川県立厚木高等学校卒業、学習院大学中退。82年に、高校の演劇部員と劇団「善人会議」を旗揚げ。のちに「扉座」と改名して活動を続ける。ドラマ「相棒」(00年〜)、「電車男」(05年〜)、「カーネーション」(12年)などに出演。09年には映画「鑑識・米沢守の事件簿」に主演した。血液型A型(著者略歴より)。
付け加えるならボクシングファンにして乗り鉄。中性脂肪の値とか結構ヤバい。はは、ご同類です。
本書は「週刊現代」連載を単行本化したものだ。
ーー[……]しかしこの肉体訓練が、僕は本当に嫌いだった。[……]特に柔軟。体が凄く硬い自分には足をおもいっきり広げて筋を伸ばす気持ちよさなんかこれっぽっちも理解出来ないし、後ろから背中を押されても、腰から曲がるのではなく、ただどんどん猫背になっていくだけで、終いにはお腹が圧迫されてウンコが出そうになる。柔軟は当時、たいてい決まった相手とワンセットでやっていたのだが、僕はパートナーを、後ろから押したり前から引っぱったりする残酷な奴という事で人間的にも憎んでいた。
いや、そんなことを言われても。稽古なんだし。
自分を飾らない人は周囲からの好感度がアップするというのが世間の常識だが、六角の場合はこんなに飾らなくていいのかというほどにさらけ出すので、むしろ読んでいるほうの腰が引けるほどである。
自慢げに奇行を披露する芸能人本というのは多数ある。だいたいはまあまあおもしろいが、エピソード以外に読む個所がないと、やがて飽きてしまう。
また、芸能人なのに普通なワタシ、というのを売り物にするエッセイ本もちょくちょく見かける。
六角のこの本はそういう凡百の芸能人本とは違う、ような気がする。「芸能人」というカテゴリーに著者が入らなかったとしても、この内容をつきつけられたら、それはヘン! と言いたくなると思うのである。人間としてヘンである。浮き上がっている。
「まんがタイムきらら」に『ナニワ金融道』が連載されていたらどうか、と思うぐらいに浮きまくっている。
その浮き具合は何に由来しているのだろうか。答えは「月明かりで暮らす」の章にあるような気がする。冒頭の文章を引用しよう。
ーー西村賢太氏の芥川賞受賞作品『苦役列車』が映画化されて七月に全国で公開された。この事実は役者を生業にしている僕にとって残念でならない。何故、僕がこの映画に出演しえいないのか? 『苦役列車』を読んで主人公の歪んだ心情とその生活態度に大いに共感し、西村氏の著作を貪るように読破し〔……〕
見つけた! 見つけたよ。
本書の巻末には西村賢太と六角の対談が収録されているが、西村は「あの人間に感情移入する方は珍しいですよ」と感心しきりである。この対談は抜群におもしろいので、本を買おうかどうか迷っている人はチェックしてみるといい。六角が「西村さんご本人が凶悪な臭いを発していたらどうしようかと怯えて」いたと打ち明ければ西村も「いや、僕のほうも、六角さんって本当はすごく怖い人なんじゃないかって思ってました」と警戒心を抱いていたことを告白する。うん、あなたたちは2人とも間違ってないです。2人ともやっぱりちょっと怖いよ。西村が「Qさま!!」でときどき披露する学生服姿は、例の「風俗に行きます」発言があるから別のプレイを想像させて、別の意味でいやだよ。
第1部の「時間はあれども金がない」には、若き日(そんなに若くないのもある)の六角の恥ずかしいエピソードがいくつも詰めこまれている。「一階で店をやっている大家に滞納している家賃を催促されるのが怖くて電気を点けずに月明かりで生活した」話だとか、劇団員の後輩の女性に月七万円もらって生活をしていた話だとか(早い話がヒモである)、枚挙に暇がない。ちなみに泥酔して失敗した話は現在進行形で今もあるらしいです。
その中で私が好きなのは、劇団員の後輩と一緒に肉体労働のバイトをしたときの話だ。
「そう、私はクズです。パチンコの為に平気で友情を裏切る男です。それが何か?」
この「友情よりもパチンコの打ち止め!」という章は最後の一文がいい。
ーーたとえ何であれ、ギャンブルに本気で魅了されてしまったら、それに勝つものなんてそうそうあるもんじゃない。
ああ、ひどいなあ。そのとおりなんだけど、真実なんだけど、ひどいなあ。
「芸のためなら女房も泣かす」とうそぶいて止まないのが無頼派の芸人なのだというが、そういう美学は皆無だ。
おそらくはその寒々しい夢の場面こそが真の心象風景なのだろう。一度幸せな暮らしやまっとうな生活に背を向けたことがある人間は、容易にはそこに戻れない。背中にぴんとそっぽを向く癖がついてしまっているからだ。持ちつけないものを手にすると、あっという間に取り落としてしまうのではないかと怖くてしかたないからだ。そんな自分であるということをごまかすために六角は日々の大半の時間を使っているのではないかという気がする。
街金の取立て(六角は過去に1千万円ほど焦げ付かせたことがある)のようにしつこい、過去からの呼び声がするのではないか。耳を塞げているのだろうか。いないだろう。聞こえているはずだ。過去からの呼び声を聞きながらいったい何を思うのだろうか。
(杉江松恋)