兄・耕治の甲子園出場。
それから3ヵ月もしないうちに、今日、最終回を迎えてしまった。
この間、ザワさんの男疑惑が持ち上がったり、東京六大学野球を目指して予備校通いをしたりと、物語が大きく動きそうな気配を見せていただけに、9回の攻防がないまま唐突に試合終了してしまった感じ。なんだか、片思いの恋が一方的に打ち切られた気分でもある。
《ささやかだけれど、かけがえのない日々。野球部の紅一点・都澤理紗(=ザワさん)のなーんてことない日常素描。部活少女へのフェティシズム溢れる、野球マンガの新機軸》
『ザワさん』1巻の紹介文だ。この「フェティシズム」、Wikipediaによれば当エキサイトニュースで「フェチすぎる野球マンガ」と記事にしたのが発信源だとか。なるほど、ザワさんを語る上で、「フェチ」は外せないキーワード。
部活に明け暮れていた高校生当時を思い起こさせてくれる、徹底したディテール描写。まだまだ前途有望で、日々のことだけに没頭することができる高校生特有の「近視眼的」な発想や視線が、絶妙なフェティシズムにつながっていたように思う。
それは野球部という組織が持つ、「異常性」にも結びついてくる。
『高校球児ザワさん』は、作品そのものに明確なメッセージ性はない(何しろ、主人公・都澤理紗本人に主体性がほとんどない)一方で、上記の「フェチ」の点だったり、「野球と女性の関わり方」であるとか、「部活動あるある」であるとか、非常に語るべき話題が多い作品だった。でも、最終回を読み終えて改めて感じたのが、「片思い」の物語だったんじゃないか、という点。
どんなに練習を頑張っても、野球の技能が秀でていても、高校野球というルール上、公式試合に出ることは叶わないザワさん。
これまでの「女子×野球」漫画であれば、超人的な能力を身につけたり、超法規的な措置で夢が叶う……というのが、まあよくある展開だったわけれども、ザワさんが作中でそのことに不満を述べたり、何か改革をしたり訴えたり、なんてことは描かれない。連載開始当初から変わらずザワさんが続けてきたことは、ただ「野球がうまくなりたい」という1点のみ。どうすれば楽にユニフォーム姿になれるのか、体力を温存して部活に臨めるのか、といった野球部至上主義。野球という競技、高校野球という制度に片思いをし続けた結果としての都澤理紗(=ザワさん)というキャラクター造型だったように思う。
それが女性である、という点で物語になるわけだけれど、そんな風に、見返りはなくとも盲目的に何かを愛し、熱中できるのが、高校時代の特権だったんじゃないだろうか。
もう二度と味わいたくない部活動の猛練習の数々。でも、なぜか消えてなくならないいくつかの風景。
それはノスタルジーでもあり、取り戻すことができないからこその青春時代への片思い。
元高校球児であり、作者とも親交のある野球雑誌「野球太郎」編集者・菊地選手は、最終回を前にこんなコメントを吐露していた。
《『高校球児ザワさん』が最終回を迎える。僕は登場人物でも何でもない、一読者なのに、なんでか二度目の高校生活が終わるような感慨が湧いてくる》
ザワさんからの卒業を突きつけられた読者は、来週からこの喪失感をいったい何で埋めればいいのか……。
ひとまずは、『ザワさん』を改めて1巻から読み返してみることをオススメしたい。
最終回の扉ページを見て、それから1巻を読み返してみると、「………………あ、」という結びつきを見つけることができるハズ。それは勝手な思い込みかもしれないけれど、残された9回の攻防は、読者それぞれが自由に楽しんでいいと思うのだ。
『高校球児ザワさん』最終12巻は、4月30日に発売される。お楽しみは、もうちょっと続く。
(オグマナオト)