手元に1冊の「SPA!」がある。2011年7月19日号。

捨てられずにずっと取ってあるのは、伊良部秀輝、人生最後のインタビューが載っているから。
「伊良部秀輝、ロスの自宅で自殺」の報が流れたのは、その「SPA!」が発売された2週間後のことだった。

自殺の原因としてはどの新聞報道でも、
・共同オーナーを務めていたうどん店の経営不振
・家族との不仲、離婚問題
・球界へ復帰したくても受け入れてくれる場所がない孤独
という3点が挙げられていたが、これを真っ向から否定する書籍が登場した。

『伊良部秀輝 野球を愛しすぎた男の真実』
上梓したのは伊良部秀輝の代理人を務めた団野村。この本の冒頭で、うどん店は黒字だったが店のリース契約が切れたから閉店になったこと、離婚報道はデタラメで奥さんとも仲がよかったこと、そして今後の仕事についても講演や解説、野球教室などを計画し、来日の予定もあったことを記している。
では、なぜ伊良部は自殺を選んでしまったのか。
著者はこれまでの伊良部秀輝の野球人生、そして伊良部自身の野球哲学を振り返りながら、その背景を改めて考察する。

伊良部秀輝、といえば最速158km/hの豪速球を武器に日米で活躍し、ヤンキース時代には日本人初のワールドリングを手にするなど、一時代を築いた投手だ。その一方で、ロッテ時代には広岡GM(当時)と何度も衝突を繰り返し、ヤンキース時代にはオーナーから「彼は太ったヒキガエルだ」と糾弾されるなど、「悪童」「わがまま」「傲慢」というイメージも強い。大阪のバーで店員を殴って逮捕されたことを覚えている方も多いだろう。
その事件にしても、真相は別にあったと著者は綴る。
曰く、支払いで提示したクレジットカードが15分過ぎても戻ってこなかったため、不振に思った伊良部が問いつめたところ店長が逃げようとしたので押さえつけた……むしろ伊良部の方がスキミングの被害者であり、事実、伊良部はその後、不起訴処分にもなっている。

《しかし、メディアはこうした事実をいっさい伝えなかった。(略)断言するが、ヒデキはわがままでも、自己中心的でも、傲慢でもない。そういうイメージはすべてメディアがつくりあげたもので、まったく事実ではない。それどころかヒデキは正反対の人間だった》

本書では以降、伊良部がいかに繊細な男で、愚直に野球のことばかり考えていたかを、代理人として一番そばで見続けてきたからこその視点で明らかにしていく。
メジャー志向になった経緯、ロッテ時代の先輩・牛島和彦に影響を受けた投球術やトレーニング方法、関節・筋肉の使い方まで含めた投球フォームへのこだわりなど専門的な記述も多い。一方で、イチロー・長谷川滋利との食事会において、3時間超二人を質問攻めにし、伊良部がトイレに立った際にイチローが「いつもどうやって話を切り上げるの?」と聞いてきたという、微笑ましいエピソードも登場する。

豪速球のイメージが強い伊良部が実際にはとにかく研究熱心で、三振よりもどう打たれるかばかりを考えていたなど、これまでメディアで報じられていたイメージとは異なる面が多々描かれていく。
中でも従来のイメージとのギャップを感じるのが、伊良部という男が抱えていた「恐怖心」だ。

《「このままでは、いずれ通用しなくなるのではないか。打たれるのではないか……」そういう強い恐怖心、おびえがヒデキの心のなかにはつねにあり、それが彼の研究心、向上心を駆り立てることになった(略)恐怖が、彼が野球を深く掘り下げるためのモチベーションになっていたのは間違いない》

そして、恐怖心を乗り越えた先にある、野球でしか得ることができない「アドレナリン」こそが、伊良部が生きる上でのモチベーションになっていたと語る。
《アドレナリンの興奮と恍惚を知ってしまったアスリートにとっては、アドレナリンが湧いてこない状態はいわば“死んだも同然”なのではないだろうか》
現役引退で喪失してしまったアドレナリンをどうやって取り戻せばいいのか、という伊良部の苦悩は、セカンドキャリアで失敗する例が多いアスリートの生き様を考える上でも示唆に富む事例であるだろう。

著者である団野村は、代理人として野茂英雄・吉井理人・岩隈久志・ダルビッシュ有などのメジャー挑戦を支えてきた人物だ。

本書の中でも、伊良部と野茂、伊良部とダルビッシュの比較論など、代理人ならではの客観的な評価軸が登場する。また、伊良部=わがまま、というイメージが決定的となった「メジャー移籍騒動」も、契約までの舞台裏においてロッテ、メジャー球団サイドとどんな口約束や事前交渉があり、反故にされたのかを実名も交え詳細に綴っていく。代理人でしか書けない強烈なコンテンツだ。
しかし、本書の中で垣間見せるのは「代理人・団野村」の姿ばかりではない。団自身が元プロ野球選手だからこそ感じる一流アスリートへの憧憬、そして伊良部と同じ「ハーフ」という出自を持つからこその「自分は何者なのか」「自分のいるべき場所(国)はどこなのか」という悩みを自分語りとして綴る。
同様に自分が真に輝ける場所を求め、アメリカに渡った伊良部。
だが、冒頭で紹介した生前最後のインタビュー記事のタイトルが「やはり日本に帰りたい」だったのがなんとも皮肉である。

いずれにせよ、日米の野球界に大きな爪痕を残した伊良部秀輝という人物の、メディアでは決して描かれることのない素顔を知る上で必読の書であるだろう。
そんなメディアについて、伊良部自身が語っている言葉がある。最後に引用したい。
「野球ボールはコントロールできるけれど、メディアはコントロールできない」。

(オグマナオト)