自分は子供の頃から絵を描くのが好きで、ろくに宿題もせずに好きな漫画の絵を模写してばかりいた。図画工作は何よりも得意で、いつも先生に褒められていた。当然、成績は5段階評価でずっと5だ。算数は1だったけど。
将来は漫画家になりたくて、でも、漫画家になるためには基礎が出来ていなければならない、ということぐらいは算数が1のアタマでもわかっていたので、中学に上がるとすぐに美術部に入った。部活では石膏像のデッサンや静物画を油彩で描いたりしつつ、家では相変わらず好きな漫画の模写に明け暮れていた。
自分は絵がうまいのだから、どんなものでも自在に描けるような気がしていた。
ところが、中学3年になったとき、それが大きな錯覚だと気づかされた。新入部員として入ってきた1年生に、ものすごく絵のうまいやつがいたからだ。
部室の壁に大きな模造紙を貼り、おのおのが好き勝手な絵を描こうということになった。自分は「馬が首を振り上げいなないている様子」の絵を描き、その出来映えに満足した。そりゃそうだ。
けれど、その新入部員は、いきなり見たこともないような絵を描きはじめた。鋭い鉤爪のある筋肉質の両腕を大きくひろげた異形の生物。背中には破れた羽根が生え、それを羽ばたかせて宙に浮いている。いわゆるファンタジーイラストに登場するようなモンスターの絵だ。
なんだこいつは? と思った。そういう絵を見るのが初めてだったわけではないけれど、その新入生が何の手本も横に置かずに、明らかに自分よりうまい絵をマジックペンでぐいぐいと描いていくことに驚かされた。「これ何の絵?」と訊いてみたが、誰かの作品の模写ではなく、いま自分で適当に考えながら描いたものだと言う。描くところを見ていたので、それが嘘ではないことはわかる。ただ驚くしかなかった。悔しいとか妬ましいとかそんな感情よりも、唖然とするだけだった。
結局、自分はそれからすぐに卒業してしまったので、その新入部員とはとくに交流を持つことのないまま別れた。
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日本を代表するイラストレーターであり、漫画家としても様々な媒体で活躍する寺田克也の、国内初となる展覧会「寺田克也ココ10年展」を見に行ってきた。会場は、京都国際マンガミュージアム。古今東西の漫画資料やコミックスなど30万点を所蔵し、それらの大半は自由に閲覧できるという、漫画の博物館でありながら図書館でもあるという場所だ。そんな漫画に満ちあふれた場所の一角に、タイトル通りここ10年に及ぶ寺田克也の作品群が展示されている。
会場はふたつに分かれている。「生ゾーン」と「出力ゾーン」だ。生というのは、文字通り生原稿のこと。朝日新聞で連載されていた伊坂幸太郎の小説『ガソリン生活』に添えられていたイラスト約300点はモノクロのペン画なので、その生原稿をズラリと展示している。
一方、今回の目玉となるのが「出力ゾーン」だ。
そこで、今回の展示を監修した伊藤ガビン氏とそのチームは、とにかく出力サイズをでっかく、わかりやすく言うと襖(ふすま)サイズに出力した。さらにそれを京都の古表具屋でかき集めてきた本物の襖に貼り付けた。これをジグザグに繋げればデデーンと自立する。もはや襖どころか大迫力の屏風絵となり、その存在感は圧倒的だ。いまの寺田克也の作品を展示するのに、これほどピッタリな展示方法をよくぞ導き出したものだと、そんなところにも感心してしまう。
今回、わざわざ京都まで足を運んだのには理由がある。もちろん寺田克也の絵を見たい!ってのが一番の理由だけど、じつは拙著『人喰い映画祭』(辰巳出版)の表紙絵も寺田氏の作品であり、それも展示されているからだ。ちょっと人を喰ったような“おいしい”ポジションに隠れているので、これから行かれる方はぜひ探してみてほしい。
自分が見に行った3月24日は寺田氏と伊藤ガビン氏によるトークショーがあったが、このあともイベントは続く。4月20日は同会場で同時期に開催されている「スケッチトラベル展」で寺田氏の他に上杉忠弘氏、堤大介氏とのトークショーが。5月5日は「寺田克也ラクガキングLIVE」と題して、ライブドローイングの実演を。また、6月2日にはシルクロードや南米ベネズエラを共に旅した林家彦いち氏とのトークがある。もちろんライブドローイングも。
会場では、寺田氏のこれまでの作品集やポスターなどのグッズも販売されている。今回の展示会の図録として編集された『寺田克也ココ10年 ─10 Years Retrospective─』もあるので、ぜひ手に入れておきたい。
そういえば、ガビン氏とのトークの中で、寺田氏は「自分は絵を描くことが存在証明だった。描いた量がそのまま質につながっていった」とか言いながら、やっぱりタブレットで絵を描き続けていた。この人、寝てるとき以外はほとんど絵を描いているんじゃないだろうか。
「身体は絵を描く道具だと思ってるんで」
わ、すごいこと言った!
(とみさわ昭仁)