例えば、まめぶ。
醤油ベースのしょっぱい汁に、まめぶという甘いお団子と野菜が入った食べものだ。
「ビミョーだよね〜」
「甘さとしょっぱさが口の中で緊急会議を開くよね〜」
と、1話から地元民の自虐ネタとして使われていた。
対する地元の人は、町おこしのために3年前から地道に真面目に活動中。
(取材したときの記事がこちら→「あまちゃん」現地レポ。衝撃! 久慈の人は「まめぶ」を知らなかった
)。
なかには、町おこし団体・久慈まめぶ部屋の活動を快く思わない人もいる。
まめぶ汁は、06年に久慈市と合併した旧山形村の郷土食である。
「久慈まめぶ部屋」という名前に反応して「これは久慈の食べ物じゃない」と違和感を口にする旧久慈市の人や、
「久慈の食べ物になってしまった」と嘆く旧山形村の人だって当然出てくる
しかし、久慈まめぶ部屋の谷地彰さんは「他にはない食べ物だから、まめぶで町おこしをすればきっと成功する」と行動をおこした。
地元でまめぶを作っている人たちは、脚本の宮藤官九郎によるいじりをどう思ったのだろうか?
「あまちゃん」東京編では、まめぶを広めようと海女を辞めたあんべちゃんが上京している。
出店で「そばですか? うどんですか? まめぶですか?」と抱き合わせ商法をもくろむが、まめぶはスルーされるのだった。
久慈まめぶ部屋がB-1グランプリに出展した。ボランティアとして参加しながら聞いてみた。
「まめぶを扱いますってNHKから連絡が来たときは、ちょっと出てくるだけだろうと思ってたんですよ。そしたら何度も何度も。最近出てこないなーと思ってたら、忘れたころに、また出てくる。びっくりしましたねー。出てくるたび笑ってました」
と、飲食店「まめぶの家」の谷地ユワノさん。60歳。
嬉しそうだ。
ビミョーと言われて複雑な気持ちにはならないのか、とさらに聞く。
「毎日食べたい味でもないですしねえ。もともと、お正月とかに食べる行事食ですから。たまに食べてくれたらいいんですよ」
とユワノさんは控えめだ。
私なんか、故郷の沖縄そばを「脂っこいんだか味がないんだか分からない」と言われたときは内心凹んだけどなあ。
フリーペーパー「風とロック」7月号、宮城出身の宮藤官九郎と福島出身の箭内道彦による対談で、こんな会話があった。
宮:あのー、これ大友さんと別の対談で喋った時に大友さんが言ってたんですけど、東北の人って、あんまりこうギャグのセンスがあるとかないとかって言われること少ないんですけど、自虐ネタはすごく得意(笑)。
(中略)
宮:で、それ聞いて、東北の人は今ちょっと自虐ネタを奪われつつあるなって、かわいそうになっちゃって。自虐的なこと言えなくなっちゃったっていう雰囲気が、なんかちょっと残念だなって。だからすごく、あまちゃんの登場人物の会話の半分以上は自虐的なことしか言ってない感じにしたいなと思ったんですよね。
箭:うんうん。
宮:もちろん、誇りは持っているけど、表には出さない。それが本当のような気がして。
ユワノさんは、子供のころ、おばあちゃんがまめぶを手でこねている姿を横で眺めているのが好きだった。
けれど大人になってから、記憶を頼りに作ってみたまめぶを、子供は食べたがらなかった。
そこでまめぶを現代風にアレンジすることに。まめぶがもちもちの食感になるよう、粉をブレンド。
それが、「まめぶの家」や久慈まめぶ部屋のまめぶ汁のレシピになっている。
ユワノさんは謙遜していたけれど、そこにはこだわりがある。
まめぶ作りは新たな雇用も生み出した。まめぶのふるさと、旧山形村は、もともと冬も出稼ぎに行かずに副業でしのぐ人が多かった。
ユワノさんのまめぶ工房は、地元の人たちが集う場所になっている。
B−1グランプリにも、幅広い年代が参加していた。60代の人たちは、まめぶの実演や仕込み。20〜30代の人たちは、接客や久慈まめぶ音頭などのパフォーマンスをする。小中学生もお手伝いしている。活動に惹かれて、東京、横浜からもボランティアが参加し、四国にも支援者がいる。
誇りがあるからこそ、「ビミョー」と言われても喜べる。
宮藤のいじりは、自虐ネタが大好きな東北人への愛情だった。
「これまでは、まめぶ汁を知らない人にどう伝えたらいいか困っていました。〈甘さとしょっぱさが口の中で緊急会議〉というキャッチコピーを思いついた宮藤官九郎さんはすごいですねえ」
とユワノさん。
B−1グランプリで、久慈まめぶ部屋は全国大会5位に初入賞した。岩手県勢でも初だ。
ステージに上がり、たくさんのテレビカメラに囲まれて、久慈まめぶ部屋のリーダー小笠原巨樹さんはこう挨拶した。
「あまちゃんからのアシストを受けたごっつぁんゴールだと思われがちですが……」
あまちゃん効果で人気が出たことが、さっそく自虐ネタになっている。
(与儀明子)