と元気に書き出してみたが、もちろん過剰な油摂取は慎むべきで、油の摂りすぎで脂ギッシュ中年になっては元も子もない。適度な油補給で健康を保ちたいものである。
日々の食事で油がもっとも魅力的に使われている料理といえば、やはりとんかつだ。
『とことん! とんかつ道』は定食評論の第一人者・今柊二による楽しいとんかつ文化紹介書である。
第4章「とんかつ発展史」に、日本におけるとんかつ発展史が簡潔にまとめられている。それによれば、維新後まもない1872(明治4)年に出版された仮名垣魯文『西洋料理通』に、ホールコットレッツなる料理の記載があり、それが日本式「カツレツ」の起源であるという。ただしこの料理はポークソテーに近い食べ物であった。それを揚げものに変化させたのが銀座「煉瓦亭」で、現在のとんかつ定食の基本である千切りキャベツつきでソースがけ、主食は白飯という形式も同店が始めたものである。
また、「とんかつ」という言葉の発祥については、小菅桂子説を採用し、元宮内庁大膳部にいた島田信二郎が上野「ぽん多」(現在の『ぽん多 本家』)で1905(明治38)年に売り出したものが最初であるとしている。
ただし異説があり、岡田哲『とんかつの誕生』(講談社選書メチエ→講談社学術文庫。2000年)では上野御徒町の「ぽんち軒」(ポンチ軒とも。現在、神田小川町にある同名の店とは関係がない)を島田信二郎がコックとして在籍していた店とした上で、1929(昭和4)年に同店で島田が「とんかつ」の名称を考案したという説をとっている。その根拠は富田仁『舶来事物起原事典』(名著普及会。1987年)の記述である。
岡田説は『とんかつの誕生』により広まっており、wikipediaの「豚カツ」の項目もこれに基づいている。また2013年に刊行された渋川祐子(渋は旧字)『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)なども同説を採用しているのである。「ぽん多 本家」の現在の当主が島田姓であることから見ても、私は小菅説の方に分があると思うが、今回は判断を控えたい。
ただし、今は「料理というのは、発祥よりも広がりのほうがむしろ大事である」としてその辺には強くこだわっていないのである。いずれにせよ、昭和初期にはすでに東京の繁華街でとんかつ料理は定着していたと見ていいだろう。
本書の他の部分は第1章を「とんかつとサラリーマン」、第2章を「とんかつと学生」として、各種の年齢層の人々がとんかつとどう付き合っているかを述べ、都内各地を中心にとんかつ名店の食べ歩き記録をコラム形式で紹介している。
ちょっと笑ってしまったのは、今が自分の元気度と昼食選択の関連を表にしてまとめていることで、上から「すごく元気」「まあまあ元気」「やや元気がない」「とても元気がない」「帰りたくないほど元気がない」とした上で、とんかつ定食を「まあまあ元気」なときに食べるものとしている。なるほど、とんかつはたしかに油を摂って体力をつけたいときに食べるものだが、そもそもある程度の元気でなければ手は出ないだろう。ちなみに「すごく元気」なときの選択は天丼であり、「帰りたくなるほど元気がない」ときはきつねうどんであるという。きつねうどんも食べられないようなら、まあ、帰ったほうがいいですわ。
今の著書の特色はグルメガイドを無理に目指さず、一般人(がおなかが空いたとき)の視点から書かれていることである。本書でも第3章を「ありがたいチェーン系とんかつ」とし、ファーストフード系の「かつや」や、大規模展開している「やよい軒」「大戸屋」などの定食も紹介している。
またメニューも「とんかつ」の名称にこだわらず「サイゼリア」のチーズカツレツなどにも触れている。第5章「とんかつのバリエーション」ではさらに話を広げてかつ丼、カツカレー、カツサンドはもちろん、チキンカツ、メンチ(ミンチ)カツなどのとんかつ屋における名脇役たちや、新宿「すずや」の「とんかつ茶漬け」などという変り種にも手を出しているのである。神奈川新聞の購読者ならご存じかもしれないが『かながわ定食紀行』のシリーズで今がこだわり続けているトルコライスについても。
続く第6章「日本とんかつ紀行」第7章「とんかつオブザワールド」は、網羅的ではなく今の個人的な体験記というべき規模だが、前者では東京で食べられる名古屋味噌カツ、大坂の串カツ、岡山のドミカツ丼などのご当地食についての言及があり、後者ではとんかつ文化の世界展開についての考察が行われている。
そんなわけで一冊読むとたまらなくとんかつが食べたくなるのであった。まさにメシテロ。夜9時以降に読むのはちょっと危険です。
個人的に嬉しいのは神田駿河台の「とんかつ駿河」が紹介されていたことだった。明治大学御用達のような立地だが、この店は神田神保町からほど近く、私も20代のころは古書店めぐりの合間によく立ち寄った。神保町でとんかつの店というと「いもや」が有名だが、私は断然駿河派である。
当時の駿河の品書きは赤身とロースとちょっと高いエビフライだけで、冬季はこれにカキフライが加わった。
駿河の主人は不機嫌な泉谷しげる(あ、これ同義語反復か)みたいな顔をした親父であり、客に一切追従を言わず、だらだらと居座っている者がいるとたまに怒り出すこともあった。しかしそれも慣れると楽しく、親父の「はい赤身ー」「お次はロースー」と店員に指示を出す声がよいBGMと感じられるようになったら立派な駿河者だったのである。
その主人も今では結構な高齢のはずで、おそらくは代替わりしているのではないか(息子さんと思われる若者を厨房で見たことがある)。そう思いながら本書を読むと、品書きにメンチカツ、アジフライなどの文字があり、隔世の念を抱いたのである。また、今はご飯やスパ、キャベツの大盛りにも追加料金がかかるらしい。ワカメの味噌汁が出たとあるが、昔はシジミ一辺倒だった。しかし以下の記述があって意を強くした。
──そしてこの店で素晴らしいのが、スパ! ナポリタンというかケチャップスパがたっぷりと添えられている。食べるとこれはまさにパスタではなくスパゲティ的なおいしさ。
今さん、わかってらっしゃる!
あ、いかん。腹が空いてきた。やっぱりメシテロだった。
(杉江松恋)