熊切あさ美と片岡愛之助の破局問題が世間を騒がせている。愛之助は熊切の留守中に同棲していたマンションから自分の荷物だけを運び出していたらしいし、熊切の方もインタビュー中に突然泣き出したりと情緒不安定ぶりがかなり激しい。

しかし、この感じどこかで見たことあるぞと思った方もいるのでは。そう、それはまさに90年代後半に起きた華原朋美と小室哲哉の恋愛沙汰だ。

華原と小室の出会いと別れは華原朋美が2000年に発売した自伝「未来を信じて」に詳しく書かれている。この本が発売された当時、華原は小室と破局した後で精神を病んで無期限休養に入っていた状態だった。そのため見ているこちらがハラハラする内容となっている。

【小室哲哉に一目惚れ】


華原朋美は元々「遠峯ありさ」という芸名で芸能活動をしており、ある深夜番組でレギュラー出演していた。
その姿に小室が興味を抱いたことがきっかけとなり、打ち上げで二人は初めて出会った。華原が初めて出会ったときに小室は20~30人のブレーンを従えており、「なんでこんなにブレーンがいるの」が小室への第一印象だったらしい。
しかし、これは「多くの人たちの中心で僕は仕事をしているんだ」と自身の凄さをアピールするための小室の戦略だったのではないか。事実、華原は「この時、私はすでに彼に恋をしてしまったようです」と本書で語っているように小室の仕事ぶりを一目見て恋に落ちている。

【出会って1週間で恋人に】


初めて出会った翌日、電話番号を教えていないにもかかわらず、小室から電話がかかってきたらしい。聞くとレコーディングをしているからおいでと言うので、華原はスタジオへ。そして、華原の歌声を聴くと小室は涙を流しながら「君を歌手として育てたい」と語ったのだ。華原は本書で「その日から、彼は私にとって大きな存在になりました」と述べている。

こうして華原は小室プロデュースのもと、歌手デビューすることが決まる。そして同時に恋愛関係になっていて同棲も開始していた。ある日、華原が小室に案内されマンションに行くと、広い部屋に真新しい家具が置かれており、小室は「ここが二人の家だよ」と語ったらしい。同時に華原の実家にも小室は挨拶に行き、両親に対して「僕はこういう子を探していた」と説得までしたのだ。
ここまでのことは、二人が初めて出会ってからなんとわずか1~2週間の出来事である。かなりの急展開であるが、小室の「僕を信じて」という言葉を華原は信じたという。

その後の小室と華原の関係は公私ともに良好だった。歌手デビュー後、「I BELIEVE」や「I'm proud」を発表して瞬く間に華原はスターダムにのし上がる。そして私生活でも仲睦まじく、公の場でも人目も気にせずラブラブな様子を見せていた。さらに小室の海外での仕事に同行することもしばしばで、飛行機のファーストクラスを2人で貸し切り、熊のぬいぐるみを華原の隣の席に置いてたことが当時大きな話題となった。

【精神を病んだ華原朋美】


しかし、2人とも売れっ子になってしまったため、忙しくてすれ違うことが多くなった。そのような状況で、華原は小室と離れることを決意して荷物もそのままに同棲中の部屋を飛び出した。

その後、自分の荷物を取りに母親とその部屋に戻ると荷物がすっかりと片付いており、自身の服や写真などもすっかりなくなっていた。どうやら小室が全部捨ててしまったらしい。小室から離れることを決心したつもりでも、それを見たら思いがあふれてしまい、華原はその場で大声を出して泣いてしまう。あまりに激しく泣きすぎたためにその場で気を失い、気がついた時には病院のベッドの上だったと本書では述べている。
このエピソードからも分かる通り、小室と破局後、華原は精神を病むようになった。自宅で倒れ(原因はガス中毒や貧血、睡眠薬など)救急車で運ばれることも幾度かあり、マスコミからは自殺未遂では?と取り上げることも多かった。実際に当時の姿を週刊誌で確認できるが、薬の影響か目がうつろで肌荒れもかなりひどい状態であった。

しかし現在、華原は薬物依存などを克服して歌手活動を再開させている。今年には16年半ぶりに小室が華原に楽曲提供をしてタッグを組み大きな話題を集めた。辛い時期を乗り越えたからこそ、再びお互いが歩み寄ることができるようになったのだろう。
熊切あさ美と片岡愛之助も今の辛い時期を乗り越え、お互いが今後良い人生を歩めることを願いたい。
(さのゆう)
(「One Fine Day 」)
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