雑誌「新潮」8月号に、漫画家の水木しげるが20歳の時に書かれたと推定される手記が掲載されている。

「もう俺を苦しめるな。
時代だ、運命だ。自己を、凡てを捨てゝ死にながらにして生きるのだ。」
漫画家・水木しげる20歳の出征前日記が、もうめちゃくちゃだ
『新潮 2015年 08 月号』/新潮社

掲載された手記はラバウルに出征する前年、昭和17年10月のものだという。ほぼ1ヶ月分だが、めまぐるしく、濃密だ。堂々巡りな苦悩に満ちている。

「今日も恥多き日だつた。」「一体俺は何をしたらいゝだらう。」

1日にいくつもの断片文が書かかれていて、孤独なツイッターのアカウントのようにも見える。家族も友達もほぼ登場しない。

「毎日五萬も十萬も戦死する時代だ。芸術が何んだ哲学が何んだ。今は考える事すらゆるされない時代だ。」

強く死を意識し、戦争一色の「時代」そのものが襲ってくる感覚。時代に染まればどんなに楽だろうかと自分を責める。釈迦に、キリストに、ニーチェに、芸術に、自然科学に、救いを求めようとする。

漱石の書簡集を読んで衝撃を受けつつ、すぐに「しかし漱石とは時代が違ふさ」と書く。
「ハムレット」を読んであまり感動しなかったと書いた同じ日に「名作だ」と考え直したり、もうめちゃくちゃだ。

しかしそのパニックには不思議な、そして共感できる一貫性がある。溺れる人の腕や、ぐるぐる回る犬、振り子のように、考えと考えの間を高速に往来している。

長く強く悩みぬく数週間。ついに「一分でも一秒でも自分になつて行く事だ。」という場所に自分を導く水木しげる。

哲学、宗教、博物学をはじめとするさまざまな学問の必要性を感じ、自分の芸術を求めようとする彼が、「オリジナルな生き方」への姿勢を強めた重要な時期だったのかもしれない。

フォーマットこそツイッターのようだが、ここにはわずかな癒やしも発散も無く、真っ暗な孤独で、彼は自分をえぐりながら生きる指針を見つけようとしている。漫画のマの字も出てこない、完成前の水木しげる。他の自伝などを読んでいなくても、響く人には響くはずだ。(香山哲)
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