
若い人向けに解説すると、レベッカは、80年代に大活躍したバンドだ。女性ボーカルのノッコのパフォーマンスがとても躍動的で、「酸欠ライブ」と言われていた。とくに人気が落ちることもなかったのだが、1990年にいきなり活動休止し解散。それが、今回25年ぶりに復活ライブが行われることになったのだ。
当時、10代20代だったファンは、今、40代、50代。ずっと活動してきたバンドだったら連続してファンでいたり、いつしか興味がうすれていったりしたのだろうが、今回はかなり珍しいパターンだと思う。30年間ぶった切られていた時間が、急に流れだしたのだ。
ある程度の覚悟はできている
会場の横浜アリーナの近くパブでは、道行く人へのサービスだろう、往年のレベッカの曲を鳴らしていた。もちろん、20代の頃のノッコの声だ。それを聞き、「ハードルあげるなよ」と、不安な気持ちになった。
自分はノッコと同じ、1963年生まれだ。

一曲目は「RASPBERRY DREAM」。横にいたお客さんは、泣いていた。一緒にいった友人も、あとで聞いたら、瞬間、涙が出たといっていた。自分は、感動よりも、「ああ、これくらい声が出てるなら、よかった」と安堵の方が強かった。
当たり前といえば当たり前なのだが、ステージは危なげなく進行する。会場は大盛り上がりだ。連続して活動してきたミュージシャンだと、往々にして、「最近の曲は知らないんだよなあ」ということがあるが、今回は、そんなことはない。
「OLIVE」が流れる。
「TVも冷蔵庫も新聞もこないかわりに 門限もないわ 自由ってこんなものね」
冷蔵庫はともかく、最近はみな、昔ほどTVを見ない。新聞も読まない。その代わり、ネットやスマホ(携帯)がないと、かなり不自由だ。色んなことがかわってしまった。
「OLIVE」は、親から離れた少女の、開放感と不安を歌った歌だが、根底にあるのは、「若さ」のもつ絶対的な優越感だ。
「若さ」の価値が最高に高かった時代、それを前提に作られた曲を、今、若くない人が歌い、若くない人が何万人も集まって聞いている。
ドカンした歳月の存在
会場に入るときに、「REBECCA」とプリントされたサイリウムを配られた。「MAYBE TOMORROW」が流れたら、ふってくださいとの注意書きがある。ということは、「MAYBE TOMORROW」をやるまでは、終わらないのだろうなと予測していたら、なんとなくアンコールっぽい気配のあと、「MAYBE TOMORROW」が演奏されて、ライブは終わった。しつこくアンコールを求める者はなく、大人しく帰っていく。おどろくほどの予定調和。帰り道、周りのファンたちは、口々に「よかったー」「最高だったー」と喜びの声を上げている。

今回のライブは、レベッカの復活そのものより、30年というギャップを、ひしひしと意識させられた。古いとか、衰えとか、そんなことは微塵も感じなかった。ただただ、ドカンした歳月の存在が迫ってきた。
「MOON」の歌詞にこんなのがある。
「工場は黒い煙をはきだして 町は激しく この娘が大きくなるのを祈ってた
娘は13になって盗みの味覚えて 黒いリストに名前を残した」
自分は、まさにこんな公害の町に育ち、まわりの不良は万引きしていた。だから、当時、この歌詞を聞いて震えるほどに共感した。しかし、今となってはリアリティがない。自分も変わったが、時代も変わった。
とってつけるように聞こえるかもしれないが、自分は、レベッカのこれからをとても期待している。30年前の価値観の元に、10代の少女の気持ちを歌った歌ではなく、今、この現在、50歳になったレベッカがどんな歌を歌っていくのか、それを、50歳になった自分が聞きたいのだ。あの頃、自分たちの気持ちを、細やかにすくいとって歌ってくれたレベッカが、今度は、どんなふうに現代の50歳を表現してくれるのか、それが待ち遠しい。
(麻野一哉)