坊主頭でメガネのスリムな男がふたり、座禅を組んで瞑想している。

左はテリー伊藤、65歳。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)など数々のヒット作を世に問うたTVプロデューサーであり、近年はワイドショウやニュースショウのコメンテイターとして、荒っぽいコメントで知られている。
右は小池龍之介、36歳。東大でドイツ哲学を学んだのち、タイなどで修行し、初期仏教の修行(仏道)を21世紀に受け継ぐ異色のインディーズ僧として知られ、『考えない練習』(小学館文庫/Kindle)などの《練習》シリーズがヒット。
団塊世代がロスジェネ仏道者に訊く
親子ほど年の離れたふたりの対談『小池龍之介さん、煩悩ってどうすればいいんですか?』(宝島社)は、書名どおり、
・嫉妬心が起こってきたときはどうしたらいいのか?
・「さとり世代」や「草食系」が生まれてきた理由は?
・いじめがなくならない理由は?
などの問いを立て、社会現象の背後に、現代の日本人の煩悩と、自我の暴走を見て取る。
この本のテリーさんは、ロスジェネまっさかりの小池さんに向かって、僕らの若いころは仲間同志でクルマの話と女の話してりゃそれでサイコーだったよなあ的な、団塊世代全開の発言をしてて、そのギャップがおもしろかった。
テリーさんといえば華やかなキャリア、車好きなどの派手なキャラクターと並んで、不倫や暴言など、まさに煩悩そのもののようなギラギラした側面を持っている。TVのコメントでも、しょっちゅう物議を醸している。
いわばTV界の炎上ポジションにいるのだ。だから書影の瞑想が似合わない感じ。
TVがテリーさんなら、ウェブはイケハヤさん
TV界でテリーさんがいる炎上ポジションに相当する位置を、ウェブ界で占めているのが、イケダハヤトさんだろうか。
なにしろ、高知県に移住して変えたブログのタイトルが、
「まだ東京で消耗してるの?」
だから、これは東京で一所懸命働いてる人たちのなかには、逆撫でされたと感じた人もいたようだ。
そのイケダさんも、今年、仏教の指導者に話を聞きに行っている。
今回、書影のメガネ率100%
日本で長らく活躍しているスリランカ出身の上座部(テーラヴァーダ)仏教長老アルボムッレ・スマナサーラとイケダさんの対談は、『仏教は宗教ではない お釈迦様が教えた完成された科学』(Evolving)だ。先に出た Kindle版(前篇/後篇)の合本版である。

こちらはスマナサーラさんが70歳、イケダさんが29歳で、訊く側が若い。
しかし今回、書影のメガネ率が4分の4だなー。
上座部仏教は南伝仏教とも呼ばれ、小池さんが奉じる初期仏教の特徴をよく残した仏教とされる。ということは、密教とか、中国で発達した禅や浄土教、さらに日本仏教とは著しく違う。
炎上王はキャラか体質か
テリーさんとイケハヤさん、ふたりの共通点は、芸能人や一般人が不用心な失言で炎上するのではなく、TV番組を作ってきたTVプロデューサー、そしてエントリを書くことで生活するプロプロガーという、いわばそれぞれの媒体の特性を深く知って発信する、いわば「仕掛人」による炎上「芸」、という面があることだろう。
このことは、テリー・イケハヤ両氏が100%計算の上で炎上キャラを「演じている」ということを意味しない。
もしそうだったらあんなにぼんぼん燃えないし。ふたりともいくぶんかは(かなり?)炎上体質なのだ。
炎上王も叩かれるとイラっとする
そんなイケダさんでも、自ら招いた炎上で叩かれると憤慨してしまうことがあったらしい。この本でイケダさんは、意外なほど素直にそう告白している。
そりゃそうだ。
『なぜ僕は「炎上」を恐れないのか』(光文社新書/Kindle)なんて勇ましい題の本や『イケダハヤトはなぜ嫌われるのか?』(エレファントブックス新書)なんて開き直った挑発的な題の本を出していても、イケダさんだって人間だ。ウェブでこきおろされたら、そうそう愉快ではないだろう。

むしろ、ウェブで叩かれてムッとしつつ、自分がどうやってその怒りを乗り越えたかを率直に語るイケダさんは、先述の著書の強がりな釣りタイトルから想像されるよりも、ずっと人間ぽくて自然で好感持てる。
ウェブの中傷は自己投影
そのイケダさんにたいしてスマナサーラさんはこう言う。
スマナサーラ 面と向かって文句をいう場合は、かわいがって言っている可能性がいくらでもあります〔…〕しかし、誰かもわからないところで「バカ」「死ね」とか言っている人は、鏡に向かって、自分に「バカ」「死ね」と〔…〕。その人の精神状態が鏡に映っている〔…〕。まともな人間の精神レベルではない〉
スマナサーラ 鏡に「バカ」「死ね」というのは、その人の精神状態でしょ? イケダさんのことじゃないでしょ?〉
イケダ なるほど、「バカ」「死ね」と思っているのは彼らですもんね。ぼくは別に関係ない。
スマナサーラ その人でしょ?
人が言ったことをそのまま理解することもできなくなっているでしょ?〔…〕相手が興奮して批判してきても、イケダさんには何の関係もないんです。病気で苦しんで、精神的にいかれている人がいるだけなんです〉
攻撃が「投影」である、というのは心理学的には正しいんだけど、それにしてもここを読むと、炎上王イケダさんよりもむしろスマナサーラさんの言葉の切り捨てかたのほうが、むしろアグレッシヴに見える。
僕らが仏教者に抱きがちな「穏やかな人格者」からはほど遠い、言い捨てっぱなし、切り捨てっぱなしのコメンテイターのようだ。敢えて言えば、むしろテリーさんみたいな。
心の平穏を無常の価値とみなす初期仏教・上座部仏教にギラギラした炎上スターが挑むこの2冊がほぼ同時に刊行されるというのが、2015年っぽいエンタテインメントだった。
(千野帽子)