
山田悠介の小説を園子温が映画化した『リアル鬼ごっこ』。トリンドル玲奈、真野恵里菜、篠田麻里子がトリプルヒロインを務める作品です。
まるで園子温版『マッドマックス』

飯田 園子温監督が公開直前に「原作は読んでない」と言ったことでプチ炎上した『リアル鬼ごっこ』ですが、どうだった?
藤田 ぼくはいいんじゃないかと思いました。園子温ファンとして、ですけれどね。あるいは、「夢映画」とか「シュールレアリスム」好きとしては、という判断です。映画館に、いわゆるヤンキー的なギラギラしていた人のグループの人たちがいまして、終わったあとにはお通夜みたいになってましたw
飯田 僕の感想としては「ひどくて、おもしろい!」なと。園子温版『マッドマックス』だと思った。走って、逃げて、ぶっ殺されるだけだから。
藤田 ああ、似ていますね。快楽中枢にダイレクトに効く刺激がぶっこまれて延々続いている感じ。女優の頑張る演技と、走ることと、パンチラと、残虐さとが詰め込まれた、園子温づくし。
飯田 あと男の世界と女の世界がキッパリ分かれていたのも『マッドマックス』感あったw
藤田 ムサさ全開の男ワールドの造型は、ぼくも観た瞬間、『マッドマックス』だ! と思いましたね。園子温の方が、よりチープに露悪的に、ジェンダーを強調してくる感じですけど。今回の映画は、原作とは全然違った内容だったんですよね?
監督が「原作を読んでない」どころか「鬼ごっこ」ですらない!

飯田 ほぼ原作の設定は使ってないね。というか園子温版は鬼ごっこですらないw ある意味では原作より頭が悪い。
でも園子温版はとても暴力的で、しかも必然性がない。すぐ風が「かまいたち」みたいに吹いてJKのカラダがスパッて真っ二つになるんだもん。意味がなさすぎて、ゲラゲラ笑いながら観た。
藤田 あの必然性のない暴力が最高だと思いましたけれどね。震災を扱った『ヒミズ』や『希望の国』より、震災感がありましたよ。理不尽なる現実が襲ってきて、ひたすら走って逃げ続けるというのは、悲壮ですらありましたし。
飯田 なるほど。たしかに天災みたいなものだよね、あれは。ネタバレしてもたいして影響ない映画だと思うので言ってしまうと、ゲーム内の存在としてトリンドルたちはプレイヤーの攻撃から逃げているわけだから、人災なんだけど。
女子高生を消費したいだけなのに、わざとらしい言い訳が入ってきて爆笑

藤田 オチにまで話を持っていっていいのなら、あれは、女子高生が頑張っていることの性的消費を露骨に批判する、わざとらしい反省の映画だったじゃないですか。
「風」の切断の機能は、去勢をイメージさせると思うんですよ。でも、同時にパンチラさせるのも風じゃないですか。
飯田 え、そうなのかなw とにかく走ってビビって死ぬ女の子がひたすら撮りかった! としか思えなかったなあ。
藤田 対照的に、主人公がゲームの外に出た世界が、「男」っぽすぎるじゃないですか。
飯田 主人公の女の子が逃げて「女しかいない世界」から脱出すると、今度はムサい男しかいない世界に出るんだよね。
藤田 あそこで園監督が、自己反省の身振りを入れてくるじゃないですか。「私たちで遊ぶな」ってトリンドル玲奈に言わせて。明らかに、女子高生が走ってパンチラして暴力しているのを観たいだけなのに、とってつけたように倫理的な自己反省が入ってくるのが、ぼくは爆笑でしたね。
園子温版もたいがいだけど、原作もひどい!

飯田 爆笑映画であることはまちがいない。園子温は「原作見ないで作った」と言ってるわりには「ゲームとして、力を持った側が、持たない側を虐殺するために鬼ごっこをやっている」ことは踏襲してるんだよね。
ただ、映画では逃げるトリンドルたちは、元の人間のDNAを採取して作られたゲーム用のクローンだから、原作よりも命が軽くなってる。
原作では、王様が自分の名字が佐藤で、「自分以外に佐藤さんがいるのが許せない!」って言って国民のなかの佐藤さんを皆殺しにするために官憲(?)を放って、捕まったら処刑という「鬼ごっこ」を対国民にするわけだから。原作冒頭はこんなですよ。
西暦三〇〇〇年。
藤田 原作の動機も、相当ですね。そんだけ科学が発達しているのだったら「佐藤」が被るのぐらい避けられそうなのにw
飯田 そういうツッコミをしはじめるとすべてが成り立たなくなるのが『リアル鬼ごっこ』なの!w カキワリの世界観をつくって、そのなかでルールつくって遊んでるのが山田悠介作品で、演劇で舞台上に見えてる以外の外の世界どうなってるのか訊くのと同じくらい野暮なんだよ。
藤田 そうすると、映画版で「シュールに負けるな!」って連呼していたのは、原作の精神を継いでいるんですねw あるいは、原作を読みながら、監督が自分に叫んでいたのかもしれない。園監督、元々演劇の畑ですからね。アングラ演劇感が全面に出てましたし。
飯田 トリンドルが自分の胸を突き刺すと花びらが舞い散るところとか、寺山修司っぽかった。話を戻すけど、原作の設定は、言ってみれば収容所国家と化していた旧ソ連とか国民大虐殺していたカンボジアとか『アクト・オブ・キリング』で描かれている時代のインドネシアみたいな状態なわけだよね。権力者が国民をぶっ殺しまくってるからね。
それに比べれば園子温版は(めちゃくちゃではあるものの)「そもそも殺す用に作られた人間ですよ。だから殺していいんですよ」みたいなエクスキューズ付きの穏当な落としどころになっていて、ちょっとがっかりした。
藤田 そうなんですよね、ぼくが「とってつけたような」と思ったのもそこで。そこで「メタフィクションとかSFの仕掛けのオチにしちゃうの?」とは、落胆しました。もっと何段階かレイヤーを重ねるか、無茶で突っ走ってもいいかと思いましたね。だけど、あれは、園監督の、良心なんだなと思って、笑いながら、感動もしつつ、許しましたよw
飯田 原作の方が設定は狂ってるんだよw 園子温とは違う種類の狂気に満ちているからね、山田悠介作品は。
もちろん、園子温版のあの女しか出てこない空間は、こじらせた童貞の妄想世界っぽいというか、ヘンリー・ダーガーのアウトサイダーアートっぽいというか……いい年こいてあれを作れるのはすごい。
藤田 アウトサイダーアートに似てますね。一番どうしようもない欲望の核だけが数珠繋がりになっているように感じさせる作りで、だからこそ、スゲーよかった。
トリンドルに鼻水を垂らしてびしょ濡れになる演技までさせた、アッパレな怪作!

藤田 演技で言うと、どうでしたか、園監督のブラック企業的、あるいはセミナー的な追い込み演出の熱気は、ぼくは(映画で観ている分には)好きなんですが。今回はトリンドル玲奈の演技がとてもよくて、鼻水まで垂らして、川にも入るし、よかった。篠田麻理子の演技は微妙でしたね。
飯田 ヒロイン3人いるなかでは、真野ちゃんがいちばんちゃんとしてたよね。トリンドルはあの世界観自体にとまどいがあるのが役どころと合っていてよかった。出たことを後悔している感すら画面から感じたw
結論としては、「原作とは違う意味でひどくて最高!」というのが僕の感想です。
藤田 いや、傑作でしょう。いい大人が、中学生に戻った(フリをして)、厨房の脳みそをエミュレートして、大人の技術と金で映画にしてしまったという、日本映画の奇跡のような、畸形ですよ。よくぞこんな映画の企画を成立させた、アッパレ、邦画の未来に希望が持てたぞ! と。事故のような奇跡というか、奇跡のような事故ですよ、この作品は。