
2015年に刊行された著作2冊はいずれも「共著」だが、いったいどのような経緯で制作されたのか?
題して、『合作の極意』。阿佐ヶ谷にある私の仕事場「枡野書店」から、前後編に分けてお届けしています。
前編はコチラ
───そういえば、長嶋有さんの小説を色んな漫画家が漫画にするやつにも参加されてますよね。『長嶋有漫画化計画』。
河井 『女神たちと』は、言っちゃえばまあ、長嶋さんのこの本の真似ですよね。原作者が一人いて、色んな人が絵を描く、という。
───あ、ここがルーツでしたか。

河井 これも、やりやすかったです。基本、原作を変えませんけど。変えても、長嶋さんは、あんまり言わないんですよね。むしろ、「ここをこうしましたか」と、喜んでくれたりしてたから。さっきの話に戻るけど、こだわりのある人は、めんどくさいですよ。こだわりのある人がだれかっていうと、つまり、枡野さんって話になるけれども(笑)。
───やっぱり(笑)。
河井 長嶋さんの漫画化、やってて面白かったのは、もういったん発表されてるものだから。『女神たちと』なんかは途中経過を原作者と漫画家と編集者しか見てないから、途中どうしようと関係ないけれど。一回完成してる長嶋さんの小説を、再チャレンジっていうか漫画化するっていう試みは面白いですよね。
───ここでは「タンノイのエジンバラ」という短編を漫画化されてますけど、原作とちがうところがありますよね。ラストのあたり。
河井 ページ数の関係で。苦肉の策ですけどね。
───私の小説『ショートソング』が漫画化されたとき、原作と少しちがうけど、漫画版のほうがいいと思ったシーンもありますね。

河井 僕も原作者にまわったときは、そうだったんですけど、「ここ、こうしてくれたか」っていう面白さは、すごくありますよね。人にやってもらうとね。
───自分のイメージとちがうものが出てきたとき、それを面白がれるかどうかが大事?
河井 そう。『長嶋有漫画化計画』は、ほかの漫画家のアプローチもすごく面白くて。たとえば島田虎之介さんが「猛スピードで母は」っていうのを漫画化していましたけど。芥川賞をとった作品かな?
───そうですね。初単行本収録の短編です。
河井 「猛スピードで母は」は原作読んでたから「あれ? なんであの象徴的なエピソードが入ってないの?」って思ったんです。でも自分が長嶋さんの小説を漫画化してから、改めて島田虎之介さんのやつ読み返したら、「そうか、切るとしたら、あそこしかないんだ!」って(笑)。流れを説明するために、そんなに大事じゃなくてもいれないといけない要素っていうのがあるんですよ。逆に、象徴的なエピソードっていうのは、そこだけ独立してたりするから、切るとしたらそこしかない。
───短編小説を映画にすると長編になる、長編小説を映画にすると長くなりすぎてしまう、とか言いますよね。
河井 そう。僕が描かせてもらった「タンノイのエジンバラ」も、途中で西城秀樹のCMソングを歌うシーンがあって。すごい好きだったから、いれたかったんですけど、「切るとしたらここしかない」ってなったんですよね。やっぱり芥川賞とるひとの小説だけのことはあって、よくできてるんですよ、ほんとに。
───『長嶋有漫画化計画』は、画期的な試みだったと思うけれども、文壇ではほめられなかったかもしれませんね。漫画化されることが、素敵だと思わない人もいるだろうし。
河井 ああ、それは話が長くなるからちょっとだけ言いますけど。だれかがツイッターで書いてたんだけど、漫画が読めない人っているんですよね。漫画の文脈だったり漫画の流れだったりが、ほんとにわかんない人。絵があって、ここに字が書いてあって、それをどういうふうに受け取っていいのかわからないっていう人がいるから。そういう人が読んだら、「漫画化されてもねえ」って、なりますよね。そのツイッターの記事に書いてあったのは、「なんで小説を映画化したものをまたノベライズする必要があるのか」っていう疑問に対しての返答だったんだけど、映画っていうものを、そもそも理解できない人がいるんだと。「原作が小説の映画なんだから、元の原作小説読めばいいじゃん」っていうのとは、またちがう話なんだと。
───たしかに。私は映画の見方、ある時期までよくわかんなかったんです。漫画も自分の意志で読むようになったの二十歳くらいからだし。河井さんはずっと漫画が好きでした?
河井 漫画、大好きでしたよ。
───文章だけの表現活動もしてみようとかいうのは、なかったんですか?
河井 文章……。文章もね、興味ありますよ、自分で読むのも好きだし。でも、漫画とか、ほかのことのほうが主になっちゃいましたね。依頼がないからですね。漫画原作っていうのは、だれかの絵になることを前提としての説明のためのものだから、小説とかとはちがうし。小説を書いてくださいって依頼があったら、まあ、やってみたいですけどね。
なぜ合作ばかりしているのか?
───河井さんは結局、共同作業が好きってことなんですか?
河井 んー。ひとりで全部やるのは、大変ですよね。あとは、さっきの話ともつながりますけど、自分だけでやってると、ゴールがわりと見えちゃうのがいやっていうか。
───きょうのインタビューも、河井さんと私の二人だけでやるよりは、ギャラリーとして少しお客さんがいたほうがいいんじゃないかってことになったんですが、それと同じ?
河井 それとは、ちがうんですけど(笑)。
───それとは、ちがうんですね(笑)。
河井 まあ、自分ひとりで考えると限界がありますよね。あと、個人としてそんなに言いたいこともない、っていうか。
───河井さんの表現は自分を消す方向へ向かうというか。昔からあった民話みたいなものとか、それっぽい話をつくるの、うまいですよねえ。
河井 元ネタは、どれがどれとは言いませんけど。近藤ようこ先生に描いてもらったのは、もともと近藤さんが中世説話を漫画にしているから。あの近藤ようこさんがニセモノの中世説話を描いたら、さぞ面白かろうと思って。
───「なんちゃって」というか、いわゆるパスティーシュ的な?
河井 パスティーシュが、好きなんでしょうね。かつてあったものを、この人と結びつけたら、さぞ面白かろうと。たとえば、このあいだ「コミックビーム」に載せてもらったのが、これ。久生十蘭の「卍」。戦前から昭和三十年代くらいまで活躍していた人で。探偵小説の流れで出て来て流行作家になったけど早死にしちゃった人。その久生十蘭の短編をね、漫画にしました。
───あ、著作権がもう切れてるんですね。
河井 切れてるんです。青空文庫に作品が載っているような人ですね。
───河井さんは、こういう作品なら、無限に描けそう。
河井 こういうこと、していきたいんです。自分オリジナルのストーリーで漫画描くことに、今あまり興味ないんですよ。でね、長嶋さんのときもそうなんですけど、原作を変えるのはいやなんですよ。なんていうかな、たとえば久生十蘭のこの作品は、昭和二十六年に書かれた短編小説なんですけど、「昭和二十六年と自分との距離」を縮めないまま漫画化したい、という。
───原作に忠実でありたい、ということ?
河井 変えはじめると、きりがないんです。時代を置き替えて現代の話にしちゃったりすると、結局それは俺のメッセージになっちゃうでしょ? 言ってること伝わってます?
───自分の我を出したくないという意味?
河井 うーん。原作の持つノイズをそのまま出したい感じというか。たとえば、夏目漱石の「こころ」っていう名作がありますけど。あれを現代の話として描く、っていうと、それは描けると思うんですよ。そういう作品、もうありそうだから、あれですが。でも、現代の話にしちゃうと、その作品は漱石の言いたいことじゃなくて、俺の言いたいことになっちゃうでしょ。現代の話に置き替えるときに、「ここを読んで欲しいんですよ」っていうメッセージになっちゃうじゃないですか。なぜかっていうと伝えたいこと以外は全部省いて、恣意的に変えちゃうわけだから。それは、いやなんですよね。これは明治時代の話であり、今の時代から見ると特殊な状況のラブストーリーである、っていう、複雑なノイズのあるまんま見せしたい。という気持ちがあるんです。で、そういう漫画にすると、売れないんですって。やっぱり、わかりやすくしないと、売れない。
───赤瀬川原平さんが、デジタル写真は何枚でも納得いくまで撮り直してしまうから退屈。フィルムのカメラで撮ると、偶然性が入るから、あきらめるしかなくて、そこがいいんだ。っていうようなことを書いていました。
河井 それに近い、それに近い。
───たぶん、自意識の問題とかなんですね。
河井 結局ね、あきらめたいんです。メッセージをクリアにしていっても、そんなにろくなことないんじゃないかって、どっかで思ってる。
───ひとりの人間の主張なんて、たいしたことない、と。
河井 そうそう。
───他人の主張に寄り添いたいという感じ?
河井 そうですね。
───だとしたら「合作の極意」というか、河井さんはもともと、そういう人なんですね。じゃあ、ほかの人に参考になることで、合作をしていくときのコツって、ありますか。
河井 さからわない。ってことかな(笑)。合作にも色んな合作があって。組む人とのヒエラルキーってあるじゃないですか。偉い先生と組まないといけないとか。あとは、商品としてどこを目指すかみたいな話。たとえば、巻末に解説漫画を描かせていただいた『あるきかたがただしくない』なんかは、もともと枡野さんの本だし。「枡野浩一っていう人をフィーチャーするにはどうすればいいか」っていうふうに、一生懸命考えて2ページ描いてるわけですよ。もし、「枡野さんを踏み台にして、俺の漫画を読ませたい。枡野の客をひっぱりたい」とか思ってたら、ちがうものを描きますよね。そのときどきの、スタンスがあるから。合作……。合作をしたい若者とか、今、そんなにいるのかしら。「僕、合作していきたいんですよ!」っていう人。

───いや、演劇やりたい人たちなんかはつまり、皆で合作がしたいんじゃないですか。
河井 役者さんとかは、作業がちがうから、あれだけど。でも、人の物語に、こう寄り添たいっていうのは、あるんじゃないですかね。
───宮崎吐夢さんの仕事(DVDブック『今夜で店じまい』ほか多数)なんかは、言うなれば、二人の芸人コンビみたいなものですよね?

河井 そうですね。松尾さんとのチーム紅卍も。ロックのフェスに出るとか、消費のされ方も、そうでしたね。
───ROCK IN JAPAN FESTIVALには十年以上前、松尾さんのお誘いで金紙&銀紙として僕も参加させていただいたけれど、たしかに、そういう芸人的な場でしたね。
河井 あのですね、合作っていうのは、単純に、たとえば枡野さんの短歌を女優さんとかが、いい感じで朗読してくれたら、「お、そう読みますか」みたいな喜びっていうのはあるじゃないですか。
───あります、あります。意外な関西弁のイントネーションに、ぐっときたり。
河井 それですよ。そういう発見の集積だと思う。
───なるほど。意外性を嬉しく思う気持ちですね。これまでに共著を色々出してみて、やりやすかった人は、どなたでした?
河井 みんな、やりやすかったですよ。枡野さん以外はですけど(爆笑)。松尾さんなんかは、演出家ですからね。僕の絵なり、僕のキャラクターなりを、道具にして扱うというか、「河井には、これやらしとけ」っていうのがわかっているから。僕はそこをがんばればいい、っていう。
───枡野とは一緒にやりたくない?(笑)
河井 やりたくないってことはないんだけど。まあ、金紙&銀紙とは別のことしたいですよね。枡野さんが何か別のことして、それを手伝いたい気持ちはありますよね。最初から、「この人のわがままにつきあおう」って思ってれば大丈夫なんじゃないですか。僕は、金紙&銀紙のときは、枡野さんの物語の魅力を伝えようとすることに徹していましたから。
───バンドとかも、わがままなリーダーに、みんなが惚れていれば、それはそれでまわっていくという、ああいう感じでしょうかね。
河井 そうそう。バンドは、みんなが一人のご機嫌をとりながら、その人のメッセージを伝える努力をよってたかってする、という。
「あまちゃん」漫画家と言われて
───最後になりますが、伺いたいことがあったんです。『女神たちと』の帯に、《「なんなら私はこれを描くために『あまちゃん』に出演したと言つても過言ではない」河井克夫》って書かれてますが、これはどういう?
河井 これはですね、もともと僕がツイッターで書いたことなんですけど。この本全体の話ではなくて、最後の横浜監督の原作について言ったことだったんです。横浜監督の原作で僕が描いた漫画っていうのが、映画業界の話なんですね。で、映画のバックステージのことがいっぱい描いてあって。「あまちゃん」以外にも、映画とかに出演したときの経験がこの短編を描くときにすごく役に立った。っていう意味でツイートを書いたんですけど。でもまあ単行本をつくるときに、「あまちゃん」っていうワードをここにいれようっていう話になるのも、まあ営業上、無理はない話っていうか。漫画家であれに出たの俺だけだし、今、俺の活動の中で、いちばんメジャーに近いのは「あまちゃん」なんですよね。ちょっとしか出てないから申しわけないし不本意なんですけど。
───金紙&銀紙の本をつくるときに、《ふたりで松尾スズキ監督の映画に出演したり、毎日新聞で対談を連載したり、早稲田の学祭に呼ばれたり。》っていう帯文を私が提案したら、河井さんが強くいやがって、結局《ふたりで映画に出演したり、新聞で対談を連載したり、大学祭に呼ばれたり。》っていうふうになったのを思いだしました。
河井 たぶん、「早稲田」とかっていうのがいきなり出てきたときに、ちょっと違和感をおぼえるな、って思ったんですよね。
───私は逆に、固有名詞で具体性をアピールしたかったんです。権威づけしたい的な感じで。
河井 まあ、そうすると偏るっていうのがありますよね。「(松尾スズキ)(毎日新聞)(早稲田大学)のユニット、金紙&銀紙」ってなるのが、いやだったんでしょうね。
───その、情報のバランスのとりかたは、独特のものがありますよね。
河井 そうなのかもしれない。たとえば死んだ作家の遺した作品って、もうね、ちょっと不可侵なものであると思うんですよ。それ言いだしたら漫画にすること自体、本当はよくないんだけど。
───死んじゃった原作者が天国で読んだときに、OKと思われるように描いている?
河井 いや、それはたぶんOKじゃないでしょう。だから死んだ人を選んでるんですよ。でも枡野さんとか、生きてる相手だと、そのへん多少いじりたくなるから。そう考えると、俺も多少めんどくさいところあるのかな?(笑)
───いえ、私の知るかぎり最もめんどくさいところのない漫画家です。長時間、ありがとうございました。最後に、読者の皆様へのメッセージを、短い動画に撮らせてください。
というわけで、年末の漫画ランキングでは目立たないかもしれませんが、ぜひこのメッセージ動画をご覧になり、河井克夫さんならではの合作たちを、手にとってみてください。
(枡野浩一)