登場するデミはヴァンパイア、雪女、デュラハン、サキュバス。
理科教師・高橋鉄男が、デミについて本人たちと語り合い、科学的・社会的に検証する、フィールドワーク的作品だ。
7話までは人種間で生まれうる問題を整理し、一つずつ洗い出してきた。

4話:いじめ・陰口問題
意図的に一般の人との交流を避け続けていた、雪女の日下部雪。陰口を叩かれているのを聞いてしまい、深く傷つく。
「私がデミだからですかね、私がデミでなければ、こんな気持ちには」
ヴァンパイアの小鳥遊ひかりは、陰口を言った生徒たちのところに乗り込む。
雪の弔い合戦か、と煽られて彼女は「関係ない」と言い返す。
「みんながやってるからなんて理屈私は嫌い。みんな傷つけあってるから私も傷つけていいなんて、口にして恥ずかしくないの?」
デミだからいじめられるとは限らない。
デミが存在しなくても、人を傷つける問題は起きるだろう。
陰口を言う生徒は劣等感で心が弱っており、ケアが必要だ、と高橋先生は考える。
ひかりのように、自尊心を保とうと努力していれば、誰かを貶める必要はない。
原作4巻では、陰口をたたいていた子たちが高橋先生のあり方を見て、デミをきちんと知るために、自ら交流するよう努力している。

5話:身体の科学的研究
「デミの特性だけ見ていると、個性を見失う。人間性だけ見ていると悩みの原因にたどり着けない」というのが高橋先生の方針。
常に、客観的であろうとする。寄り添いすぎるのはあまりプラスにならない。
日下部雪は、自分の発する冷気が誰かを傷つけるのではないかと恐れて、人を避けていた。
でもそれは理解されづらく、陰口問題につながってしまった。
彼女自身、自分の身体を制御できないことは、強いコンプレックスだ。
高橋先生は彼女の身体特性を科学的に分析する。
心理と連動する体液、汗と涙。緊張時の汗腺からの分泌、つまり冷や汗が冷気の問題なのではないかと探る。
さらに、周囲を凍らせるような影響力は持たないのを、彼女に実験で証明して見せた。
以降、彼女はクラスのみなに積極的に話しかけるようになる。
6話:家庭での教育
デミの親たちは、ネットワークを作って支え合っている(デミは突然変異で生まれるため、親は一般の人間)。
ひかりの両親は、デミの子たちみんなにとても献身的。
特別なことをしているという意識はない。
子どもには全て個性があるのだから、親たちはそれぞれにあわせた環境を作り、協力して教育していこう、というスタンスだ。
とはいえ、特性は違う。マイノリティゆえに子どもが傷つくこともありうる。
「ヴァンパイアと言っても普通の子とそんなに変わらないだろうと、最初はたかをくくってたんですけどね。まあ正直、一度も悩んだことがないと言えばうそになりますけど、家族皆でちゃんと向き合ってみれば、それも個性の一つだな、なんて思えるものですよ」
ひかりは金髪だ。
父親は黒かった髪の毛の色を抜いて、かなり薄くしている。双子の妹のひまりも、自主的にうっすら茶髪。家庭内で髪の毛の色は、バラバラだ。
7話:犯罪・冤罪問題
特性の違うデミがいると、法律は非常に複雑になる。
その最たるものが、サキュバスの催淫能力による、痴漢冤罪問題。
意図的に誘って痴漢させ、その相手を警察に突き出した場合、判断のしようがない。
サキュバスの数はとても少ない。
サキュバス側としては、疑われているようで気分のいいものではないかもしれない。
警察は、一般の人間を守りながら、サキュバスが生きやすい空間を作るために、法で裁けない部分のフォローに尽力している。

サキュバスの教師・佐藤早紀絵を生徒が盗撮した。犯罪だ。
男子生徒・佐竹は言う。
「つい写真を撮ってしまったことと、佐藤ちゃんがサキュバスであることは関係あるかもしれない。しかしサキュバスでなかったとしても佐藤ちゃんはかわいいと思うし、ちょっとやらしいなって思う」
彼は子どもなりに、自分がどう感じたかを、デミの特性のせいにせず、明確にできている。
8話は、デミ3人が試験に向けて勉強をする「亜人ちゃんは学びたい」。
勉強はデミも、当然扱いは同じ。平穏な日常が描かれる。
日下部雪の成長っぷりは、ちょっとグッとくる。
子どもみたいに泣きわめくひかりをぶら下げたまま、引きずってマイペースに歩く彼女。
好きなギャグ漫画のことを考えてニヤニヤする。ひかりと京子といる時はいつも笑顔で話す。
アニメ序盤では、コンプレックスが強すぎて、人前で気持ちを出すことなんて、まずありえなかった。
今の彼女は自信に満ちており、セリフ一つ一つが、とてもポジティブだ。
このシリーズは、かわいそうとか辛いという表現をあまりしない。同情という言葉も使わない。のびのび笑うデミを中心に、「うまくやってこられた世界」の表現に特化している。
犯罪や迫害など、歴史の中では大変だったようだが、そこはにおわせる程度しか描かない。
今期は、「人間」と「力ある者」が共存する時、いかに受け入れ譲り合うかを描く『小林さんちのメイドラゴン』や、人間と動物が全てフラットな状態で個性を受け入れ合う『けものフレンズ』など、種の違いを平坦化する描写が試みられている。
それぞれのバリアフリー観や表現手法、キャラクターの感情のあり方は異なっているので、『亜人ちゃん〜』と比較してみるのをオススメします。
(たまごまご)