
乳がんで闘病生活を続けていたフリーアナウンサーの小林麻央さんが亡くなりました。
享年34というあまりに早過ぎる死に、多くの国民が悲しみ、連日テレビでは彼女の死に関するニュースがトップ級で報道されています。
私ももちろん彼女とは面識は無いですが、彼女や姉の小林麻耶さんが大学生の頃に出演していた「恋のから騒ぎ」を当時は毎週欠かさず見ていたので、このような形で彼女の人生が終わりを迎えてしまうことは、どこかいたたまれない気持ちになります。
過熱報道は「知る権利」の濫用では?
その一方で、彼女の闘病や死をめぐる報道に関しては、憤りを感じています。夫の市川海老蔵さんが「そっとしておいて欲しい」という意味のメッセージを度々発してきましたが、それは芸能記者たちが彼らの家族や親族を追いまわしたり、様々な関係者に聞き込みに回ったりと、プライバシーの侵害が著しかったからに他なりません。
ここ最近ですと、公式戦29連勝の新記録を打ち立てた将棋の藤井聡太四段の通うラーメン屋まで細かく取材していますが、本来の仕事とはかけ離れたところまで扱うような行き過ぎた報道は、問題があると言わざるを得ないでしょう。
もちろんその半分は視聴者の責任です。確かに、著名人のプライバシーを知りたいという欲望は、人間として持ち合わせている性(さが)の一つなのかもしれません。公人に関する情報を報道することに関しては、国民の「知る権利」に沿うものだという側面もあります。
でも、「誰かのプライベートな側面まで知りたい」という欲望は、決して人として称賛するべきことではない代物だと思うのです。それなのに、その自覚が無く、一線を越える報道に対しても何の疑問も感じない人が多いことには落胆せざるを得ない。「知る権利」の濫用ではないでしょうか?
彼女の死を感動ポルノにしていませんか?
また、報道の内容に関しても強い違和感を覚えます。市川海老蔵さんと小林麻央さんが築いた強い家族の絆は確かに素晴らしいものかもしれないですが、報道する側も視聴者側も、彼女の死をどこか「感動ポルノ」にしてしまってはいないでしょうか?
感動ポルノに該当するか否かの線引きは難しく、明確な要件があるわけでは無いですが、報道を見ていると、何とかく彼女の死を悼むというよりも、彼らの生活を掘り起こし、お涙頂戴のストーリーに仕立てることで、視聴者が感動したいための材料に彼女の死を使っている面があるように個人的には思うのです。
実際、ネットで彼女の名前と「感動」「泣ける」という言葉を一緒に検索すると、たくさんの投稿が出てきます。喪に服する気持ちになることなのに、「感動」や「泣ける」といういかにも自分自身の感情をベースとしている表現です。
感動ポルノでは社会は良くならない
たとえ感動ポルノだとしても社会が良くなれば問題無いと見る向きもできますが、現状を見れば一目瞭然で、感動ポルノでは社会は良くなりません。たとえば、24時間テレビで障害者に関するお涙頂戴ストーリーが長く続いているにもかかわらず、現状は決して障害者が生きやすい社会が出来上がっているとは言えないでしょう。
乳がんのような疾病に関しても同じことが言えます。確かに著名人で罹患する人が現れると、検診率は一時的に跳ね上がるものの、検診が文化として根付いているわけではないので、一過性の流行で定着しないということはこれまで何度も繰り返されてきました。残念ながらおそらく今回も同じように思います。
病気の患者、障害者、犯罪の被害者、遺族等がメディアの前で語る時、「同じような苦しみを抱く人が一人でも少なくなるように」という想いを持っている人が大半だと思います。でも、残念ながらそのメッセージをしかと受け止める人はごく一部で、結局人の死が消費されておしまいになっているのです。
辛い時こそリアリストになるべきだ
常々申していることですが、何か問題が起こった際にその場の雰囲気が重視され、根本的な原因を調べて根っこから再発を防止しようという視点が日本社会には著しく欠けていると感じています。
今回のケースで言えば、やはりがんの早期発見に対する制度作りと文化の醸成がもっと語られなければならないはずです。とりわけ、小林麻央さんは生前に自身のブログでも、セカンドオピニオンの必要性を訴えていました。健診の際に見落としがあったとも言われており、セカンドオピニオンの定着化は重要なソリューションの一つでしょう。
もちろん、現状のがん検診はある程度の自己負担も発生するため、一部の人を除いて、そう簡単にセカンドオピニオンを受けられるはずがありません。それを克服するためにセカンドオピニオンに金銭的な援助をしようとも、医療費が膨れ上がって財政を圧迫している現状では厳しい面もあるのは間違いないでしょう。
ただ、やれることはたくさんあると思います。とりわけ、一次予防(生活習慣を改め病気を防ぐこと)で予防できる病は徹底的に予防に重点に置く政策を実施するべきです。運動習慣の徹底、更なる禁煙推進運動、食生活改善など、やれることはたくさんあります。
たとえば、都道府県ごとの疾病による死亡率が公表され、各種予防啓発に取り組む長野県のような意識の高い自治体ほど死亡率が低いということが指摘されていますが、結局はやるかやらないかの違いにしか過ぎないと思うのです。
病気で苦しむ人を減らすためにできることをしよう
現在、私が代表を務める株式会社リプロエージェント では、主に法人向けに働く女性の健康管理の支援を行っており、今期は管理職や人事労務担当者を対象に「女性社員の健康管理に上司や人事部はどう向き合えば良いのか?」というテーマでセミナーや各種サービスの提供を強化しています。
弊社の「健康管理の文化を根付かせるために個人ではなく職場全体にアプローチをする」というソリューションも、元々は共同代表を務めている大塚さとみが自身の様々な健康トラブルの経験を個人の問題として終わりにせず、同じような苦しみを後輩たちが経験せずにすむ世界を目指して考え出したモデルです。
どうかこれを読んでくださった方には、誰かの病気やトラブルを悲しいことという感情論で終わりにするのではなく、これから一人でも多く悲しまない人を増やすには自分たちはどうすれば良いか、政治や社会に何を求めて行けば良いのか、今以上に論理的になって考えて頂きたいと思っています。
(勝部元気)