そのゲーム『テトリス』は、ソビエトの科学アカデミーに所属する技術者、アレクセイ・パジトノフによって開発された。
プラスチック製のパズルとして親しまれていた『ペンタミノ』をヒントに開発された『テトリス』は、画面上方から落ちてくるブロックを次々と積み上げていくものだ。横一列にブロックが並ぶと、その列のブロックは消滅する。やがて消しきれないブロックが画面の上まで積み上がれば、ゲームオーバーとなる。実に単純明快なルールのアクションパズルゲームである。
少しでもゲームに興味のある人ならば、オリジナルの『テトリス』か、そこから派生したゲームを一度くらいは遊んだことがあるだろう。現在、スマホのゲーム市場で主流となっているキャンディ・クラッシュ系のゲームや、現在も大ヒット中の『パズル&ドラゴンズ』なども、この『テトリス』がなければ決して生まれることのなかったゲームだ。
本書では、まずは日本にテトリスを持ち込んだ重要人物、ヘンク・ロジャースの視点から物語の幕がひらかれる。当時のロジャースは、世界の優れたゲームを日本向けに販売するビジネスを手掛けていた。彼は、1988年にラスベガスで開催されたCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)で見た『テトリス』に興味を惹かれ、それを任天堂のファミコン用ソフトとして発売するべく動き始めた。
しかし、『テトリス』を追い求めていたのはロジャースだけではなかった。
ところが、肝心の著作者自身が、その可能性について誰よりも疎かったことが、問題をややこしくする。
当時のソビエト連邦は社会主義国家であるから、ゲームの『テトリス』さえも科学技術研究の副産物として、著作権はあくまでも国家に帰属する。一研究員でしかないパジトノフには、なんの権利も主張することは(少なくとも当時のソビエトでは)許されなかった。
では、国家が巧みな交渉で西側諸国と契約を結ぼうとしたのかといえば、そう簡単にもいかない。なにしろソビエトは1917年のロシア革命以来、およそ70年ものあいだ社会主義を貫いてきたのだ。欧米諸国の老練な資本主義者たちとビジネスの交渉をするのは、まことに困難を極める。
誰に権利を譲渡して、その権利はどこからどこまで及ぶのか。「パソコン」もしくは「ゲーム機」の定義とは? そもそもゲームの契約書を作成したことのある人間など、ソビエトには一人もいなかった。
この勝負、いったい誰が勝利を収めたのか? それはゲームの歴史を振り返れば明らかなのだが、その詳しい経過については、実際に本書を読んで確かめてほしい。『テトリス』を取り巻く様々なエピソードがピタリピタリと、まさにパズルのピースがブロックの穴を埋めていくようにハマっていき、『テトリス』の物語を現実の歴史に変えていく。その快感はゲームプレイにも勝る!
1989年に一度来日
アレクセイ・パジトノフは、『テトリス』のプロモーションのため1989年に一度来日している。その会見の席には筆者も参加したが、「『テトリス』のヒットで何を得たか?」という質問に対して、以下のように答えている。
〈ソ連ではゲームソフトの著作権の概念がまだ発達していないんです。ですが、いくらの報酬を得たとか、他人からどう思われるかの名声の問題より、近くの友人との関係を大事にしたいです〉(『ファミコン必勝本』JICC出版局 1989年8月4日号)
ソビエト連邦は、ゴルバチョフが推し進めたペレストロイカ(政治改革)によって1991年に崩壊、ロシア連邦となった。その後、パジトノフは国家の元を離れ、家族と一緒にアメリカへ移住してプログラマーとしての生活を始めた。現在は、ヘンク・ロジャースと共に「ザ・テトリス・カンパニー」を設立し、『テトリス』に関する権利の管理を行っている。
(とみさわ昭仁)