未来のサッカー日本代表は、どんなメンバーになっているか?
サッカー好きが集まると往々にして繰り広げられる、この手の代表チーム選考談義。「○○は伸びシロがもうないから……」「□□は、次のW杯も絶対出る」など、自称専門家たちの議論は白熱し、終いには紙に予想フォーメーションを書き出す者まで現れたりします。
そんな調子で15年前のサッカーファンは、当時「怪物」と呼ばれた高校生・平山相太さんが、2006年ドイツW杯、ないし2010年南アフリカW杯の頃には、日本代表のエースストライカーへと成長し、世界の強豪相手にゴールネットを揺らしているだろうと、希望に満ちた“優しい未来”を夢見ていたものです。
2年連続で全国高校サッカー選手権の得点王に輝いた
190cmの長身から繰り出される打点の高いヘディングに、しなやかな身のこなし、的確なポジショニングと繊細なボールタッチに、抜群のシュート技術……。2002年・2003年と2年連続で全国高校サッカー選手権の得点王を獲得した平山相太選手の出現は、とにかく衝撃的でした。
ピッチ上で見せるスキルは、どれをとっても超高校生級。その類まれなる才能ゆえ、アテネオリンピック・アジア最終予選の日本代表に飛び級でエントリーされたのも、ある種、必然のように感じられたものです。高校卒業後は、Jリーグのどのチームに行くのだろうか? ひょっとすると、ヨーロッパの強豪リーグに挑戦するんじゃないか……? 将来性あふれる大器の進退を、ファンもメディアも期待せずにはいられませんでした。
筑波大学に進学⇒休学してオランダリーグへ
ところが、彼が選んだのは筑波大学への進学。肩透かし感は否めませんでしたが、とはいえ、ガンバ大阪のトップチームに所属しながら同志社大学を卒業した元日本代表キャプテン・宮本恒靖さんのような文武両道の選手もいるくらいなので、学業と並行して選手としてのトップフォームを保つことも不可能ではありません。
このまま大学に通うから、プロサッカー選手・平山相太を見られるのは4年後か……。誰もがそう覚悟していましたが、またしても彼は、予想外の選択をして見せます。なんと、2005年の2年生時の夏で大学を休学し、オランダ1部リーグのヘラクレス・アルメロへの入団を決めたのです。これには平山選手が、当時小野伸二選手も所属していた同国の名門・フェイエノールトに練習生として短期留学した際、ヘラクレスの監督で、Jリーグ・ジェフ市原でのプレー経験もある元オランダ代表のピーター・ボス氏に見初められたという経緯があるのですが、それにしても急過ぎる展開でした。
20歳にして、オランダリーグで8得点の大活躍!
こうして突如として始まった、平山選手のプロ人生。唖然とする世間を尻目に、彼は眩いばかりの輝きを放ちます。
しかし、2006年、平山選手を手厚くサポートしていたボス監督の退任に伴い、新たに指揮を執ることになったブロート監督からは信頼されず、戦力外通告を受ける羽目に。結果として、2005年シーズン終盤に休学していた筑波大学を自主退学してまで、オランダの地でサッカーに本腰を入れて取り組むはずだったのに、夢は破れ、結局、失意のまま日本に戻ることとなったのでした。
今年32歳で引退した平山選手
その後、FC東京とベガルタ仙台で計12シーズンプレーし、今年、現役生活に幕を閉じた平山選手。Jリーグでのキャリアは、怪我との戦いの連続でした。それでもチームの勝利に貢献したシーズンもたしかにありましたが、単純なリーグ戦の得点数だけでいうと、ヘラクレス時代の「8得点」を上回ったシーズンはありません。もしも、あの時、ヘラクレスを戦力外になっていなければ……。もっといえば、高校卒業後すぐにプロになっていれば……。「未来の日本代表」談義と同様、彼のキャリアについてのタラレバも、尽きることがありません。
(こじへい)