
2018年4月6日にwithnewsで公開された朝日新聞東京社会部の原田朱美氏による記事「LGBTが気持ち悪い人の本音 『ポリコレ棒で葬られるの怖い』」が炎上している。
記事の内容は「LGBTが理解できない」というBさん(43歳 / 男性 / 会社員)に記者がインタビューを行い、「LGBTが理解できない人はこんなことを考えているんですって」という調子の文体で、ただ単に「LGBTが気持ち悪いと思っている人」の言葉をそのまま書き綴っているだけのものだ。
各方面で賛否両論を巻き起こしている記事だが、この記事ではLGBTとしてどう感じたかを書いてみようと思う。この記事を読む際には、ぜひ元の記事も参照していただきたい。
“Bさん”は差別主義者なのだろうか?
原田氏がインターネット上で行った調査「LGBTのイメージに関するアンケート」に
この手の議論に関わるLGBTの人は非寛容で被害者意識が強いように思う。多様性を主張する割には、マジョリティを啓蒙してやるという選民思想感が鼻持ちならないと感じる。このアンケートにも忖度(そんたく)して書けば良かったのだろうが、本音を書くとこういう結果です。差別主義者と、みなされるかもしれないけども。
と答えたというBさん。差別的な言葉を並べるBさんはいったいどんな人なんだろう?と感じた原田氏の前に現れたのは「人なつっこい笑顔」で「明るくて話のテンポがよくて、盛り上げるのがうまい人」で、拍子抜けしたと本文中で語っている。
記事中ではそんな人の良さそうなBさんと、差別的な本心のギャップについても触れられている。記者にとっては驚きだったのかもしれないが、LGBT当事者としては別段驚きも何もないというか、これはよくあることだなぁと感じる。
例えばテレビに出てきたLGBTタレントを見て、親や友だちが「気持ち悪いよね」と何の悪気もなくこぼすことなんて日常茶飯事だ。自分自身もまだ小学校低学年くらいの頃、母親がテレビを観ながら「オカマちゃんはかわいいけど、男のままで男を好きになるなんて変よね」と何気なく食卓で発言したことがあり、そのときに「自分って変なんだ」「男が好きなんて知られたら親はなんて思うだろう」と心臓がバクバクし、冷や汗が流れたのを覚えている。
話が脱線してしまったが、ではこのBさんは果たして本当に差別主義者なのだろうか? それを考えてみたい。
思うだけなら自由だが、表現すると“差別”になる
人間は誰しも大なり小なり、自分のテリトリー外のことに対して(意識している、していないに関わらず)偏見や差別的な意識を持っているものだと私は思う。何事に対してもまったく偏見がない人間などありえないし、偏見があること自体はまったく責められることではないが、その気持ちを表現してしまう・発信してしまうことによってそれは“差別”になる。
「僕、保険の代理店をしていたこともあるんですけど、同性パートナーだと保険金の受取人になれないんですよ! 3年前に知って驚きました。そんな不都合は、すぐ解消してあげたらいいと思うんです。ただ、自分自身が同性愛者をどう思うかと聞かれると、『うっ』となる、という……」
と、Bさんはインタビューで語っていることから、記事を読む限り彼は普段の日常生活を送る中でLGBTの人に差別的な態度を取ったり、悪意ある言葉を投げかけたりする方ではないように思う。
Bさんが内心で「LGBTが気持ち悪い」と感じていたとしてもそれ自体はまったく問題ではないが、匿名とはいえアンケートに差別心を書き、このように新聞社のインタビューに答えてしまった時点で“LGBTへの嫌悪を主張する人=差別をする人”になってしまったのだ。
Bさんが「LGBTが気持ち悪い」と思う気持ちに対して「やめろ!」「それは差別だ!」と憤る権利は誰にもないが、こうして「LGBTが気持ち悪い」という主張を世間に向けて発信している行為は差別にあたるということだ。ピンと来ない方は、「○○が気持ち悪い」に人種や障害など他のマイノリティの単語を入れてみると想像しやすいのではないだろうか。
無理に「理解」する必要はない

Bさんはインタビューで、こう語っている。
「例えばゲイの方について。僕は女性しか好きになったことがないので、男を好きになるというのがどうしても想像できなくて。『だって自分と同じ体をしているんだよ? それで興奮するの?』と」
「いや、頭ではわかっているんです。『同性を好きになる人がいるんだ』と頭では理解していても、心がついていけないんです。そういう衝動って、本能的なものじゃないですか。だから本能的に拒否してしまうんですよね」
他のマイノリティの差別問題が話題に上がる際もよく見受けられるのが、「マイノリティを理解しなければならない」という考えに囚われている人の存在だ。「差別をしない人」になるためには「理解しなければならない」という前提があるのだと思っている人も多いが、別に差別をしないために対象を「理解」する必要はまったくない。その2つはイコールではない。
私自身はゲイであるので、正直なところ異性愛者の男性が女性のどんなところに惹かれて恋愛し、女性の身体のどんなところに性的な興奮を覚えるのかというのは理解できていないと思う。Bさんが同性愛を考えて「うっ」となってしまうのと同じように、私も女性の性器や胸などを写真や動画でうっかり見てしまったときに一瞬「うっ」と身構えてしまうのは確かだし、「異性愛を理解できている・理解がある人」ではないと自負している。
だからといって「異性愛は気持ちが悪い! 男女の恋愛ドラマなんかテレビで放送するな!」などと主張するのはお門違いだ。「理解できないけれど、そういうものなんだね」というスタンスで日々をやり過ごしている。
LGBT当事者だって(少なくとも私自身は)こんなものなんだから、異性愛者の人が「LGBTを理解しよう」だなんて意気込む必要などまったくないと私は思う。「自分は異性に惹かれるけれど、同性に惹かれる人も世の中にはいる」ということを頭に入れておくだけでいいし、別に内心「気持ち悪い」と思っていたっていいのだ。
Bさんは「ポリティカルコレクトネス(政治的な正しさ)」で差別的な意識を持つ自分が社会から糾弾されることを恐れていると語り、
「じゃあもう怖いから、何も関わらない方がいいとなってしまう。でもそれじゃあ、苦しんでいる当事者に対する偏見は消えなくて、ますます当事者は苦しみますよね?」
と吐露しているのだが、彼が自分で語っている通り「差別をしない」ために何かする必要はなく、何も関わらなくていいのだ。無理に理解しようとせず、差別的な態度や発言もせずに日々を過ごしていけばそれで良い。それで何の問題もないのだ。
そもそも、そうした「差別心を公で表明する」行為に対するブレーキが「ポリティカルコレクトネス」であるし、態度や言葉で差別心を表さなければBさんが恐れているように「ポリコレ棒で社会的に葬られる」ことなど起こりえないのではないだろうか。
記事を公開した記者の意図を知りたい
Bさんの発言を引用しながら書いたこの記事では、結論を「LGBTを理解する必要はないし、内心では『気持ちが悪い』と思っていても構わない。しかし、それを態度や言葉で示してしまったら“差別”だと糾弾されるのは仕方がない」としたい。
さて、この記事を公開した原田氏だが、記事の最後をこう結んでいる。
どうすればいいのか、簡単にこたえは出ません。
ただ、「Bさんと会って、話して、よかったな」と思ったのは、たしかです。
冒頭で書いた通り、この記事は「LGBTが気持ち悪い」と感じているBさんの言葉をそのまま書き起こしただけのインタビュー記事だ。記事中で説明したようにBさんは「差別的な本心を抱えたまま、ポリティカルコレクトネスに怯える普通の人」ではなく、この記事が公開された時点で「差別主義者」になってしまっている。
つまり、「差別主義者」の主張に別段反論や批判を付け加えるわけでも、LGBTの現状についての解説だったり何かしらの付加価値がある内容の記事ではない。「こんな差別的な意見がありますよ」という情報だけを拡散している点ではヘイトスピーチと何ら変わりないし、「差別を助長している」と批判されるのも致し方がないだろう。
原田氏は自身のTwitterで「リプをたくさんいただいていますが、バタバタで全部に目を通せていません。すみません。近く、考えをまとめて書きます」と書いている。
リプをたくさんいただいていますが、バタバタで全部に目を通せていません。すみません。
— 原田朱美 (@haradaakm) 2018年4月8日
近く、考えをまとめて書きます。
一体、彼女(と、編集部)がどのような意図をもって記事の公開に踏み切ったのだろうか。それが説明されるのを今は待つしかない。記事の公開直後からすでに各方面で批判が相次いでいる記事ではあるので、何らかの形でアクションを取ってくれることを原田氏と朝日新聞社に期待している。
(毎熊岳)