2018年5月6日、アメリカンフットボール定期戦で、日大選手が無防備な関学選手に後ろからタックルし、負傷させた。
日大は、「指導者による指導と選手の受け取り方に乖離が起きていたことが問題の本質と認識している」という見解を示す。

もちろんこの責任放棄の見解には大きな反発が巻き起こる。
19日には、日大の内田正人監督が「すべて私に責任がある」と述べるが、事実確認の質問には何も答えない。

なぜ、このような問題が起きてしまったのか。
どうして、事態が明らかにされないのか。
この問題を考えるキーを与えてくれる本を紹介する。
日大アメフト部悪質タックル問題の本質を考えるキーとなる一冊『スポーツ国家アメリカ』

『スポーツ国家アメリカ 民主主義と巨大ビジネスのはざまで』(鈴木透/中公新書)。
野球、アメリカンフットボール、バスケットボールなどのアメリカ生まれのスポーツの競技理念を考察することでアメリカという国を考えた本だ。

勝利至上主義に陥ると


アメリカンフットボールは、“産業社会の分業体制を具現化したようなチーム構成”だと指摘する。
アメリカ型のスポーツは選手交代に寛容である。
アメフトは、攻撃と守備で選手ユニットが変わったり、特殊状況などに対処する選手も多く、1チーム11人のゲームに対してベンチ入りする人数は50人を超える場合がある。
めまぐるしくメンバーチェンジを繰り返すスポーツだ。

19世紀後半、アメリカンフットボールが成立した時期と同じくして登場したテイラーシステムという科学的経営管理手法を、本書はピックアップする。
フレデリック・テイラーは、従業員をどのように配置し、どう作業させれば効率があがるかをストップウォッチを使って計算し、徹底した作業モデルを構築した。

アメリカンフットボールの理念を、こういった産業社会の基本原理を重ね合わせる。
ポジションが細分化され、役割分担がはっきりと決められる。全体的な能力ではなく、各部に特化した能力や役割を求められるようになる。
また短いセットプレイを繰り返すゲーム構成は、計画性を重視することになる。どのようなプレーをするかを計画し、各自が決められた動きをすることで成果を最大化しようとする。

総合的な能力の評価よりも、特化した一部の能力を評価し、最適な場でこれを使う。
それが暴走し、勝利至上主義に陥ると、人間の全体的な育成観を失い、機能主義的な人間観での育成に終始してしまう。

こうした仕組みの悪い面が出たのが、今回の日大アメフト部悪質タックルの問題だろう。
「こんな露骨で悪質なタックルは見たことがない」と語っている人がいた。
では、露骨でなければいいのか?
2012年、アメリカのNFLで闇の報奨金の問題を連想せずにはいられない。
セインツのコーチが「担架で運ばれるほどの怪我をさせたらいくら払う」といった闇の報奨金を設定していた問題が発覚したのだ。

誰かのせい、ではない


本書第ニ部の「スポーツの民主化と社会革命」では、人種差別、性差別、地域社会の三点から、こういった競技理念が社会改革にどのような役割を果たしてきたかが語られる。

後半では、アマチュアリズムの形骸化と商業主義、アメリカ型スポーツの理念の限界と問題点(同時にアメリカの理念の限界と問題点だ)が明らかにされる。

日大アメフト部悪質タックルの問題は、単純に誰かのせいに帰する問題ではない。
(米光一成)
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