![エジル騒動は数年前から始まっていた? ヒビが入ったドイツの多文化共生社会](http://imgc.eximg.jp/i=https%253A%252F%252Fs.eximg.jp%252Fexnews%252Ffeed%252FSmadan%252Fsmadan_entertainment%252F2018%252FE1533024940264_8260_2.jpg,quality=70,type=jpg)
アメリカのミレニアル世代が「新しい情報をアップデートする」という意味で使う「Woke」をタイトルの一部に組み込んだ本コラムでは、ミレニアル世代に知ってもらいたいこと、議論してもらいたいことなどをテーマに選び、国内外の様々なニュースを紹介する。フランス代表がクロアチア代表を4-2で下し終了した、FIFAワールドカップロシア大会だが、アルゼンチンやスペイン、ブラジルといった強豪国が、大きなインパクトを残すこともできずにロシアを離れたことも記憶に新しい。
「勝った時はドイツ人で、負けた時は移民」
引退表明したエジルの感じた憤り
![エジル騒動は数年前から始まっていた? ヒビが入ったドイツの多文化共生社会](http://imgc.eximg.jp/i=https%253A%252F%252Fs.eximg.jp%252Fexnews%252Ffeed%252FSmadan%252Fsmadan_entertainment%252F2018%252FE1533024940264_50d8_1.jpg,quality=70,type=jpg)
ワールドカップのロシア大会では、ブラジル大会に続く「連覇」を期待されていたドイツ代表。ビッグクラブで活躍する有名選手が並び、この数年で若手も台頭してきたことから、ドイツの優勝を予想するファンや評論家も少なくなかった。しかし、グループリーグ初戦をメキシコのカウンター攻撃で落とし、2戦目のスウェーデン戦は試合終了直前のゴールで引き分けに持ち込んだものの、3戦目も韓国に2ゴールを許す形で完敗。グループリーグ最下位というまさかの成績で、ドイツ代表は予定よりもかなり早くロシアを離れることになった。
メディアやファンは大失態ともいえるグループリーグ敗退の「戦犯」探しに躍起となり、何人もの中心選手がドイツ代表の早期敗退の原因として、名指しで非難された。
2009年にドイツ代表に初召集され、キャップ数92を誇るドイツ代表のキーマンが、このような形で引退を表明するのは前代未聞だ。しかし、ドイツ代表に微妙なすきま風を吹かせる原因となった騒動は5月中旬にすでに発生していた。英プレミアリーグでプレーするメスト・エジルとイルカイ・ギュンドアンの2選手は5月13日、訪英中だったトルコのエルドアン大統領とロンドン市内のホテルで面会した。
面会時にギュンドアンはエルドアン大統領にサッカーのユニフォームをギフトとして手渡しているが、そこにはトルコ語で「われわれの大統領」という言葉が刺しゅうで入れられており、トルコとの間に外交問題を抱えるドイツでは、この面会が大きく問題視された。エルドアン政権化における人権侵害や反エルドアン派の公職追放などをめぐり、EUはトルコを激しく批判しているが、その急先鋒がドイツなのだ。
加えて、ドイツ国内に住むトルコ系ドイツ人とトルコ人の数は400万人以上に達しており、ドイツの全人口の約5パーセントを占める。トルコ人有権者の数は推定で150万人以上いるとされ、トルコで行われる選挙でも少なからぬ影響力を持っている。
話をエジルとギュンドアンのエルドアン大統領表敬訪問に戻す。ドイツ代表のレーヴ監督は「良い行動とは思えない」と厳しい見解を示し、ドイツ政府報道官も「誤解を招く行為だった」とコメント。これに右派政党や、メディア、有識者らが加わり、ギュンドアンとエジルに対する批判は大きさを増していく。ワールドカップ直前の最後の調整試合となったサウジアラビア戦では、ギュンドアンがボールを持つたびに、ドイツ・サポーターから大きなブーイングが発せられるほどであった。
移民に関する問題は2014年から始まっていた?
この4年で大きく変わったドイツ社会の「移民観」
2014年にドイツ代表がワールドカップで優勝した際、異なるバックグラウンドを持つ選手たちがチームとして一つにまとまったことは、ドイツ社会の多様性を象徴するものだと賞賛された。
また、ドイツに難民が大挙して押し寄せ始めたのも2014年だった。それ以前にも、ドイツは多くの難民を受け入れてきた過去があり、90年代にはユーゴ紛争の影響で、多くの難民がドイツを目指した。
この4年で大きく様変わりした、ドイツ国内の移民や難民に対する風当たり。その空気感を感じ取り、上手く政治利用する政党も現れた。反EU・反移民を掲げたポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は、初の国政進出となった昨年秋の総選挙で、一気に第三党にまで躍進。
AfDはこれまでにも、ドイツ代表の非白人選手を標的にしたネガティブキャンペーンを行ってきた。前述のエジル選手は2015年にイスラム教徒としてメッカ巡礼に参加したが、AfDの幹部が「ドイツ的ではない、反愛国的ともいえる行為」とエジル選手を批判。あまりにも差別的な主張にドイツ国内では批判が相次ぎ、結果的に党首が謝罪する騒ぎとなった。AfDは2016年に開催された欧州選手権直前にも、副党首がガーナ系のボアテング選手を「隣人には迎え入れたくない人物」と攻撃している。エジル選手らは祖父母の代からドイツで暮らしており、そもそも近年シリアなどからやってきた難民とはバックグラウンドが大きく異なるのだが、これらの違いをミックスさせて支持者に発信するのが、ポピュリスト政党の常套手段でもある。
エジル選手がドイツ代表からの引退を発表してから間もなくして、ドイツのメルケル首相は広報官を通じてエジル選手やドイツの多文化主義を全力でサポートすることを約束し、これ以上大きな社会問題に発展しないように先手を打った。トルコのエルドアン大統領もエジル選手の引退について言及しており、「ドイツは結局のところ、差別まみれの国ではないか」とメルケル政権の国内政策を皮肉っている。エジル選手は所属クラブの練習に参加し、エジル騒動そのものは終息に向かっているようにも思われるが、多文化共生社会に入ったヒビはまだ修復されておらず、同様の問題がフランスやオランダ、イギリスといった移民社会でも発生する可能性は大いに存在するのだ。
(仲野博文)