
アメリカのミレニアル世代が「新しい情報をアップデートする」という意味で使う「Woke」をタイトルの一部に組み込んだ本コラムでは、ミレニアル世代に知ってもらいたいこと、議論してもらいたいことなどをテーマに選び、国内外の様々なニュースを紹介する。フランス代表がクロアチア代表を4-2で下し終了した、FIFAワールドカップロシア大会だが、アルゼンチンやスペイン、ブラジルといった強豪国が、大きなインパクトを残すこともできずにロシアを離れたことも記憶に新しい。
「勝った時はドイツ人で、負けた時は移民」
引退表明したエジルの感じた憤り

ワールドカップのロシア大会では、ブラジル大会に続く「連覇」を期待されていたドイツ代表。ビッグクラブで活躍する有名選手が並び、この数年で若手も台頭してきたことから、ドイツの優勝を予想するファンや評論家も少なくなかった。しかし、グループリーグ初戦をメキシコのカウンター攻撃で落とし、2戦目のスウェーデン戦は試合終了直前のゴールで引き分けに持ち込んだものの、3戦目も韓国に2ゴールを許す形で完敗。グループリーグ最下位というまさかの成績で、ドイツ代表は予定よりもかなり早くロシアを離れることになった。
メディアやファンは大失態ともいえるグループリーグ敗退の「戦犯」探しに躍起となり、何人もの中心選手がドイツ代表の早期敗退の原因として、名指しで非難された。そんな中、「戦犯」の1人とされた司令塔のメスト・エジル選手が22日、ソーシャルメディアで代表からの引退を発表。エジル選手は英語で書かれた長文の声明文の写真も公開しており、その中で自らの出自に対して、ドイツサッカー連盟の会長や一部のメディア、ファンから、言葉の暴力を受け続けていたことを明らかにしている。エジル選手は2014年のブラジル大会での優勝と、今大会のグループリーグ敗退後の世論の違いを指摘し、「僕は勝った時にはドイツ人と呼ばれるが、負けた時には移民と呼ばれる」と、ドイツ社会に存在する偽善とダブルスタンダードを激しく非難した。
2009年にドイツ代表に初召集され、キャップ数92を誇るドイツ代表のキーマンが、このような形で引退を表明するのは前代未聞だ。しかし、ドイツ代表に微妙なすきま風を吹かせる原因となった騒動は5月中旬にすでに発生していた。英プレミアリーグでプレーするメスト・エジルとイルカイ・ギュンドアンの2選手は5月13日、訪英中だったトルコのエルドアン大統領とロンドン市内のホテルで面会した。
面会時にギュンドアンはエルドアン大統領にサッカーのユニフォームをギフトとして手渡しているが、そこにはトルコ語で「われわれの大統領」という言葉が刺しゅうで入れられており、トルコとの間に外交問題を抱えるドイツでは、この面会が大きく問題視された。エルドアン政権化における人権侵害や反エルドアン派の公職追放などをめぐり、EUはトルコを激しく批判しているが、その急先鋒がドイツなのだ。
加えて、ドイツ国内に住むトルコ系ドイツ人とトルコ人の数は400万人以上に達しており、ドイツの全人口の約5パーセントを占める。トルコ人有権者の数は推定で150万人以上いるとされ、トルコで行われる選挙でも少なからぬ影響力を持っている。エルドアン大統領の政党が、ドイツ国内でトルコ人有権者向けに選挙活動を勝手に行ったりした過去もあり、エルドアン大統領を熱烈に支持するトルコ系移民を快く思わないドイツ人も一定数存在していた。
話をエジルとギュンドアンのエルドアン大統領表敬訪問に戻す。ドイツ代表のレーヴ監督は「良い行動とは思えない」と厳しい見解を示し、ドイツ政府報道官も「誤解を招く行為だった」とコメント。これに右派政党や、メディア、有識者らが加わり、ギュンドアンとエジルに対する批判は大きさを増していく。ワールドカップ直前の最後の調整試合となったサウジアラビア戦では、ギュンドアンがボールを持つたびに、ドイツ・サポーターから大きなブーイングが発せられるほどであった。
移民に関する問題は2014年から始まっていた?
この4年で大きく変わったドイツ社会の「移民観」
2014年にドイツ代表がワールドカップで優勝した際、異なるバックグラウンドを持つ選手たちがチームとして一つにまとまったことは、ドイツ社会の多様性を象徴するものだと賞賛された。
また、ドイツに難民が大挙して押し寄せ始めたのも2014年だった。それ以前にも、ドイツは多くの難民を受け入れてきた過去があり、90年代にはユーゴ紛争の影響で、多くの難民がドイツを目指した。2014年にドイツに到着した難民は約20万人だったが、翌年からドイツが本格的に大量の難民受け入れを開始すると、ドイツだけで約110万人の難民を受け入れることになった。受け入れ先でのトラブルや、難民申請者によるテロ事件も発生し、次第にドイツ社会は疲弊していく。2016年12月には、首都ベルリンのクリスマスマーケットで大型トラックが市民を次々にはね、60人以上が死傷する事件が発生したが、容疑者が難民申請を却下されたチュニジア人であったことが社会に大きな衝撃を与えた。
この4年で大きく様変わりした、ドイツ国内の移民や難民に対する風当たり。その空気感を感じ取り、上手く政治利用する政党も現れた。反EU・反移民を掲げたポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は、初の国政進出となった昨年秋の総選挙で、一気に第三党にまで躍進。
AfDはこれまでにも、ドイツ代表の非白人選手を標的にしたネガティブキャンペーンを行ってきた。前述のエジル選手は2015年にイスラム教徒としてメッカ巡礼に参加したが、AfDの幹部が「ドイツ的ではない、反愛国的ともいえる行為」とエジル選手を批判。あまりにも差別的な主張にドイツ国内では批判が相次ぎ、結果的に党首が謝罪する騒ぎとなった。AfDは2016年に開催された欧州選手権直前にも、副党首がガーナ系のボアテング選手を「隣人には迎え入れたくない人物」と攻撃している。エジル選手らは祖父母の代からドイツで暮らしており、そもそも近年シリアなどからやってきた難民とはバックグラウンドが大きく異なるのだが、これらの違いをミックスさせて支持者に発信するのが、ポピュリスト政党の常套手段でもある。
エジル選手がドイツ代表からの引退を発表してから間もなくして、ドイツのメルケル首相は広報官を通じてエジル選手やドイツの多文化主義を全力でサポートすることを約束し、これ以上大きな社会問題に発展しないように先手を打った。トルコのエルドアン大統領もエジル選手の引退について言及しており、「ドイツは結局のところ、差別まみれの国ではないか」とメルケル政権の国内政策を皮肉っている。エジル選手は所属クラブの練習に参加し、エジル騒動そのものは終息に向かっているようにも思われるが、多文化共生社会に入ったヒビはまだ修復されておらず、同様の問題がフランスやオランダ、イギリスといった移民社会でも発生する可能性は大いに存在するのだ。
(仲野博文)