大槻ケンヂ「筋肉少女帯の30年は栄光を誇るべきものだったのか、そうじゃないのか」/インタビュー前編
撮影/コザイリサ

筋肉少女帯/10月31日にアルバム『ザ・シサ』をリリース


“シサ”とは“視差”のこと。視点によって目に映る世界は全く違うものになり、物事の解釈も全く違ってくる。
極端な話、信じていたものさえ信じるに値しなくなる、という場合もある。そうした“視差”をテーマにしたのが、筋肉少女帯がメジャーデビュー30周年を機に放つアルバムだ。それにしても不条理で幻想的な詞の世界観、キャッチーなメロディーセンス、卓越した歌唱力と演奏力は今作でも健在。間に活動凍結期間はあったもののデビュー30年を経てなお、この風通しのいい独自なパワフル感はやはりタダモノではない。ハードロックにファンク、ズンドコ節にポリリズム……、脳内ループ化する楽曲も数多い。筋少ベテラン組は当然のこととして、筋少ビギナーにもぜひ試してもらいたい1枚だ。
(取材・文/前原雅子)

自分が歌う詞は箱庭療法的なところがある。
負の精神状況みたいなものを物語に一度転化することで、救いに変えて、自己ヒーリングしている


──メジャーデビュー30周年になるんですね。

大槻:そうなんです。でもこの間イベントに出させてもらった頭脳警察は50周年。そこに遊びに来ていたJOJO広重(非常階段)さんによると非常階段は40周年。筋肉少女帯、まだまだだなと思いました(笑)。


──30周年を機に、これまでのことを振り返ってみたりしますか?

大槻:それがメンバー間でもよく話に出るんですけど、「あの時どうだったっけ?」「いや、覚えてない」っていうのがほとんどで。今がいちばん大事だからでしょう。

──記憶の濃淡もない感じですか?

大槻:昔はうまくいかなかったことはよく覚えてたんですけど、最近はそうでもなくて。でも覚えてることもあってね。デビュー盤のレコーディング風景とか、メンバーが2人辞めたあと、おいちゃん(本城聡章)を勧誘した昭和天皇の崩御の日のこととか、新しいメンバーで初めてレコーディングした大喪の礼の日のこととか。バブル景気のときにマスタリングだけでニューヨークに行ったこととか。筋肉少女帯が復活するまで水面下で復活計画を立てていたときのギクシャクした雰囲気とか。再結成後に肝を冷やしながら出て、結果的には大成功になったROCK IN JAPANやフジロックのバックステージの様子とか。あと高橋幸宏さんのライブに招かれたときのこととか。昔、ケラさんや内田(雄一郎)くんとやっていた空手バカボンっていうバンドで、YMOの「ライディーン」に勝手に詞をつけて歌ってたんですけど。これはやれというフリか?と思って、筋肉少女帯バージョンで完全ヘヴィメタルの「ライディーン」をやったんです。そしたら楽屋で幸宏さんがニヤッと笑って握手をしてくださって。
そういうのは覚えてますね。

──やはり30年もあると、いろいろありますね。その筋肉少女帯がメジャーデビュー30年目に放つ新作が『ザ・シサ』。

大槻:昨年の今頃『Future!』というフルアルバムを出したばかりなんですけど。また量産体制に入っているというか。個人的にも作詞脳が覚醒していて。『ザ・シサ』の前に僕の新プロジェクト“大槻ケンヂミステリ文庫”のアルバム『アウトサイダー・アート』の詞を9曲も書いて、他にも、例えばアイドルの方などに詞を書いているので、今年はずっと詞を書いてるんですけど、それがそんなに苦じゃないというか。

──過去にもそういうことはありました?

大槻:ありましたけど10代の頃ですね。あの頃は自分を取り巻く環境に対しての閉塞感というか、若者ならではの憤りみたいなものを詞にしていたので、ポンポンポンポンできましたよね。でも小説もそうですけど、僕が歌う詞は箱庭療法的なところがあるんですよ。自分の負の精神状況みたいなものを物語に一度転化することで、救いに変えて、自己ヒーリングをしてるんだなぁって。だからむしろ自分のメンタルには、歌詞を量産したほうがいいんだなということを最近認識しています。
なんかね、ねずっちの「整いました!」な感じに近い(笑)。

──しかるべきところに気持ちが収まっていく感じ?

大槻:歌詞を書くと、どうしたらいいかわからない、という精神状況が整うんですね。今回も個人的には「I,頭屋」「ゾンビリバー~Row your boat」「セレブレーションの視差」あたりはかなり箱庭療法的かなと思いますね。逆に「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」は箱庭療法的というより、珍しく自分の思うところを把握して書いています。常々なんで人を殺してはいけないのかを考えたりするので、これは一度歌にしたかったことで。非常に筋肉少女帯における世界観にも近い詞だと思います。

大槻ケンヂ「筋肉少女帯の30年は栄光を誇るべきものだったのか、そうじゃないのか」/インタビュー前編
撮影/コザイリサ

──「なぜ人を殺しちゃいけないのか」に限らず、今回は本当に筋肉少女帯らしさを感じる楽曲揃いですね。

大槻:今回はオカルトネタも多いかもですけど、30年総括ものも多いかも。例えば「I,頭屋」「セレブレーションの視差」なんていうのは30年間ロックバンドをやってきて「さあどうしようか?」みたいなことを歌ってるし。「ゾンビリバー~」に関しては人間の生そのものについて歌ってるんですけども。ま、解釈によっては“小さなボート”を筋肉少女帯というふうに考えることもできますよね。

──「I,頭屋」は脳内でループ再生する曲ですね。


大槻:ファンキーな横ノリですからね。僕が好きなんですよ、ファンキーなの。そういうノリもちょっとやってみたくなって。やってみたかったという意味では「パララックスの視差」もそうですね。80年代のキング・クリムゾンがギターでポリリズムを複雑に交差させて、そこにキャッチーなメロディを乗せる試みをやっていて。それを聴いて、複雑なギターのポリリズムをロバート・フリップやエイドリアン・ブリューじゃなくて、ヘヴィメタルの人が弾いたらどうなるんだろうと思って。そういうのを弾ける人が「うちのバンドにはいるじゃないか!」って思ったんですね。それでこの曲をエレキとピアノでやってくれました。長年の夢がようやく叶ってとっても嬉しいです。ありがとう。

──「マリリン・モンロー・リターンズ」もすごく好きでした。

大槻:この歌詞はちょっと若者には書けないと思います。
“女が帰ってくる日は 置いてきた猫取りに来る時だよ”っていう例えは、もうゾーッとしますよね。「ですよね……」って思う大人の男、たくさんいると思う。あと“世界の美女が帰る夜 すべての男は怯える”っていうのも、男性の女性への潜在的な恐怖心を書いているんですけど。こういうことは10代でも思うだろうけど、それを切り取ることは大人になった今しかできないなと思いました。

──それをマリリン・モンローを入り口に描いているところが、またすごく興味深いです。

大槻:マリリン・モンローというのは女性の美の象徴としてあるんだけれども。若くして死んだことによって彼女の人間性や悲しみに、あらためてみんなが注目したわけですよね。ある意味、男たちが勘違いしていた異性というものが美だけではない、人間性を帯びて、ましてや一念を伴って帰ってくる。それは怖いんですよね、大人の男には。もう「知りませんでした」としか言いようがないという。

――【インタビュー後編】歌が下手だと言われるけど、カラオケに行くと『俺上手いな』と思う(笑)
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