
近年、親と同居する中年の独身者が急増していますが、彼等に対してインターネット上で「子供部屋おじさん」というネーミングがなされ、にわかに話題になっているようです。シンガーソングライターの岡崎体育氏が自身のTwitter で「俺やんけ」と言及したこともあり、Twitterのトレンドにも入っていました。
俺やんけ
— 岡崎体育 (@okazaki_taiiku) 2019年2月26日
実家を出て一人暮らしをせずに子供部屋に住んでる「子供部屋おじさん」が増加中 - Togetter https://t.co/H8WhAbPKz0
親元で暮らしている女性も多々いるはずなのに、なぜ「おじさん」と男性に限定しているのかは不明ですが、かつて社会学者の山田氏によりなされた「パラサイトシングル」というネーミングよりもキャッチーで、「パラサイト(寄生)している」という見下したニュアンスがそれほど強くないことは間違いないでしょう。
問題視するべきは「一人暮らし力」の欠如
ただし、それでも見下す視点が無いわけではありません。娘や息子が中年になっても実家に暮らしている事情は人それぞれであるのにもかかわらず、雑に「自立しようとしないで寄生をする怠惰な子供」という見方が非常に多く目立ちました。
確かに親が亡くなった後、一人で生きていくことができないのは非常に問題です。仕事以外のあらゆることを妻に丸投げした父と同じように様々な家事を免除されて育てられ、母親に全てを依存してしまっている生活力に著しく欠けた中年男性の事例は非常に問題です。
ですが、既に一人暮らしを経験した上で、勤務地の都合で実家に戻った人もいます。自分一人で家事を一通り行う能力や、様々な契約や行政手続きをある程度行える能力等、「独りでも生活できる力」がしっかりと備わっていれば、現時点で誰と同居していようと問題無いのではないでしょうか?
問題視するべきは「独りでも生活して行ける力を予め備えておこうという意欲に欠け、生活力が著しく欠如している人」であって、実際に今一人暮らしをしているか否かではありません。そもそも、そのような力を備えたところで、経済力の問題で事実上一人暮らしが厳しい人も多々いるわけで、本人に起因する面以上に社会構造に起因する側面も大きいように思います。
一人暮らしの機会を奪った非正規雇用社会
では、なぜ経済力の問題で一人暮らしが難しくなったのかと言えば、言わずもがな非正規雇用労働者の増加です。非正規雇用の労働者の平均所得は正規雇用の労働者の約4割に過ぎず、一人で家を借りると家賃が家計を逼迫することは間違いありません。
地方であれば、家賃の安い地域も十分にありますが、逆に雇用が大幅に少なくなりますし、実家で暮らすよりもアクセスや生活環境が悪化する可能性も十分にありますから、親元に住むのは経済的に合理的な選択です。
ただし、正確には、非正規雇用の労働者の増加そのものが問題の原因ではありません。本来それに伴って家賃も同程度下落すれば、非正規雇用の労働者でも一人暮らしをすることは十分に可能ですから。正確に言うと、「所得の低下に比べて家賃の下落が及ばなかったこと」が原因です。
問題視するべきは「所得と家賃のバランス」
つまり、ここで問題視するべきは「可処分所得と家賃のバランス」です。たとえば、家賃が東京の約2倍とも言われる香港では、たとえ正規雇用の労働者でも実家から通う若者がとても多いと言われています。
香港人の一人当たりGDPは日本人の約1.2倍ですから、彼等が決して貧困に苦しんでいるわけではないでしょう。それでも、あまりに家賃が高過ぎて、一人暮らしのハードルがとても高いわけです(※そもそも単身者向けのワンルームマンションの供給そのものが少ないらしい)。
香港ほどではないですが、日本の大都市部の家賃も、海外に比べてやや高い傾向にあると言われています。それゆえ、正規雇用でも親と同居する人は少なくないですし、欧米諸国よりも親との同居率が数字として高く出ているのも、高い家賃という影響もあるのではないでしょうか。近年は社会保険料の増加や奨学金の支払いによって、可処分所得が減っているという側面も忘れてはいけません。
この「可処分所得と家賃のバランス」に注目せず、「18歳過ぎたら親元を出るのが当たり前」という古い常識をもとに他人をジャッジするのは、大変ナンセンスと言えるでしょう。
就職氷河期は起きても居住氷河期は起きなかった
では、所得が暴落したにもかかわらず、なぜ家賃は暴落しなかったのでしょうか? 当たり前のことですが、物価は原則的に受給のバランスにより決まります。市場に不動産がたくさん出回っていれば価格は下落しますが、数が少なければ価格は上昇します。
日本社会は新卒採用を大幅に縮小した就職氷河期と同時に、非正規雇用転換や既存正社員のリストラクチャリングも進められましたが、それは当時空前の「人余り」で、人材の供給がダブついていたからです。
一方、不動産はバブル崩壊後も、一部の投資用を除いて暴落するほどたくさん市場に出回ることがありませんでした。なぜか。それは、保有するコストが安いために手放す必要が無く、上の世代や既得権益層が保有し続けたからです。
都市の活気存続には新陳代謝が欠かせない
ここに、成熟期を過ぎた都市の問題が大きく横たわります。つまり、上の世代や既得権益層が都市の不動産の大半を牛耳っているために、下の世代が不動産を獲得・利用することが難しくなる問題です。
この問題は今に始まったことではないですが、かつては郊外を開発することで、下の世代の需要に応えることができました。「ニュータウン」はその代表例でしょう。また、世界の様々な都市で「旧市街」が存在するのも、既得権益層ではない人々にもしっかりと「新市街」を提供することで、都市が生き残って来たことの表れです。
かつて桓武天皇は仏教勢力が牛耳っていた奈良に嫌気がさして、都を京都へと移しましたが、大規模な遷都を経なくとも都市が活気を保ち続けるためには、都市の新陳代謝が欠かせないわけです。
タワマンは日本唯一のフロンティア
ところが、今の日本はどうでしょうか? 共働き世帯の増加等による生活スタイルの変化から職住近接のニーズが高まり、郊外がフロンティアの選択肢として薄れ始めています。一方、都市部ではたまたま親の相続で譲り受けただけで経営者として能力も無い既得権益層が、不動産を保有し続けている事例は枚挙に暇がありません。
確かに臨海部や駅前のタワーマンションには若い富裕層がこぞって集まっていますが、それはタワマンが今の日本の都市部において上の世代や既得権益層が牛耳っていない唯一のフロンティアですし、そもそもタワマンを購入できるのはごく一部の富裕層のみです。
つまり、日本の都市は、タワマンを除いて既得権益の少ないフロンティアが創出されておらず、都市の新陳代謝が止まってしまっているように思います。
「空き子供部屋問題」こそ問題ではないか?
そして、上の世代や既得権益層が抱える余剰資産の中で最も典型的なものが、「子供部屋」だと思うのです。要するに、「空き家問題」ならぬ、「空き子供部屋問題」です。親や祖父母が「子供部屋」という過剰な資産を保有し、それを擁するための過剰な土地も保有・占有し続けています。
本来、子供が一人暮らしを始めた後に、親も居住人数に合った一回り小さいサイズの家に引っ越せば、その分市場に出回る不動産の総面積は大きくなります。不動産の価格も値下がり圧力を受けて、下の世代は取得や利用がしやすくなるはずですが、現状の日本では親は同じ家にずっと住み続けるケースが大半です。
つまり、今回の「子供部屋おじさん」の問題をマクロに見ると、本来市場を通して子供の世代に提供されるべき不動産が、祖父母や親が子供部屋として保有し続けてしまっているために市場に出ず、それが家賃や不動産価格を高止まりさせており、結果として子供にとっては市場で居住を確保するよりも、自分の親からスペースを借りて同居するほうが圧倒的に合理的な選択になるというわけです。
固定資産税は「ROA基準の逆累進」を希望します
では、どうすれば、上の世代や既得権益層が「子供部屋」を始めとする余剰資産を手放し、都市の新陳代謝を促すことができるでしょうか? もちろん相続税の強化も必要ですが、それでは「死亡」を待たねばならないので、やはり固定資産税等の資産税強化が不可欠でしょう。
ただし、単に課税を強化するのではなく、付加価値や雇用を生んでいないのにも関わらず、いつまでも資産を保有し続けている既得権益層・富裕層に限って課税を強化する案を提唱しています。
具体的には、固定資産税は「ROA(総資産利益率)」が低い人(保有資産を活かして利益を生み出すことのできていない人)ほど高い税率を課すことで、より大きな付加価値や雇用を生む人たちに資産が回るようにするべきだと思うのです。また、居住用の土地や建物に関しては、面積を居住人数で割り、一人当たりの資産を算出することで、過剰な部屋数を有する不動産はなるべく手放してももらうようにするべきでしょう。
経済格差是正もストックへの課税強化で
ちなみに、私は「経済格差是正はフローへの課税よりストックへの課税を強めることでなされるべきだ」と考えており、一部を除き所得税の増税は反対です。所得増税では付加価値や雇用を生む能力のある経営者たちが、今以上に日本から流出してしまいますし、それではますます既得権益の強化に繋がりかねません。
ですから、都市の活性化も経済格差是正も「既得権益層を限定した課税強化」をメインにするべきだと思います。既得権益層が圧倒的多数を占めるようになった日本の民主主義においてそれが実現できるかはかなり怪しいところですが、それをしない限り、この国が衰退の一途から脱することは無いと思うのです。
(勝部元気)