いよいよ平成もきょう4月30日をもって終わりを迎える。いまから30年前の1989年、元号が昭和から平成に改まってまもなくして、「さらば昭和よ」というシングルレコードがリリースされた。
作曲と歌唱を務めたのは、「高校三年生」「北国の春」など数々のヒット曲を生み、没後には国民栄誉賞も受賞した作曲家の遠藤実である。

ライターでレコードコレクターとしても知られる、とみさわ昭仁の新刊『レコード越しの戦後史』(Pヴァイン)では、「さらば昭和よ」が次のように説明されている。

《A面「さらば昭和よ」では、傷ついて泣き、喜びに沸いた昭和の日々を哀切たっぷりに歌い上げている。一方、B面「平成日本音頭」ではガラリと調子を変え、希望あふれる新時代の到来を音頭のリズムで言祝いでいる》

はたして平成の時代は、このレコードのB面「平成日本音頭」で期待されたように、希望あふれるものになっただろうか。
「A地点からB地点まで」平成の終わりに名盤・珍盤で振り返る『レコード越しの戦後史』
エキレビ!でもおなじみのライター・とみさわ昭仁による新刊『レコード越しの戦後史』(Pヴァイン)。カバーの裏見返しの著者の写真がすごく気になるのですが……本書の第8章「モナリザ来日」と何か関係があるのかも!?

ザ・ぼんちのヒット曲はあの事件を歌ったものだった!?


『レコード越しの戦後史』は、昭和20年(1945)の敗戦から昭和が終わるまでに起こった事件や流行などを、その題名どおりレコードを通してたどったものである。あくまで出来事ありきなので、本書でとりあげられるレコードには、「リンゴの唄」や「岸壁の母」など戦後歌謡史でおなじみの大ヒット曲もあれば、先の「さらば昭和よ」のように大作曲家が手がけながらも知る人ぞ知る曲もあるし、さらには自主制作のため一部にしか出回らなかったマニアックな曲まで、じつに幅広い。そのセレクトはバラエティ豊かというか、アナーキーですらある。

本書には、“世界のホームラン王”王貞治の「白いボール」など、レコードマニアのあいだでは有名な曲も出てくるが、こうして戦後史という文脈に置かれるとまた違った印象を受ける。その意味で意表を突かれたのが、ザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」だ。

1980年代初めのマンザイブームの立役者の一組であるザ・ぼんち(ぼんちおさむと里見まさとによるコンビ)は、昭和56年(1981)にリリースしたこの曲の大ヒットにより、日本武道館でコンサートまで開いた。同曲には、彼らの持ちネタであるワイドショーでのレポーターと司会者のやりとりが織り込まれ、流行語にもなった「そ〜なんですよ川崎さん」「ちょっと待ってくださいよ山本さん」というフレーズも登場する(ちなみに「川崎さん」「山本さん」とは、テレビ朝日の往年のワイドショー「アフタヌーンショー」の司会者の川崎敬三とレポーターの山本耕一を指す)。本書によれば、同曲の歌い出しの「A地点からB地点まで行くあいだに」とは、何と、かの「疑惑の銃弾事件」の報道のパロディだという。

「疑惑の銃弾事件」とは、「ロス疑惑」とも呼ばれた事件で、昭和56年、輸入雑貨商を営む夫婦が米ロサンゼルスを旅行中、何者かに銃撃されたことに端を発する。
銃撃により妻は重体となり、翌年に死亡した。彼女の回復に全力を注いだ夫は“悲劇の人物”として注目された(先の「A地点からB地点まで行くあいだに」は、ワイドショーでその銃撃現場を検証する際に頻出した言葉だった)。だが、その後の報道で、夫に対し保険金殺人の疑いが浮上し、メディアをにぎわせることになる。彼は昭和60年には殺人未遂容疑で逮捕(のちに殺人と詐欺容疑で再逮捕)されるが、結局、検察は被告の事件への関与を立証できず、平成15年(2003)に最高裁で無罪が確定している。

日本人は事件やブームが起きるたびレコードを出してきた


『レコード越しの戦後史』を読んで気づかされるのは、日本人は何か事件やブームが起こるたびにレコードを出してきたという事実だ。たとえば、昭和47年(1972)の日中国交正常化により、中国から日本にパンダが贈られ、ブームが起こった際には、パンダにちなんだレコードが何枚もリリースされた。あるいは、新幹線が開通すると、それを記念したレコードがご当地ゆかりの歌手などによって歌われた。昭和57年(1982)に東北、上越新幹線があいついで開通したときには、それぞれ沿線の宮城出身の新沼謙治が「夢の東北新幹線」、新潟出身の林家こん平が「乗んなせえや音頭」をリリースしている。

芸能史を振り返ると、講談の世界では明治期に入ると時事ネタを扱った演目が生まれ、「新聞講談」として人気を博したという。また、明治時代の自由民権運動では、民権活動の壮士のなかから、政治や時事を歌で批判する者が現れた。こうした歌は演説に対し「演歌」と呼ばれ、それを歌う壮士は「演歌師」と称されるようになる。昭和の初めごろまで、盛り場や街頭では演歌師がバイオリンやアコーディオンなどを弾きながら、世相を風刺した歌をうたい、そのなかからは「復興節」など世間で広く歌われるものも生まれた。
思えば、こうした時事ネタを扱う芸能の系譜は、昭和の戦後においてもレコードという形で脈々と受け継がれてきた、ともいえそうである。

だが、この系譜も、音楽メディアがレコードからCDへと切り替わるタイミングで消えた……と、つい言いたくなるが、そう断言してしまうのは早計かもしれない。なぜなら、CD、さらにはその後のITの発達により、楽曲の制作も流通もレコード時代以上に容易になったからだ。とすれば、『レコード越しの戦後史』に出てくるような歌も、インディーズCDやネット配信などといった形で、どこかでまだ息づいている可能性はあるだろう。これについてはぜひ、次代のマニアや研究者に託したい。
(近藤正高)

『レコード越しの戦後史』目次
はじめに/第1章 終戦からの復興/第2章 国民のヒーロー/第3章 戦争の忘れ形見/第4章 高度成長の時代/第5章 多様化する家族のあり方/第6章 戦後事件史/第7章 流行あれこれ/第8章 国外からのお客様/第9章 まだ見ぬフロンティアへ/第10章 昭和の終わった日/あとがき/参考文献
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