L⇔R・黒沢健一さんの急逝に亀田誠治ら同世代ミュージシャンから追悼コメント、才能を惜しむ声が続々

7日、L⇔Rの黒沢健一さんが脳腫瘍のため5日に逝去していたことが黒沢の公式サイトで発表された。48歳だった。



黒沢さんは10月に脳腫瘍で療養中であることを公表していた。通夜および葬儀は近親者で執り行われ、後日ファンに向けたお別れの会が開催される予定になっている。



黒沢さんが在籍していたグループ・L⇔Rは1990年に結成した4人組バンド(嶺川貴子は1994年に脱退)。1995年5月に発表したシングル「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」がオリコン1位を獲得したほか、「HELLO,IT’S ME」「BYE」などのヒット曲を持ち、1996年には武道館公演も開催している。



1997年の活動休止後はメンバーはソロ活動をしており、デビュー25周年を迎える今年は「L⇔R25周年プロジェクト」が始動し、来年には武道館ライブの初DVD化やオリジナルアルバム8作のリマスター盤発売が予定されている矢先の出来事だった。



黒沢さんの公式サイトにはL⇔Rのメンバーからのコメントが記されている。またTwitterでも黒沢さんの逝去を惜しむ声は、ファンのみならず多数のミュージシャンから寄せられている。



・黒沢秀樹
「【大切なご報告】L⇔Rのリードヴォーカル、僕の実兄である黒沢健一は5日の深夜、夜明けを待たずに旅立ちました。L⇔R、そして兄の音楽を愛してくれたみなさん、本当にありがとうございました。」



佐藤竹善(Sing Like Talking)
「黒沢くん、才能満載な人だったなぁ… 哀悼」



・堂島孝平
「黒沢健一さんをとても尊敬していました。健一さんの曲を聴いて、魔法のようだと何度思ったことか。同郷のよしみで2人でライヴをやれたり、健一さんの家に遊びに行けたりして本当に嬉しかった。シャイでちょっと不器用で、そんなところも大好きでした。

また一緒に歌いたいです。ただただ悲しい。」



・浜崎貴司(FLYING KIDS)
「黒沢君とは音楽を通じ、心を通わせた友でした。今年の3月、メールでやりとりしたのが最後となってしまいました。その時も、また一緒に歌いましょう、と書いてくれました。それが叶わなくて残念です。」



高野寛
「朝本くん、黒沢くん、同世代の旅立ちは寂しいな。。。」



亀田誠治
「黒沢健一さんのご冥福を心よりお祈りします。今から23年前、永作博美さんのデビューシングル『My Home Town』でご一緒しました。アコギ片手に『ねぇ、こんなのはどう?』って歌ってくれたのが忘れらません。最高のメロディメーカー、最高のシンガー、最高のロッカーでした。やすらかに。」



・千秋
「L⇔Rの黒沢健一さんに作曲して頂いた、chiakiソロデビュー曲のカップリング、『カナリア』はわたしにとって大切な曲です。ソロをやる当時、ポケビの二人に向けて歌った曲。

今じゃ、歌を忘れたカナリアだ。歌わなくちゃ。」



青山陽一
「黒沢健一君とは10年ちょい前に彼が石田ショーキチ君とやってたMOTORWORKSと対バンで一度ご挨拶しただけだったんですが、ポップの権化みたいなグレイト・シンガーでしたよね。この若さで逝かねばならん無念を思うと、生きて頑張れる人間はしっかりやっていかねばと思うです。」



田島貴男(ORIGINAL LOVE)
「黒沢健一くん。デビュー当時LRの音楽を聴いてました。ご冥福をお祈りします。」

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