話題の芸人にインタビューする不定期連載「このインタビューはフィクションです」。タイトルの通り、半生や今後の目標を聞きながらも、ゲストにお願いするのはひとつだけ。
「本当のことは言わないでください」。

初回のゲストは昨年の「M-1」で決勝進出し、その名を一気に全国へと知らしめた真空ジェシカのボケ担当・川北茂澄。本人は慶應義塾大学出身で、相方のガクは青山大学出身の高学歴コンビ。朝の情報バラエティ『ラヴィット!』(TBS系)でもギャグを炸裂し、爪痕を残している。一風変わったインタビュー、回答の真偽は気にせずに、ゼロタイムで返ってきたアドリブの答えを純粋にお楽しみください。

【写真】インタビューを受ける真空ジェシカの川北茂澄

──川北さんのご出身はどちらになるんでしょうか?

川北 神奈川の鎌倉ってわかりますか?

──はい。

川北 雪を固めて作った。

──あ、そっちのカマクラですか。家族何人で住んでいたんですか?

川北 父親が3人いて、母親が10の6乗人いました。実際に数えたことはなくて、数字で見たことしかないんですけど。

──お父さんには3人とも会ってるんですよね。

川北 はい。
今日も父の運転するトロッコに乗ってここまできました。

──優しいお父さんですね。

川北 兄弟がいないので、父に遊んでもらっていたんですけど、途中からどっちが親でどっちが子どもなのかわからなくなることもあって。

──それくらい目線を下げて遊んでくれた。

川北 優しいので、寸分違わず同じ目線になってくれました。高さは割とすぐに合うんですけど、目の幅が違うので距離を取りながら微調整して……。ちょっとずれていると「違う!」と叱る厳しさもありました。

──その頃はどんな遊びをしていたんですか?

川北 もう時効だと思うんですけど、モノを盗んだり。

──子どもなので、駄菓子屋で万引きみたいな。

川北 USBメモリを使って企業のデータを盗んでました。大人が喜んでくれたので。

──笑顔が見たかったんですね。
小学校に入ると同級生と遊ぶようになったんじゃないですか?

川北 そうですね。でも、卒業した時にクラスメイトをよく見たら人形だったんです。あぁ、僕は人形としゃべっていたんだと。

──卒業した時に目が覚めたんでしょうか。

川北 かなり精巧にできていたので、僕がおかれた環境がおかしかったというより、人形を褒めてほしいですね。

──ポジティブな捉え方。

川北 人形のほうがビックリしていたと思うんですよ。僕のことも人形だと思っていたのに、本当は人間だったんだって。むしろ僕のほうがおかしかったのかもしれない。

──中学生の時、部活には入ってましたか?

川北 避難訓練部といって、いかに早く避難することができるか競う部活に入ってました。校内に「壁抜け」ができる場所があって、ポリゴンの隙間を探すように、校舎の壁にみんなで体当たりしていたんです。

──成功率は?

川北 かなり低かったですよ。
3年生になるといいところまでいって、先輩の中には体が半分壁に埋まったまま卒業を迎えた方もいました。卒業したくない気持ちがそうさせたのかもしれません。

──高校も避難訓練部でしたか?

川北 避難訓練部がなかったので、学校に行かなくなったんです。そうなると不思議なもので、高校のほうから来るようになるんですよ。

──概念としての高校が?

川北 いや、建物そのものが。

──なるほど。学校ではどう過ごしていましたか?

川北 壁抜けの癖が抜けなかったので、友達もいなかったし、休み時間はひとりで校舎に体当たりしてました。その高校は最近では珍しく壁抜けできなくて。

──珍しいんですか?

川北 最近の学校はどこも壁抜けできると思います。その高校では壁抜けしようとすると、周りの生徒から怖がられました。ある日、体当たりしている僕を止めようと、壁と僕の間に入ってきた生徒がいて。僕はその生徒を抜けてしまい、今も重なっている状態なんです。
僕のほうがメインで生活しているので、その人には申し訳ないと思ってます。

──学生時代に影響を受けたテレビ番組ってありますか?

川北 金曜ロードショーが好きでしたね。

──毎週違う映画をやっていますが、特にお気に入りの作品は?

川北 シルクハットを被ったおじさんが映写機を回しているシーンは、今でも繰り返し観てます。

──映写機を回しているシーンが、今の真空ジェシカにつながっているんですね。

川北 漫才中によく映写機を回す動きをしています。

──芸人を志すきっかけを教えてください。

川北 僕が芸人になった頃って、職業が限られていたんです。狩猟、稲作、芸人くらい。「だったら芸人かなぁ」という消去法で選びました。

──相方とはどんな形で出会ったんでしょうか?

川北 もともと1人の人間だったんですけど、マンモスに追いかけられて逃げていた時、短い樹にブツかって2人に分かれて。

──そうでしたか。

川北 いや、その時は僕と同じ顔が2人になったので、1度ひとりの自分に戻ったんだ。
もう一度2人に分かれたら、今度は自分と違う見た目のヤツが出てきて、「コイツとひとつになるのは嫌だな」と思って放置しました。それがガクです。同じ顔が2人に分かれたままコンビになったケースがダイタクです。

──真空ジェシカは人力舎からスカウトされたそうですが。

川北 脚力を買われてスカウトされました。マンモスを獲れるような足の速い男が重宝される時代でしたから。

──変わったライブに参加したことはありますか?

川北 人力舎の芸人は必ず経験させられるライブがあって。マネージャーから「チケットを買って劇場に来る人は笑いに来ているんだから、お客さんを笑わせることは簡単だ。知らない人の家に突然入って、その家族を笑わせなさい」と言われるんです。さらに、「家に入ったら一度迷惑をかけなさい」と。マイナスから笑いに変える力を試されるんです。

──事務所の先輩たちは経験してきたんですね。


川北 本田兄妹さんだけはやらなかったみたいです。

──川北さんはどんな迷惑をかけたんですか?

川北 火をつけて、消火器の前でネタをやりました。ネタを見てから消化してほしいと思って。よく笑ってくれました。

──昨年12月、M-1グランプリ2021決勝に進出しました。1本目はどんなネタでしたっけ?

川北 「柔道みたいなことをしようぜ!」と言って3分くらい柔道をして、「『柔道みたいなことをしようぜ!』といったのに柔道するなよ!」とツッコまれるネタでした。審査員の方からは「漫才ではなく柔道に見える」と指摘されて。

──それが原因で最終ラウンドには進めませんでしたが、2本目はどんなネタをやる予定だったんですか?

川北 『マリオパーティ』をしたかったです。

──M-1後、環境に変化はありましたか?

川北 たくさんの方が観ている番組ですから、街を歩いていても「今田耕司さんですよね?」と声をかけていただくようになりました。「せやねん」と答えてます。

──忙しいとは思いますが、休みの日は何をしていますか?

川北 友人と映画を観に行くことが多いですね。

──最近観た映画で印象に残っている作品は?

川北 シルクハットを被ったおじさんが映写機を回している作品です。

──最後に、今後の目標を教えてください。

川北 脚力を活かして「いい音」を出したいんです。ムチがしなった時の「ピシッ」という音。長嶋茂雄さんは松井秀喜さんにバッティングを教える時、「スイングの音を録音して聞きなさい」と言われて実行したように、僕も走っている時の音を録音して聞いているんですけど、「フオッ」という鈍い音がするだけ。今後、「ピシッ」という音を出せるように頑張ります。

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