90年代、アイドルレスラーとして高い人気を集めていた工藤めぐみ。引退してから今年で25年、現在はプロレス団体『ZERO1』のゼネラルマネージャーを務めている。
6月15日には、彼女のテーマ曲だった『ワン・ウェイ・ハート』も収録されているプロレスのお宝テーマ曲を集めた異色のCD『プロレスQリターンズQueen』がリリース。レスラーにとって「入場テーマ曲」とはどういう存在なのか。今だからこそ語れる、テーマ曲に込めた思いを聞いた。また、5月29日に急逝したFMW時代同じリングに上がっていたターザン後藤氏への追悼の気持ちも語ってもらった。

【写真】有刺鉄線デスマッチ、電流爆破デスマッチを女子で史上初体験・現役時代の工藤めぐみ

プロレスラーとは引退と復帰を繰り返すもの、である。

1983年8月に人気絶頂で引退したテリー・ファンクがわずか1年3カ月で復帰してしまった案件がきっかけとなり、日本人選手でも復帰するケースが増えた。

そのことはけっして否定しない。特に怪我が原因で引退を決意した場合、手術やリハビリを経て、数年後にコンディションが整ってしまった場合、またリングに上がりたい、と考えるのは仕方がないことだと思うからだ。

だが、頑なに復帰をしないプロレスラーもいる。「邪道姫」と呼ばれた工藤めぐみもそのひとり、である。

1997年4月29日、横浜アリーナでおこなわれたノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチを最後に、工藤めぐみはリングを去った。

あれから、今年でちょうど25年。
四半世紀に渡って、彼女はプロレスラーとして復帰していない。当たり前のことなのかもしれないが、いまだに根強い人気を誇っている(ここ数年だけでも何度かイベントで共演させていただいたが、その集客力にはちょっとびっくりしてしまった)工藤めぐみが一度たりとも復帰していないというのは、じつはものすごいレアケースなのである。

工藤めぐみの場合、もちろん過酷なデスマッチで満身創痍ではあったが、大きなケガや病気が理由で引退をしたわけではない。すべてをやりきった、という充足感を抱いての引退。そして、過去に全日本女子プロレスに入団し、2年足らずで退団してしまったという経験から「二度目はない」という自身への戒めもあって、プロレスラーとしてリングに戻ることをよしとしなかった。

「だから、ちょっと体調を崩したりすると『あぁ、現役時代じゃなくてよかったなぁ~』っていまだに思いますよ。しっかりとプロレスラー人生を駆け抜けることができて、本当によかったです」

そう語ってくれた工藤めぐみ。現在、彼女はプロレス団体『ZERO1』のゼネラルマネージャーを務めている。だからタイトルマッチセレモニーのときや、なにか大きなインフォメーションがあるときにはリングに上がることもあるのだが、そこで現役時代と大きく違いを感じたのが「入場テーマ曲の響き」だという。

「現役時代はそれこそ毎日、聴いていましたけど、引退したらまったく聴く機会がなくなるじゃないですか? でも、ゼネラルマネージャーとしてリングに上がるときにかけていただくと『うわぁ~!』って、当時の思い出がイッキに甦ってくるんですよ。試合前の緊張感だとか、あのころにあった出来事とかが音楽で引き出されるんですよね。

でも、あくまでも『懐かしい』であって、現役時代に全身に響いていた感覚とはまったく違う。
曲自体は同じものなのに、なんか不思議ですよね」

プロレスラーにとってテーマ曲はとても大事なもの。もはや一心同体といっても過言ではないが、団体から与えられた楽曲をそのまま使っている選手もいれば、自分が好きなアーティストの楽曲を持ってくる選手もいる。長州力のように1曲だけで現役時代を通してしまうトップレスラーもいれば、武藤敬司のように数年間という短いスパンで、その時々の自分のイメージに合わせてテーマ曲を変えていくスタイルもある。

「私は最初にFMWのリングに上がったときは、ほんの数試合だけですけど『デンジャーゾーン』を使っていました。当時、トム・クルーズがすごく好きで、はじめて買ったビデオも『トップガン』だったので、その流れですね(笑)。本当にちょっとしか使っていないので、その入場シーンを見たことがある方ってものすごく少ないと思います。

そのあと、しばらくボン・ジョヴィの『I’ Die For You』を使っていました。これは一度、プロレスを辞めていたときに気にいった曲。だから、私のテーマ曲は自分の歴史にいろいろとリンクしているんですよね。

そして、オリジナルのテーマ曲を作りましょう、という話になって『どういう楽曲がいいですか?』ってスタッフさんに聞かれたんですけど、私は『哀愁のある曲がいい』って。明るく元気な応援歌ではなくて、ちょっと陰があるような曲がよかったんですよね。ただ、あんまり音楽の知識もないし、うまくテイストが伝えられなかったので、最後はずっと使っていたボン・ジョヴィの曲を聴いてもらって『こんな感じで』って(笑)」

こうして制作されたオリジナルテーマ曲『ワン・ウェイ・ハート』は引退試合まで使い続けられた。
ハードなデスマッチに臨むときには、テーマ曲の哀愁感が非常にマッチした。そして、現在もリングに登場するときにはこの曲が使われている。ちなみにアイドル人気が沸騰したため、歌手としても『キープ・オン・ランニング』という楽曲をリリースしており、そのカラオケバージョンが入場時に流されたこともあったが「あの曲は自分で作詞をしたりして思い入れは深いんですけど、まさか入場テーマとして使われるとは思っていなかったのでちょっと恥ずかしかったです」とのこと。その反動から『哀愁のある楽曲』というリクエストにつながったのかもしれない。

「テーマ曲の大事さはプロレスラーとしてはもちろんですけど、私はファン心理でもわかるんですよ。曲が流れた瞬間の『わーっ!』ってなる感覚もわかるし、とても重要だなって。レスラーそれぞれの想いが楽曲に詰まっているし、プロレスラーの要素のひとつとして、テーマ曲は組みこまれているんだと思います」

自分の中に組みこまれているからこそ、引退したいまでも自身のテーマ曲が流れると、DNAが騒ぎ出すのだろう。ある意味、テーマ曲はプロレスラーと観客をつなぐ「わくわく」の源であり、元気を呼び起こすリズムなのである。

6月15日にリリースされるプロレスのお宝テーマ曲を集めた異色のCD『プロレスQリターンズQueen』には、彼女のテーマ曲だった『ワン・ウェイ・ハート』も収録されている。引退から25周年という節目の年を記念しての収録で、音盤化されるのもそれこそ25年以上ぶりのこと。前述のとおり、いまでもリング登場時には流されているので、ある意味、現在進行形のテーマ曲であることを考えると非常に貴重なCD化となる。

だが、工藤めぐみにとって辛い日々が長らく続いている。


5月29日にかつてFMW時代に同じリングに上がっていたターザン後藤さんが肝臓がんで急逝。女子部を管轄していた存在であり、日本初の男女混合タッグマッチで対戦もし、歴史に名前を刻んだ相手でもあった。

「本当にびっくりしました。私だけでなく、ほとんどの方が後藤さんを『強さの象徴』だと思っていたじゃないですか? 死とか病気とかのイメージといちばん遠くにいる方でしたし、闘病されていたこともみんな知らなかったので……。

FMW時代はいろいろぶつかり合ったこともありましたけど、正直な話、いま、こうやってプロレスに関わらせていただいている中で『あぁ、ここに後藤さんがいてくれたらなぁ~』ということは何度もありました。田中将斗選手(FMW出身で現在はZERO1に所属)の周年興行にも出ていただきたかったし、後藤さんがいてくれたら、すごいカードが組めるのにな、という局面は何度もありました。結局、後藤さんの強い意志に私たちが勝てなくて、出場していただくことは叶わなかったんですけど……大谷晋二郎選手の試合中のアクシデントもありましたし、昨年から本当に辛いことが立て続けにありすぎて……」

じつは昨年10月、工藤めぐみの最愛の夫にしてプロレスラーの非道さんが亡くなった。まだ51歳という若さだっただけにショックと喪失感も大きなものだった。

「もう感情がコントロールできなくなって、なんでもないときにボロボロ涙が出てきたりする日々が続きましたね。いままで年齢的にもあんまり生とか死とかについて考えてこなかったから、どんな気持ちになるのか考えもつかなかったんですけど、哀しいってレベルの問題なんかじゃないんですよね。もっとなにかしてあげられなかったのかな、という後悔ばかりがいつまでも押し寄せてきて……だから、こうやってお仕事をしていてよかったなって思いますね」

現役引退から25年。人生最大の悲しみを乗り越えて、邪道姫はかつての戦場だったリングにゼネラルマネージャーとして今も上がり続けている。
もちろん試合をすることがないが、そこには彼女の人生における闘いが存在すると考えたら、本人の希望で哀愁のある旋律で構成されたテーマ曲が、心に染みてくる。この曲はプロレスラー・工藤めぐみのテーマ曲という括りを飛び越えて、人間・工藤めぐみのテーマ曲に昇華したのかもしれないーー。

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