平成のアイドルカルチャーを振り返るインタビューの2回目。今回は2010年頃に始まった“アイドル戦国時代”について。
AKB48とPerfumeが国民的アイドルへと上り詰める一方で、日本各地で新たなアイドルグループが続々と誕生したアイドル戦国時代。その一大ブームを、ファン、ビジネスの両面で支えてきたタワーレコード社長嶺脇育夫氏に振り返ってもらった。
──アイドルシーン全体の盛り上がりを感じたのはいつ頃でしょうか。

嶺脇 まずアイドル戦国時代の前にPerfumeの日本武道館公演(2008年11月6日・7日)が1つの到達点というか、秋葉原の地下からメジャーに行くまでの物語を目の当たりにできたんです。当時、僕はハロー!プロジェクト(以下、ハロー)の現場に通いつつ、Perfumeに熱量を感じていた時期でした。それと並行しながら、Perfumeのおかげで地方アイドルにも目が向いたんです。たとえば、広島のまなみのりさとか。

──まなみのりさはPerfumeと同じアクターズスクール広島出身の後輩グループですね。

嶺脇 他にも可憐Girl’sの中元すず香ちゃん(BABYMETAL、元さくら学院)だったり、アクターズスクール広島が熱かったんですよね。あと結成は2003年ですけど、その頃あたりからNegiccoを追い始めました。その一方で、ボンブラ(BONBON BLANCO)が2009年、メロン記念日が2010年に解散するなど、2000年頭ぐらいから活動していたアイドルグループが終わる時期とも重なっていたんです。

──1つの時代が終わりつつも、新たな始まりも感じていたと。


嶺脇 2009年は地方アイドルの盛り上がりを感じつつ、ももクロ(現ももいろクローバーZ)が『ももいろパンチ』でインディーズ・デビューするんです。そして伝説となっている全国各地のヤマダ電機を回るツアーを行いながら、同じ年に『未来へススメ!』もリリースする。

──その年に有安杏果も加入します。

嶺脇 そして翌年の2010年には『行くぜっ!怪盗少女』でメジャー・デビューをして一気にヒートアップしました。当時、僕は現場に通っていた訳ではないんですけど、ヤマダ電機ツアーなどをネット配信で観て、ファンと一緒に地下からメジャーへと駆け上がっていくももクロに熱いものを感じていました。当時は、今のももクロでは考えられないような、むちゃくちゃなこともしてましたね(笑)。そして年末に日本青年館で「ももいろクリスマス」を開催するんですが、それは僕も観に行きました。

──ももクロにとって初のホールコンサートですね。

──2010年は「TIF(TOKYO IDOL FESTIVAL)」がスタートした年でもあり、ももクロも参加しました。

嶺脇 個人的にTIFではさくら学院との出会いもありましたね。1回目のTIFは品川ステラボールで開催でしたけど、緩い雰囲気で楽しかったんですよ。あとこの年で印象的なのは8月30日・31日に東京・渋谷C.C.Lemonホール(現渋谷公会堂)で開催された「アイドルユニットサマーフェスティバル2010」です。


──ももクロ、SKE48スマイレージ(現アンジュルム)、bump.yの4組が出たアイドルフェスですね。

嶺脇 そのときの目的はSKE48だったんです。当時の雑誌『BUBKA』がやたらとSKE48を推していたので、どんなもんなんだろうと気になって(笑)。初日は、ももクロがトップバッターで、ガーッと盛り上げて、「ああ、ももクロらしいな」と。2番手のbump.yは周りに流されないというか、詩の朗読をしたり他のグループとは違うスタンスで出てきて雰囲気を一変させたんです。3番手がSKE48で前評判通りのパフォーマンスを行い、最後に出てきたスマイレージがガチで他のグループと勝負してましたね(笑)。そのときに我が軍やっぱりすごいと思ったんですが、実は、その4カ月前、同じ場所でスマイレージの(福田)花音ちゃんがMCで“アイドル戦国時代”と言っていたのを聞いたんです。ハロー!が戦国時代の先頭を取りに来るって、期待感が高まりましたよね(笑)。2010年はBiS結成の年でもあり、Negiccoが「エリア・アイドルNo.1決定戦『U.M.U AWARD 2010』~全国アイドルお取り寄せ展~」で優勝して初代チャンピオンになった年でもあります。あと僕にとって重要なのは、4年ぶりにモーニング娘。のオーディションが開催されたことです。
このオーディションでアクターズスクール広島出身の鞘師里保ちゃんが加入したことで新しい風が吹き、今のハロー!に繋がる快進撃が始まるんです。

──なぜ一斉にアイドルグループが誕生したと思いますか?

嶺脇 何と言ってもAKB48の影響が大きかったと思います。あとPerfumeの成功で地方発でも何とかなるぞという機運が高まり、いろんなアイドルグループが誕生したのも大きかったのではないでしょうか。

──2011年になると、さらにアイドル戦国時代は加速していきます。

嶺脇 2011年のアイドル界でエポックだったのは、ぱすぽ☆がメジャーデビューシングル『少女飛行』で1位になったことです。楽曲の良さはもちろんですが、アイドルとファンが1つになることでトップを獲れることが可視化されたんですよね。チャートの上位になることで世間の注目を集められるというのが機能していたので、AKB48が握手会で有名になった手法を、地下やローカルのアイドルグループもやり始めて、その大きな成果がぱすぽ☆だったと。ただ、その後プロモーション計画をどう立てていくかを考えるのは大変だろうなとは思いました。

──いきなり首位だと、その後のストーリーも描きにくいですからね。

嶺脇 次の目標に向けて徐々に上がっていくのが物語としては面白いんですよね。

──この時期は楽曲のクオリティも格段に上がりました。

嶺脇 アイドルの楽曲が多様化しましたよね。
それによって幅広い層に受ける間口が広がったと思います。

──タワーレコードのアイドル専門レーベル「T-Palette Records」の設立も2011年です。

嶺脇 「アイドルがきてる」という流れを現場スタッフが感じたんでしょうね。「アイドルレーベルをやりたいんです」という企画が上がって来たんですけど、「大変だからやめた方がいい」って言ったんです。そんなやり取りが何度かあった中で、「強いて挙げるとしたら誰がいいですか」と聞かれたので、「Negicco」と答えたんです。当時の音源は全国流通してなかったですからね。そしたら勝手にスタッフがNegiccoの事務所に連絡して、「向こうもやりたいと言ってます」と事後報告を受けて(笑)。またタイミング良くバニラビーンズの話もあったんです。

──タワーレコード新宿店が「NO MUSIC, NO IDOL?」というメッセージの下、ポスターやインストアイベントなどアイドルコラボを始めたのも2011年です。

嶺脇 これは新宿店の店長がオリジナル企画としてやりたいってことで始めたものです。もともと店長はアイドル好きではなかったんですけど、トマパイ(Tomato n’ Pine)のインストアで曲を聴いて「カッコいい!」ってことでアイドルを追い始めたんです。タワーレコードのスタッフを見て感じるのは、先ほどもお話しましたけど音楽の多様性が独自性となって、スタッフ自身もその面白みに気づき、店頭で積極的に推してくるようになった。
同時にアイドルのファン層もどんどん広がっていきました。あと、いろんなアイドルが、いろんな音楽性で活動していたことが大きかったですね。

──2012年にはタワーレコード主催のアイドルイベント「POP’n アイドル」も開催します。

嶺脇 それまでのアイドルイベントは1グループの持ち時間が短かったんですよ。ちゃんと1グループを観るのには、どのぐらいの時間が必要かを考えた時に40~50分はいるだろうと。その尺を見せられるアイドルグループを集めて長丁場でやりたいというのがあったのが1つ。あと1つは当時のハロー!は対バンに出なかったので、出てきたら面白いなということで企画したんです。なので毎回トリはハロー!でした(笑)。

──POP’n アイドルは他にはない豪華なメンツで話題になりましたけど、開催したのは2回だけで、3回目は2年半後でした。毎回、満員御礼でしたが、どうしてやめたんでしょうか?

嶺脇 1グループが長尺でやるイベントが増えたので、こちらの役目は終わったなと思ったんです。それにしても2回目は我ながら良いイベントだったなと。トップバッターがBABYMETALで、バニラビーンズ、Negicco、さくら学院、ぱすぽ☆、そしてトリがBerryz工房
で、アンコールのゲストに℃-uteも出てきてベリキューですよ! これは今で言う“神イベ”じゃないですか(笑)。

──最後にアイドル戦国時代を総括すると?

嶺脇 やっぱりももクロのブレイクですよね。そこで、いろんな仕掛けをしていって、王者・AKB48に立ち向かっていったという構図です。そこから多くのアイドルグループが生まれて、その後、BABYMETALやでんぱ組.incなどがブレイクスルーしていった。ただ当時と比べると、CDのランキングという考え方も変わってきて、ゴールが見えにくくなってしまった気がしますね。指標となるものが、ライブ会場の規模ぐらいでしか可視化できなくなってしまった。ゴールが見えなくなって戦うのに疲れたのかなと。でもストリーミングなど新たなメディアも生まれてきているので、これまでと違うやり方でブレイクを目指せば、新たなアイドル戦国時代が始まる可能性も秘めていると期待しています。

▽嶺脇育夫(みねわき・いくお)
1967年生まれ。’88年、タワーレコードに入社。’11年、代表取締役社長に就任。同年、アイドル専門レーベル「T-Palette Records」設立。さくら学院とハロー!プロジェクトをこよなく愛する。
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