※前編から続く。
──さてAKB48のオーディションに受かったことで、とうとう東京でのアイドル生活が始まるわけですよね。
金澤 ものすごく慌ただしい毎日でした。オーディションに合格してから1週間もしないうちに上京する事になり。その短い期間の中、東京で通う新しい高校も決めました。
──苫小牧から新千歳空港まで?
金澤 東京までです。
──え~!? 引っ越しの荷物もあるから車で移動するってことですかね。ちなみに苫小牧‐東京間は、車だとどれくらい時間がかかるものなんですか?
金澤 朝方に出発して、次の日の夜に到着しました。苫小牧からだと、まずは函館に寄り、そこからフェリーで青森まで移動しました。今になって思うんですけど、なにも車で移動する必要はなかったはずなんです。そこまで荷物の量も多くなかったし、多くても郵送すればいい事ですがそれ以前も千葉のおばあちゃんの家に遊びに行くことがよくあったんですけど、そのときは普通に飛行機を使っていましたしね。わざわざ父が車で私を東京まで送ってくれたということは、そこになんらかの「目的」というか「意味」があったと思うんです。
──そういうことか。お父さんとしても、娘と2人きりでじっくりと話したかったんでしょうね。車の中では、どんな会話を?
金澤 「道を歩くときは上を向きなさい。
──そのノートは所属する事務所が用意したものではなくて?
金澤 いや、お父さんが直筆で書いたものです。内容は特別なことではなくて、「家を出るときはガスの元栓を閉めたか? そして鍵を閉めたか? この2つは必ず指さし確認すること」とか、そういう注意事項がギッシリ書かれていました。
──お父さん、めちゃくちゃ心配だったでしょうね。AKB48研究生としてのスタートはいかがでしたか?
金澤 いきなり最初のお披露目が代々木第一体育館だったんです。同期の選抜4人だけで1曲披露したんですけど……さすがに震えました。あの大会場で360度がお客さんだらけだし、客席は隙間なくギッシリ埋まっているし。それまでは自分で機材を運んで、お客さんも1人とか2人とかで、氷点下15度の中、ストーブの前で凍えていたのに。とんでもない世界に来てしまったなと愕然としました。
──AKB48時代の金澤さんは、正規メンバーでなく研究生とはいえ、かなりの人気者だったじゃないですか。
金澤 本当に恵まれていたと思います。でも、あの頃は目まぐるしく状況が変わっていくから、ついていくだけでも必死でしたね。だって、自分が想像していなかったことばかり起こるんですよ。新しい自分の衣装が次々と作られるし、会場入りした段階ですぐにリハーサルができるし。
──機材を運ばなくてもOKだったと(笑)。
金澤 初めて秋葉原のAKB48劇場に行ったときは、エレベーターを降りた瞬間、そこにそうそうたるメンバーがいらして。こっちからしたら、テレビの人たちじゃないですか。すごく感動しつつも、「なんなんだ、これは!?」って戸惑ったことを覚えています。
──先輩たちから刺激を受けることもありました?
金澤 改めて私が言うまでもないんですけど、高橋みなみさんはすごい方ですよ。本当にすごい。人間ではないんじゃないかと思うくらい、すごい人。
──高橋さんの背中を見ていたからこそ、のちにGEMで強烈なリーダーシップを発揮できたんですかね。
金澤 いや、とてもとても……。高橋みなみさんと比べるのは、おこがましいです。それと印象に残っているのは、AKB48の劇場公演にはアンダー制度というものがあって……。
──メンバーが病気とか仕事が忙しくて出演できない場合、代理の若手メンバーが出ることになりますよね。
金澤 それで私、前田さんのアンダーだったんです。前田さんはお忙しかったので、新曲の振り落としとかは私が代わりにやることになるんですね。
──前田敦子役だったんですか! では、奇しくも苫小牧の高校で先輩に言われた「前田敦子に似ている」という発言(※前編参照)が繋がるというか……。
金澤 運命を感じました(笑)。
──握手会も、そうそうたるメンバーと一緒に回っていましたよね。
金澤 有難いことに当時の神7の方だったり、選抜メンバーの方と一緒に全国を回らせていただいていました。柏木由紀さんと2人でレーンを組んで全国握手会をしたこともあるんですけど、そのときはたくさん刺激を受けましたね。隣で見ていても、柏木さんの対応力っていうのはちょっと尋常じゃないんですよ。柏木さんがファンの方をものすご~く大切に思っていることが、隣の私にもヒシヒシ伝わってくるんです。そういう柏木さんの様子を見ていたら、「もっと私も握手会を楽しめるはず」って考えるようになりますよね。
──金澤さんも神対応ということで評判だったらしいですからね。しかし当時はAKB48自体も飛ぶ鳥を落とす勢いでしたし、充実感もあったんじゃないですか?
金澤 それはもちろんです。まず驚くのが「自分にこんなファンの方がいるの?」っていうことですよね。握手会ひとつとっても、何十分も自分のために並んでくれていることが信じられなくて……。研究生とはいえ、AKB48の握手会は全部が個別だったので、列も時間も目に見えてわかるんです。そうすると、だんだん自分のファンの方の数が増えていくことも実感できるんですよ。ステップアップの過程がダイレクトに伝わるというか。そういう部分に私はやりがいを感じていました。
──AKB48時代は順風満帆と言っていいと思うんですけど、在籍したのは1年くらいですよね。なんで辞めたんですか?
金澤 学業です。忙しくなってあまり高校に通えなかったので。留年しそうになってしまって、一度学業に専念することにしました。
──通信じゃなくて普通高校だったんですか?
金澤 芸能系の学校の全日制のコースでした。
──10期オーディションの妹さんの件(※前編参照)もあるし、アイドルは誰でもなれるものではないですよね。そこで学業を諦めるなり、通信に切り替えるという考えにはならなかった?
金澤 もちろんAKB48の中で恵まれたポジションにいたことは、自分でも重々わかっていたんです。でも……そこはタッチ時代(※前編参照)にさかのぼるんですよね。「自分でやろうと思えば、なんでもやれる」「人生は自分次第でどうにでもなる」という考え方が私の中に染みついているんです。それは「楽観的」とか「浮かれている」っていうのとも違っていて。「自分で努力すれば、おのずと結果はついてくる」という考え方。だから一度AKB48を辞めたとしても、本気でアイドルになろうと思えば戻ることができると思っていたんです。ある意味、それは自分に対する強がりだったのかもしれないですけど。
──AKB48を辞めたけど、高校を卒業してから復帰するという選択肢は?
金澤 う~ん……辞めた時点では、ほとんどなかったです。「いずれ芸能の道に戻れたらいいな」くらいのぼんやりした気持ちは少しあったけど、それよりもとにかく目の前の勉強が大事だったので。なにしろ遅れを取り戻さなくちゃならないので、土・日もみっちり学校に通わなきゃいけないし、宿題や課題はハンパじゃなかったですし。おかげで勉強が大嫌いになりました(笑)。
──でも、結果的にはアイドルに復帰しますよね。そのいきさつは?
金澤 AKB48時代、鈴木紫帆里ちゃんというメンバーとすごく仲がよかったんです。今でもすごく仲がいいんですけど。その紫帆里ちゃんは、私がAKB48を辞めてからもほぼ毎日電話をくれていたんです。それに「ゆうちゃんのファンの人が会いたがっているよ」とか「10期ファンの人が懐かしがっているんだよ」とか、握手会があるたびにファンの方からのメッセージを伝言してくれて。そういうことを聞くと、やっぱり考えちゃいますよね。「こんな私のことを、まだ待ってくれている人がいるのか……」って。
──それはたしかに心がザワつくでしょうね。
金澤 で、そんなある日、事務所の方から荷物が届いたんです。大きな段ボールで4箱。「ん? なんだろう?」って開けるじゃないですか。そうしたら……ファンの方からの手紙がパンパンに詰め込まれていたんです。辞めてから今までに届いた私宛ての手紙全部と、当時のスタッフさんからのメッセージが入っていて。これには、さすがに言葉を失いましたね。
──そこで闘志に火がついた?
金澤 「何があっても絶対に戻らなくちゃいけない!」って決意しました。とにかくすごい量だったから全部読むのに何カ月もかかったけど、手紙の最後は「待ってるよ」とか「また会いたいです」とか「もうちょっといてほしかった」とか、そういう言葉で締められているんですよ。その一方、鈴木紫帆里ちゃんからの電話も変わらずに毎日かかってくるわけです。「何やってるの? 戻ってきなよ。これだけ待ってくれている人がいるんだよ? 私たちだって一緒にステージ立ちたいし」って。紫帆里ちゃん自身、一度AKB48を辞めてから戻ってきているんです。
──なるほど。
金澤 私が芸能界を諦めると伝えたときも、一番怒って、一番引き留めてくれたのが紫帆里ちゃんでした。だからもちろんもう一度AKB48のオーディションを受けることも考えたんですが、ちょうどそのときに読んでいた雑誌で見つけちゃったんですよね。avex アイドルオーディション2012を。
──ここに来て、またしても運命のいたずらが! avex アイドルオーディション2012は「SUPER☆GiRLSにつづけ!!」と謳われており、iDOL Streetの3期生を応募する形式でした。
金澤 SUPER☆GiRLSのことはずっと気にはなっていたんです。というのも私は2010年のオーディションでAKB48に加入して、同じ2010年にスパガは結成されたんです。
──言わば同期のような感覚だったと。
金澤 だからスパガは気になる存在ではあったんですけど、決定的に好きになったのは『1,000,000☆スマイル』のMVでした。「なんだ、この可愛い子たちは!」ってショックを受けましたし。
──そこ、すごく重要な分岐点だと思うんですよ。その時点ではAKB48に戻るという選択肢もあったわけじゃないですか。アイドル復帰にあたって、AKB48ではなくアイストを選んだ決定的な理由というのは何になるんですか? 本当に『1,000,000☆スマイル』だけ?
金澤 ……正直、死ぬほど悩みました。AKB48を辞めて芸能界を諦めるかどうかというときより、はるかに悩みました。もう高校3年生だから、進路のこととかもリアルに考えるようになっていたんですよね。いろんな考えが浮かんできては消え、頭の中がグチャグチャになっちゃって……。もう自分1人ではとても決められないから、何回も何回も家族会議をしました。そのときも「なんでまだ17歳なのに、こんなに悩まなくちゃいけないの!」って泣きながら親に当たっていましたね。親も「そんなの自分で決めろよ」って内心では思っていたかもしれないですけど(笑)。
──「いろんな考え」というのは?
金澤 すでに出来上がっているAKB48。ゼロからスタートするiDOL Streetの新プロジェクト。まず、ここでどっちにするのかという選択があるんですよ。人数が多いAKB48に今から入って、埋もれてしまうのも嫌だなっていう気持ちも正直ありましたし。かといってavexのオーディションは、大好きなスパガのメンバーになれるというわけじゃなかったんです。あくまでもiDOL Streetの3期生オーディションだったので、その時点では先行きが不透明だったんですね。
──Cheeky Paradeが結成されたばかりで、GEMはまだ始まってもいなかったです。
金澤 あとiDOL Streetを選んだら、叩かれるだろうなっていう恐れはありました。結構それは自分の中で大きかったですね。
──えっ、なぜですか?
金澤 そりゃそうですよ! それまでのファンの方からしたら、「この裏切者!」って話になるじゃないですか。「こっちで待っていたのに、どういうことだよ!」って。私がファンの立場でも、きっとそう思うでしょうし。
──なるほど。言われてみたら、そうかもしれない。
金澤 ものすごく迷ってはいたんですけど、ゼロからのスタートも悪くないなという気持ちもあったんです。同期もいない。先輩もいない。スタッフさんもファンの方も「はじめまして」の状態。そういうところからのスタートなら、自分の力が試せるから気合も入りますし。応募の締め切りはiDOLStreetのほうが先だったんです。それで「Webでなら、まだかろうじて間に合う」というまさにそのタイミング……最終日の締め切り10分前に応募しました。
──すごくドラマチックですね。ちなみにAKB48で仲がよかった鈴木さんは、どう言っていました?
金澤 「えっ、そっち?」って(笑)。「それは予想していなかったわ」って口をポカーンとさせていました。そのあとは普通に応援してくれましたけど。
──AKB48にするか、アイストにするか? あのときの選択は今でも間違えていなかったと思いますか?
金澤 後悔は一切していないです。細かいことを言うと、あのときはAKB48のほうが募集期間が長かったんですよ。締め切りも遅かったですし。だから「iDOLStreetがダメだったら、AKB48を受ける」という作戦も考えてはいたんです。ところが予想もしていなかったことに、2次審査で顔が公開されちゃって……。その時点で、もうダメだと(笑)。
──退路は完全に断たれてしまった(笑)。
金澤 すぐ知り合いから連絡がくるようになったり、ネットニュースで大騒ぎになっているし、SNSでは批判的なコメントも目にしました。
──「あれ? これ、研究生の金澤じゃねぇの?」ってことになりますよね。予想通りの大バッシング(笑)。
金澤 予想以上でした(笑)。めちゃくちゃ落ち込みましたから。「これじゃ私、スタートすることもできないんじゃないの?」って超へこみましたね。それでもオーディションはそのまま進んでいって、ありがたいことに私は合格を掴み取り、そこで「やるしかない!」って覚悟を決めました。もう逃げることは許されないですから。
──しかし、すごい話ですよね。ハロプロに憧れて、AKB48に入って、最終的にはアイストに流れるんだから。
金澤 本当に自分でも笑っちゃいますよ。それで合格したあと、お披露目があったんですね。ステージ上から客席を見たら、AKB48時代から応援してくれていたファンの方が私を見つけて泣いていたんです。
──それは「芸能界に戻ってきてくれてありがとう!」という喜びの涙?
金澤 そうだと思います。その涙に絶対応えなくちゃいけないって私も思いましたし。ただ、一方で批判的な声もすごく大きかったです。そこでメンタルが鍛えられた部分は確実にあります。もっとも、その後もメンタルをやられるような出来事が次から次へと私の身に降りかかるんですけど……(笑)。
※後編へ続く