【前編はこちら】高知東生が初小説で転落の半生を綴る 「僕にとって覚醒剤は成り上がるための手段だった」
【写真】初の小説『土竜(もぐら)』が話題の高知東生
「変な話ですが、書いているうちにどんどん気持ちが楽になった部分はあるんですよ。書きながら何度も泣きましたしね。自分の内面を吐き出すという行為が、一種のセラピーになったのかもしれません。マスコミからは“あることないこと”どころか“ないことないこと”ばかり書かれましたし、一時は完全に引きこもり生活を送っていました。自業自得とはいえ、もう自分は何もできないし、自尊心もクソもなく絶望するしかなかったんです。たしかに僕は、すべてを失ったかもしれない。そこからもう一度やり直そうと考えたとき、自分のルーツを正面から掘り下げるのは避けられない行為だったんですよね」
それにしても重厚な文章と繊細な人物描写は、これが小説家としての処女作とは信じられないほどの完成度だ。担当編集者も「文章はやや荒かったけど、最初から表現に非凡なものを感じました」とシャッポを脱ぐ。文中、特定の固有名詞などは変更しているケースも多いが、内容自体はほとんどが実話だとか。
「鬼コーチとかスパルタなんて言う気はないけど……担当編集からは“愛のある叱咤激励”が続きましたね(笑)。原稿を送ると、返事の冒頭は誉め言葉なんです。だけど途中から『もっとこうしたほうがいい』などと的確なアドバイスに変わりまして。映画やドラマの台本ってセリフ中心に書かれているじゃないですか。役者をやっていた僕はどうしてもその感覚が抜けないから、情景の描写シーンが淡泊すぎるって指摘されたんですよ。でも慣れてくると、今度は役者としての経験がプラスになることも多かったですね。演技に活かすため、街角でも喫茶店の中でも人間観察が癖みたいになっていましたから」
今回の『土竜』で描かれているのは、主に地元で過ごした青春時代。当時の状況を洗い直すため、高知に戻って取材を繰り返した。地元の仲間や母親の知り合いから話を聞く中、知らなかった新事実に突き当たることも一度や二度ではなかったという。小学校の教師が抱えるストレスや、ブルセラ業者たちの奮闘ぶりなどは、少々ネットで下調べしたくらいでは出せない生のリアリティに満ちている。
「書いている最中はキツくてしょうがなかったけど、終わってみると『まだまだ書ける題材は山ほどあるな』と思ってしまった(笑)。
作家としての高知東生が、とてつもないポテンシャルを秘めているのは紛れもない事実。だが、本人は浮かれることなく「僕はまだ回復途中。これからも戦い続けるしかない」と気を引き締める。
「人間って難しいですよ。本当に何が正しくて、何が間違えているのか……。一生懸命に生きてきているつもりでも、ふとした瞬間に“病魔”が頭をよぎってくる。僕自身、苦しみ続けた末、どうにかここまでたどり着いた感じですから。本を書きながら『お前、よく頑張ったよな』と自分に語りかけてあげたくなったくらいです。ひとつ確実に言えるのは、人間は1人では生きていけないということ。
作品の中では、高知自身をモデルにした主人公の竜二のほかにも「もがき苦しむ市井の人々」が描かれている。これは単なる薬物依存症患者の懺悔録でもなければ、暴力団組長の子供として生まれた男の悲劇でもない。世の中のどこにでも転がっている、魂の喪失と再生の物語と言えるだろう。
「僕はもう薬物うんぬんに関しては、実は大した問題じゃないとすら思っているんです。それよりももっと根本的なところで、『どう生き直していくのか?』という部分を見つめ直さなくてはいけない。人間、誰だって自分を変えるのは大変ですよ。僕はこの『土竜』を、一生懸命に生きている人全員に読んでほしいんですね。『諦めるなよ。こんな俺だって踏ん張っているんだから』というのが一貫したメッセージ。そのためには、まず自分を好きになってほしい。自分が自分の親衛隊長になってほしい。自分の存在価値を認めてあげてほしいんです」
どん底を見た男だからこそ、その言葉の説得力は抜群。