【写真】元・プロレスラー田中稔と府川唯未の娘、田中きずなの白熱のデビュー戦【7点】
「もうすぐ娘がデビューできそうです。その試合を取材していただくことって可能ですか?」
元・女子プロレスラーの府川唯未さんから、そんな連絡があったのは2月のことだった。1年前にプロレスリングWaveに入団し、高校に通いながらトレーニングを続けてきた娘さんが、いよいよプロテストを受ける段階までたどりついたのだと言う。
もちろん、二つ返事で快諾させていただいた。いまから30年前、僕は府川唯未(当時は府川由美)のデビュー戦を取材している。親子二代に渡って取材しているプロレスラーはたくさんいるが、さすがに親子ともデビュー戦の記事を書く、という経験はない。たしかにこの仕事を30年以上、続けていなければ、こんなシチュエーションには巡りあえない。僕のキャリアの中でも、これはかなり特別な事案ということになる。
府川唯未さんはプロレスラーの田中稔選手と結婚。両親ともにトップレスラーという超サラブレッド。それだけに娘の田中きずなデビュー戦は大きな注目を集め、会場の新宿FACEは満員の観客で膨れあがっていた。
「なんか私のほうが緊張しちゃう。
完全に母親の顔になっていた府川唯未が、チラッと元プロレスラーの表情を浮かべた。10年前、ここ新宿FACEで観戦したことをきっかけに、娘は女子プロレスラーへの憧れを口にするようになった。最初は猛反対していたが「ここまで来たら、もう応援するしかないじゃないですか(苦笑)」。父の田中稔(この日は自身の試合があるため、会場には来られなかった)も、娘と一緒にロードワークに励んでいるという。
ただ、リングにあがってしまったら、もうなにもしてあげられない。世の母親と同じく、ただただ心配するしかなかった。
対戦相手はこちらもデビュー戦となるマスクウーマンの炎華(ほのか)。新人同士のデビュー戦は30年前は当たり前のことだったが、女子プロレスラー志望者が激減した昨今、ほとんど見られなくなってしまった。これは貴重な顔合わせだ。
当然、第一試合で組まれるのだろう、と思っていたら、まさかのセミファイナル! この試合順は当日発表だったので客席からどよめきが起きる。ある意味、大抜擢だし、この日の興行の満足度にも大きく影響する位置にこの試合をセッティングすることは団体にとっても大バクチである。
きっと、それはこのふたりに未来を賭ける、という団体サイドからの意思表示なのだろうが、このシチュエーションでも家では緊張していなかったとなると、田中きずなはとんでもない強心臓なのかもしれない。
そして、入場。
会場に流れたイントロに、マニアックなファンが「おぉ!」となった。それは父・田中稔のテーマ曲。一旦、音がフェードアウトすると、今度は母・府川唯未のテーマ曲が。彼女にしかできない、究極の自己紹介演出。そして最後はオリジナルのテーマ曲に乗って田中きずなはデビュー戦のリングへと向かった。
じつはこの演出、田中きずなのセルフプロデュースなのだという。家でこのプランを聞いた、というかテーマ曲使用の許諾を求められた母・府川唯未は絶句した、という。
「だって自分でデビュー戦のハードルを上げることになるじゃないですか? 私だったら絶対にできないし、考えもしないですよ。でも、あの子はそれを自分の武器にしようとしている。強いなぁ~って」
しかし、そのとき、田中きずなには異変が起きていた。
「デビュー戦限定のテーマ曲として自分で選んだんですけど、いざ曲が流れたら、プロレスラーとして偉大な父の姿が頭に浮かんで……イッキにプレッシャーと緊張が押し寄せてきたんです。私がダメな試合をしたら、父と母まで悪く言われるかもしれない。それは絶対に嫌だったので……」
だが、傍目からはそんな精神状態になっているとは、まったくわからなかった。むしろ堂々としているように見えた。このあたりは両親の姿と重ね合わせてしまう、見る側の補正なのかもしれないが、デビュー戦がセミファイナルで大丈夫か? という不安はゴングが鳴る前から消えていた。期待感と緊張感で場内の空気がひとつになっていたからだ。
新人同士の試合なので技の数は多くはない。だが基本技のエルボーで田中きずなはしっかりと魅せてくれた。腰が入って重い一撃。なにげない一発にも説得力がある。
女子プロレスラーで上手にエルボーが打てない選手は結構、多い。アイドルが始球式をやると、たいがい、肘から先だけでちょこんと投げるお嬢さん投法になってしまうが、あんな感じのフォームになってしまいがちなのだ、エルボーアタックも。
たしかに女の子が日常生活でエルボーを繰り出すことはまずないし、ほかのスポーツをやっていても、こんなモーションはなかなかない。人生で経験したことがないのだからカッコ悪くなるのは当然だ。
ところが田中きずなはデビュー戦なのに、バスーンと重い一発で対戦相手だけでなく、場内の空気すらも切り裂いてみせた。
関係者席に陣取っていた記者たちは、そのとき、みんな同じことを考えていた。
「この子、めちゃくちゃプロレスが好きで、めちゃくちゃ試合を見てきてるな!」
親から受け継いだDNAではなく、自分の「好き」な気持ちが形になっている。プロレスを好きになって10年。その蓄積が一発のエルボーにすべて乗っかっていたのだ。そりゃ、重たいに決まっている。
だが、それだけでなんとかなるほど、プロレスは甘くはないのである。
【後編はこちら】府川唯未&田中稔の娘・田中きずなが紡ぐ、プロレスならではの30年越しの運命の連鎖