【写真】「もう一度だけモノマネで勝負を」清水良太郎の撮り下ろしカット【6点】
「覚醒剤で捕まって、3ヶ月くらいは東京拘置所に入っていました。怒り狂った父が保釈金を出してくれなかったんですよね。その間に芸能界の復帰は諦めました。うちは父が芸人であることに加え、その所属事務所の社長を兄がやっていまして。僕自身もそこに所属していて、その2人が『絶対に戻れない』と口を揃えるわけです。でも拘置所では後悔だとか鬱々とした感情を詩にして、それをノート1冊に書き溜めていました。発表する場なんて一切なかったけど、どこかで表現したいという気持ちが残っていたのかもしれません」
社会復帰するにあたって、清水は知人の紹介で運送会社に勤め始める。高校時代から芸能界の世界に飛び込んでいた男にとって、一般企業の会社員生活はカルチャーショックの連続だった。炎天下の引っ越し作業、40kgを超えるパチンコ台配送……泥水をすするようにして、イチから生活を立て直していく。
「正直、もらえる給料の額は芸能界の頃と全然違います。でもそれ以上にしんどかったのは、面白くもない労働をしなくてはいけないこと。生活のためとはいえ、それが毎朝続いていくわけで。この記事を読んでいる人は『何言ってるんだ? 仕事なんだから当たり前だろ』って呆れるかもしれません。ただ、当時の僕はその当たり前のことすらわかっていなかった。本当に世間知らずの甘えたガキだった。好きなことを仕事にしている人なんて、世の中のごく一部なんだってことに気づいていなかったんです。だけど自分はここでやっていくしかないと思っていたから、必死で喰らいついていきました」
会社から頑張りを認められた清水は、3年目を迎える頃に暖簾分けする格好で独立する。ところが新しい会社の経営もなんとか軌道に乗せ、まさにこれからというタイミングでトラブルが清水を襲った。支払額を巡って親会社とケンカ別れし、最終的には裁判で争うことになったのだ。
親会社の主張としては「契約解除したあと、会社所有のイタリア製高級車で交通事故を起こされた。修理費用や慰謝料などを払ってもらっていない」。
「なんでこんなに何もかもうまくいかないのか……。もう本当に自殺も頭をよぎりました。そんなときに駅前で路上ライブをやっている人を見て、直感で思ったんですよ。『俺、ここからやるしかないな』って。お金もなかったからアンプは親父に買ってもらって。親父も少しうれしそうでしたね。『これで頑張れよ』とか言ってくれて。モノマネ路上ライブをやっているうちに少しずつお客さんも増え、TikTokとかYouTubeも自分で始めるようになり、スナックなどの飲み屋から『うちでも歌ってよ』と声がかかるようになり……。
エンタメの道に戻った清水を見て、周囲の仲間はBreakingDown出場を勧めるようになる。格闘技経験は皆無だったものの、もともと運動神経は少年時代から抜群。35歳になった今も野球では140kmの速球を投げられるし、ゴルフは300ヤードを飛ばす。通っている格闘技ジムのコーチも、清水の飲み込みの速さに驚いているそうだ。
「BreakingDownに応募した最大の動機は、チャンスを掴みたいから。そして知名度を上げた状態で、もう一度だけモノマネで勝負してみたいです。ライブをやると、モノマネを観ながら泣く人って結構いるんですよ。モノマネって人に感動を与えられるエンターテインメントですからね。いろいろ紆余曲折はありましたけど……やっぱり僕、人前に出ることが好きなんでしょうね」
自業自得とはいえ、世間からは後ろ指をさされ続けてきた。前日会見でも対戦相手のぬりぼうから「しみちゃん、おクスリやめられたの?」と白い粉が入った袋を顔に投げつけられたが、「僕は一生、そうやって言われ続ける。そこに向き合っていかないといけない」とコメント。
「一度ドロップアウトしてしまうと、やりたくないこともやらなきゃいけなくなる。でも、そこでめげずにやり続けることが大事だと思うんです。そこで逃げてしまったら、もう誰も相手にしてくれなくなりますから。BreakingDownで闘うにあたって僕が言いたいのは、失敗しても絶対にチャンスはあるんだということ。現に僕みたいなアホでも今こうやってチャンスをもらっているので、みんなも絶対に諦めないでほしいんですよ」
ところで清水にとって最大の理解者でもある父親・アキラとは、ここ半年ほど疎遠になっている。きっかけは些細なことだった。息子が始めた動画の編集方針についてアキラが担当者に意見したところ、「こっちはこっちで自分たちでやっているんだから、口を挟まないでくれ」と息子から諭されることに。
だが、アキラはこの道を極めたプロフェッショナル。それに加えて「散々こっちに迷惑かけておきながら……」という思いもある。意地を張った両者は「二度とてめぇの面倒なんか見てやらねぇよ!」「俺だって願い下げだ!」と激突。
「もうすぐ親父も69歳になるんです。兄貴がやっている会社というのは、担当しているタレントが今は親父しかいない。でも70近くになれば、やっぱり仕事だって減ってくるじゃないですか。そういう中、今後はどうやって兄貴がメシを食っていくのかと心配になるんですよ。それで僕が最終的にやりたいのは、自分の力で完全復活して、『兄貴、もう一度、俺とやろうよ』ってタッグを組むこと。それが最大の親孝行になるんじゃないかなって。そのためにも今回のBreakingDownは大きな分岐点になるし、絶対に勝たなくてはいけない。意地を見せたいですね」
一世一代を懸けた1分間バトルの行方や、いかに……?
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