2011年、NMB48第2期生オーディションに合格。研究生時代からNMB48の2ndシングル「オーマイガー!」で初選抜入りを果たし、正規メンバーに昇格後はチームMのセンターを務めた矢倉楓子
現在はタレント、俳優などマルチに活動する一方、元AKB48の安田叶と共に、新規アイドルユニット2組をプロデュースする「kawaii land プロジェクト」にプロデューサーとして携わっている。彼女に、NMB48時代のエピソードや、グループ卒業後のセカンドキャリアを中心に話を聞いた。

【写真】「kawaii land プロジェクト」プロデューサーを務める矢倉楓子【6点】

14歳の時に「NMB48第2期生オーディション」に合格してアイドル人生をスタートさせた矢倉だが、もともとアイドル志望ではなかった。

「3歳の頃から女優さんに憧れていて、ずっと芸能界に入りたい気持ちはあったんですけど、田舎に住んでいたのもあって入り方が分からず。うじうじ悩んでいたら、お母さんに背中を押されて、まずは経験してみようとオーディション雑誌を買って見つけたのが『NMB48第2期生オーディション』だったんです。その時点でNMB48のことは名前すら知りませんでした」

ダンス経験は皆無。
歌とルックスは、それなりに自信があったが、NMB48メンバーの中にいると埋没してしまう。自然と消極的になり、レッスンでは後ろの目立たない場所が定位置で、先生やメンバーとの会話もままならなかった。そんな矢倉を見かねて、当時のマネージャーは、もっとコミュニケーションを取るようにと注意した。

「人見知りで、ダンスもついていけなくて、どうしていいか分からなかったんですけど、マネージャーさんの言葉で目が覚めたんです。レッスン場の前列は争奪戦で、それまで私は遠慮して入れなかったんですけど、積極的に入っていくようになって。分からないことがあったら先生に聞いて、メンバーにも話しかけるようになりました。
自分の中で意識が変わったことで、どんどん良い方向に変化していきました」

2011年8月13日に開催された『「NMB48 2期生「PARTYが始まるよ」』初日公演で選抜メンバー16名の中に選ばれ、劇場公演デビューを果たした矢倉は、NMB48のプロデューサーから高い評価を受け、2011年10月19日発売したNMB48の2ndシングル「オーマイガー!」で早くも初選抜入りを果たす。

「それまで1期生と2期生には明確な上下関係があったんです。ただ選抜で同じになると過ごす時間も増えて、先輩との距離も縮まりました。中でも私は、みるきーさん(渡辺美優紀)が大好きで懐いていたので、よく甘えてました(笑)。けいっちさん(上西恵)とも話すことが多くて、二人でチューするぐらい仲が良くて、“けいふぅ”と呼ばれていました。お二人とは今も仲良くさせていただいています」

2012年1月には、初代チームMメンバーの16人に入り、正規メンバーに昇格。
後にチームMのセンターに抜擢される。

「チームM結成当時は城恵理子というセンターがいたので、2期生の中には『私なんてセンターになれない』みたいな空気感がありました。でも私は人気を勝ち取ればチャンスあるんじゃないかと思っていたし、センターよりも人気メンバーになったらかっこよくない? と思って逆に燃えていました。

そのためにも、がむしゃらに握手会などでファンの方への感謝の気持ちを伝えるようにしていましたし、人気でのし上がっていくぞという気持ちが強くて、持ち前の負けず嫌いが良い方向に出ていたと思います」

2013年4月28日開催の「AKB48グループ臨時総会 ~白黒つけようじゃないか!~」でAKB48チームAとの兼任を発表。同年5月22日発売のAKB48の31stシングル『さよならクロール』では、シングル表題曲で初選抜入りを果たし、さらに多忙を極める。

「兼任になってからは今じゃ信じられないぐらい忙しくて、所属する2チームで新公演が始まるから1カ月で36曲も覚えなきゃいけなくて、夜中までレッスンをしていました。


ファンの方に多く見てもらうことが恩返しにも繋がると思っていたのでうれしかった半面、まだまだダンスに苦手意識があったからプレッシャーもあって。チームAのほうはNMB48を代表して来ていると思っていたので、負けたくない気持ちもありましたし、いっぱいいっぱいで余裕がない状態でした」

チームAの矢倉楓子を知ってもらうことで、NMB48にも興味を持ってもらいたい。それまでAKB48しか見て来なかったファンの心を掴むことで、NMB48に貢献できるはずという思いがモチベーションだった。

「チームでセンターを経験させてもらうようになってから、自分が人気者になることが、グループの人気にも繋がると考えるようになりました。難しいなと感じたのは、チームAを兼任した時にチームMの公演が被ったんです。もちろん私に選ぶ権利はなくて、マネージャーさんがチームAを選んで、チームMの公演に出られなかったんです。


私としてはNMB48のメンバーなのに……っていう複雑な気持ちがありました。NMB48のファンからしたら、『ふぅちゃんはNMB48のメンバーなのに、チームAを選ぶんだ』ってなりますし、実際にそう思われていて、兼任って難しいんだなと悩んだりもしました。ただ兼任がきっかけで『ふぅちゃんのことが好きになったよ』って握手会に来てくれたり、NMB48の公演に来てくれたりするファンの方がたくさんいたんです」

チームAでは成長を促してくれる先輩との出会いもあった。

渡辺麻友さんと同じチームになれたのは大きかったですね。ステージ上での立ち居振る舞いはもちろん、裏での佇まいまで間近で見て、すごく勉強になりましたし、仲良くさせていただきました。たかみなさん(高橋みなみ)にもお世話になって、お下がりのワンピースをいただいて、握手会で着させていただきました。
AKB48の選抜に入らないと、選抜の方々と関わることもなかったですし、NMB48を越えた繋がりができたのはありがたかったですね」

【後編はこちら】元NMB48 矢倉楓子、社会経験のなさを痛感したグループ卒業後