令和の世にあっても、プロレスラーに強さは必要なのか──? 昨今のマット界は華やかでショーアップされた試合スタイルが中心になった。かつてはファンも新日本プロレスの掲げた「キング・オブ・スポーツ」という旗印を信じ、異種格闘技戦やプロレスラーの総合格闘技進出に熱狂したものだが、今や両者は完全に別物というのが周知の事実となっている。
だとしたら、強さを追求するトレーニング自体も意味ないのではないか?

【写真】プロレスラーと強さについて語る、永田裕志【6点】

 永田裕志は、学生時代にアマチュアレスリングで輝かしい成績を残してからプロレス入りした経歴を持つ。新日本入団後も、UWFインターナショナル対抗戦では桜庭和志や金原弘光といった実力者たちと好勝負を展開。結果的には惨敗したものの、ミルコ・クロコップやエメリヤー・エンコ・ヒョードルにも果敢に挑戦している。本記事の概要を永田に説明していると、言葉を遮るようにして「当然のことながら、プロレスラーに強さは必要です」と前のめりで語り始めた。

「このテーマに触れるなら、前提として『強いって何?』という強さの定義から考えなくてはいけませんよね。たとえばボクシングのルールで試合をしたら、ボクシングのチャンピオンが一番強いのはおわかりいただけるはずです。
同様に柔道の試合だったら、柔道のメダリストが強いのは当たり前。『プロレスラーは強くないじゃないか』と主張する人がいるなら、それは強さの定義が狭いんですよ。おそらく競技的な意味……それもMMA(総合格闘技)的な面のみで強いか弱いかをジャッジしているんじゃないかな。

 もちろんプロレスでも格闘技的な強さは必要ですよ。でもそれだけでは絶対ダメで、たとえば試合を成立させるだけのスタミナも大事。それと重要なのはプロレスでは受け身があること。
相手の技を必死で防御する競技系格闘技とは違って、あえて相手の技を正面から喰らうことで強さを誇示するわけですから。それは身体を鍛えていないとできないことだし、避けたいという気持ちに打ち克つ根性も求められる。倒れても倒れても立ち上がろうとするのも、メンタルとフィジカルの両面で強さがあるから可能なことです」

 同時に永田は、新日本プロレスの創始者・アントニオ猪木氏の思想“猪木イズム”も曲解されて世の中に伝わっているのではないかと危惧する。プロレスと格闘技の架け橋となったのは間違いなく猪木氏の功績だが、格闘技の試合で好成績を収めることが猪木イズムの本質ではないというのだ。

「猪木会長がよく口にしていたのは、どんな不測の事態が起こっても対処して試合を成立させるだけの技量を身につけろということ。僕は2000年の『INOKI BOM-BA-YE』で飯塚高史と組んで、マーク・コールマン&マーク・ケアー組とプロレスの試合をしたんです。
当時のケアーは『霊長類ヒト科最強』とか呼ばれていたけど、はっきり言ってプロレスは超下手糞でした。当たり前なんですけどね、プロレスの練習なんてしていないわけだから。

 でもそんな相手でも、お客さんが満足するような試合を成立させるのがプロの仕事。結局、そうなると必要になるのは上手さよりも強さなんです。相手の技術を封じ込めて、それを活かす方向に運んでいくためにはグラウンドで制圧できないと話にならない。猪木会長は『ホウキと闘っても観客を沸かせることができる』と言われていましたが、それって強さがベースにあるからなんです」

 では、永田の出世試合となったUWFインターナショナルとの対抗戦はどうか? 28年前のことを振り返りつつ、「あのときはイニシアチブの握り合いだった」とプロレスの試合としては異質であったことを認めている。


「相手に対する信頼がなかったですからね。彼らは普段から格闘技の練習をしていて、それが自分たちのプロレスだと信じている。キックひとつとっても、最大限のダメージを与える実戦的な蹴り方をしてくるわけで……。正直、そんなの受けたくないですよ。だから打撃の間合いを潰して、組んで自分の土俵に持っていったんです。今考えるとだけど、あの時点の僕たち新日勢はUインター側の打撃を許さない一方で、彼らを制圧するグラウンド技術があったんでしょうね。
そして両者の信頼関係のなさが緊張感に繋がって、結果的にお客さんは熱狂したのでしょう」

 UWFの源流は新日本の道場にある。強さを追求して分派したUの戦士たちと、業界の盟主である新日本のプロレスラー……一体、強いのはどちらなのか? そうしたファンの好奇心が東京ドームを超満員にさせた要因だった。永田は「今でもファンはプロレスラーに強さを求めている」と断言する。「ルックスがカッコいい」「動きが器用」「技が華麗」といった要素だけでは、いつの時代も真のトップ選手になれないというのである。

「今年2月に武藤(敬司)さんの引退試合が東京ドームでありましたが、あの日はオカダ・カズチカと清宮(海斗)くんの試合も空前の盛り上がりを見せていました。前哨戦では清宮くんが背後から顔面蹴りでオカダを流血させて大乱闘になっていたし、怒り心頭のオカダも出場辞退を匂わせていた。
そうした殺伐とした空気の中、2人が違う団体のエース格同士という要素も加わって、『結局、どっちが強いんだ?』というワクワク感に繋がったのでしょう。プロレスの本質は昔も今も変わらないということです」

 長州力、ジャンボ鶴田、谷津嘉章といった往年の名選手は、もともとオリンピック代表に選ばれるようなレスリングエリートだった。ほかにも柔道の小川直也、大相撲の輪島や北尾光司など、他の競技で頂点を極めた選手がプロレス団体に引き抜かれた例は枚挙にいとまがない。しかしプロレスと格闘技が完全に別物だとすれば、果たしてそれは本当に効率がいいスカウトなのだろうか? 現に新体操出身のIYO SKY(紫雷イオ)は、空中殺法を駆使してWWEマットで目覚ましい活躍を続けている。

「やっぱりレスリングをやってきた入門生は、他の人たちと比べて明確に違うんですよ。体幹がしっかり鍛えられているし、相手を倒す知識も寝かした状態でのコントロール技術もすでに持ち合わせていますから。基本的な体力とか腕力も段違いですしね。だから伸びるのも早い。レスリングで培った技術が活かされる局面は非常に多いです。

 一方で、少し前まで学生プロレス出身者を一段下に見るような傾向があったのは確かです。僕自身は差別意識なんてなかったけど、反対する意見も少しわかるんですよね。というのもプロレスラーとしてデビューするためには、それこそ血の滲むような努力と鍛錬が必要なわけで。学生プロレスの人たちもおふざけ気分でやっているわけではないと思うんだけど、そこで中途半端に怪我とかされたら業界全体が白い目で見られますから。プロの世界は生半可な覚悟じゃダメなんだということは声を大にして言っておきたい」

 現在の新日本マットでも、高橋裕二郎やグレート-O-カーンなどレスリング出身の選手が活躍している。普段は元競技エリートとしての凄味を観客にアピールする機会は少ないかもしれないが、リングで肌を合わせていると違いに気づくことも多いという。

「たとえば矢野(通)くんなんて、レスリング経験者としての“武器”を使う機会はほとんどないように感じるかもしれない。でも試合の組み立て方が天才的で、すごくよく練られている。それはトップアスリートゆえだし、そのへんは見る人が見たらわかるはずですよ。それに2年前、オーカーンとアマレスルールで試合したときも逆転で勝利した。つまりプロレスをやりながらも、競技者としての技術は錆びついていなかったということなんです」

 現代においても、たとえばブロック・レスナーや朱里は格闘技とプロレスの両フィールドで頂点に輝いている。永田は自身の格闘技戦を「あまりにも準備不足だった」と反省しているが、しっかりしたサポート体制があればオーカーンなどはMMAにもアジャストできるだけの才能はあると後押しする。

 ベースに強さがないと、技の攻防にも説得力が生まれないのは紛れもない事実。「レスラーが普段から過酷なトレーニングを続けているのは、どんな試合にでも対応できる強さを身につけるため」という永田の言葉がすべてかもしれない。

▼大会告知
永田選手プロデュース興行『永田裕志 Produce Blue Justice XIII ~青義祭会~』
日時:2023年9月10日(日) 14:30開場 16:00開始
会場:千葉・東金アリーナ 
対戦カードとチケット情報は公式HPをチェック!(https://www.njpw.co.jp/tornament/433024)

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