アイドルは時代の鏡、その時代にもっとも愛されたものが頂点に立ち、頂点に立った者もまた、時代の大きなうねりに翻弄されながら物語を紡いでいく。結成から20年を超えたモーニング娘。
の歴史を日本の歴史と重ね合わせながら振り返る。『月刊エンタメ』の人気連載を出張公開。15回目は2011年(前半)のお話。
2011年3月11日、14時46分。誰も経験したことのない揺れが東日本各地を襲ったその瞬間、アイドルグループ・モーニング娘。は1週間後に迫った全国ツアーの初日に向け、東京都内でリハーサルを行っていた。

「メンバーは全員一緒にいたんですけど、(スタジオ内も)すごい揺れました」(高橋愛)(※1)

2011年3月のモーニング娘。は9人。盟友の卒業をもって“プラチナ期”に別れを告げた高橋愛、新垣里沙、道重さゆみ、田中れいな、光井愛佳の先輩メンバーに、譜久村聖、生田衣梨奈、鞘師里保、鈴木香音の9期4人が合流して、やっと3カ月目に突入した頃である。

この時期ブログをすでに開設していた高橋、新垣、道重、田中は、地震発生から半日ほどが経過した3月11日深夜、心配するファンに向けて相次いでグループの無事を報告している。そして彼女たちは引き続き翌12日もツアーリハーサルに向かうのだが、同じ日に被災地では、激震や津波による直接的被害に加え、福島第一原子力発電所において深刻な原子力事故が発生。原発の1号機が白い煙を上げて爆発した瞬間、それまで国民1人ひとりの中にあった日常はもう戻れぬ過去となり、「当たり前」は自然の猛威の前に、あっけなく崩れ落ちていった。


あの大震災がもたらした「当たり前」の喪失。2011年のモーニング娘。の場合、それはたくさんの観客を笑顔にし、明日への力をわけあう「ライブ」の存在を指していたのかもしれない。当時のブログを読み返してみると、3月12日を最後に、各ブログからリハーサルという言葉が一斉に姿を消している。そして4日後の3月16日には同月中に行われるはずだったツアー3公演、またさらに数日後には4月に予定していた東北2公演の開催中止も発表されるのだ。

もちろん地震直後はライブどころではなく、メンバーたちも被災地の状況に大きなショックを受けており、実際に新垣はこの時期「ツアーそのものの中止も覚悟していた」(※2)と語っている。

ただ、大きな悲しみに打ちひしがれ、3月11日以降ずっと募金や節電の呼びかけだけを発信し続けていたモーニング娘。は、ブログを読み進めていくとある頃を境に、だんだん届ける言葉が変わっていったことに気づく。もっとも分かりやすい境界線は3月19日に更新された、道重さゆみのブログである。

3月11日の本震発生後、ずっと報道特別番組を流し続けていたテレビは3月15日頃から段階的に通常番組の放送を再開していくのだが、その流れの中で3月18日夜に放送されたのが『池上彰くんに教えたい10のニュース』(日本テレビ系)であり、道重は同番組にゲストとして出演していた。

ひとたび番組が始まると、道重のブログには久しぶりに動く道重を見たファンからのコメントが次々投稿されていき、その数は最終的に500件を越える。

「さゆの存在が心を落ち着かせてくれてます」「やっぱり笑顔を見ると元気でるよ」(※3)

そしてそれらのメッセージに目を通した道重は、一晩様々な思いを巡らせた後、改めてこう綴るのである。


「私は昨日のブログに『何もできないのが本当に悔しい』とかきましたが、違いました。(中略)さゆみの元気な姿で少しでもみなさんへ元気を与えられるならば、そんな嬉しいことはありません。そして私はモーニング娘。です。モーニング娘。として歌を歌い、みなさんへ届けたいです。本当にそう思います。元気や勇気や愛を伝えたい」(道重さゆみ)(※4)

日本に生きる誰もが受け止めきれない現実に苦しみながら、生きる意味をずっと自分に問い続けていた2011年3月。それはモーニング娘。と呼ばれる彼女たちもまた、同じ自問自答の中にあり続けた毎日だったのだ。そしてアイドルとして活動していた彼女たちは改めて、自分たちのすべきことは何かを一から見つめ直していく。

「元気」「笑顔」。
やがてメンバーのブログにそんな言葉が頻出するようになっていった3月末、モーニング娘。はついに止まったままの全国ツアーを再始動させることを発表した。

4月3日、結果的に震災後の初開催となった、大宮ソニックシティでのライブ。そこにあったのはファンの誰もが想像できていなかった、全く新しいモーニング娘。の始まりだった。1曲目のイントロでメンバーは声高らかに宣言する。

「新生モーニング娘。いきます!」(道重さゆみ)

この春ツアーが何より衝撃だったのは、未熟で幼いはずの9期メンバーこそが強大な起爆剤となり、モーニング娘。のあり方を劇的に変えていたことだ。グループの結成をリアルタイムで知らない98年生まれ(鞘師、鈴木)も含んだ9人は、元気でフレッシュなパフォーマンスを全面に押し出し、結果としてテレビを通じて輝いた黄金期、そしてライブを通じて成熟したプラチナ期の「当たり前」さえ、あっという間に拭い去っていく。

「まぁ最初は9期が入ってうまく進まん、ってこともあったんですけど、始まってみたら9期が入ってよかった、って思うことが増えたんです」「モーニング娘。がもう大人でレベルの高いものをやってるっていうのはいいんですけど、暗いとかおとなしいって見えたらイヤだなぁ、って思ってたから。
元気で新しい今の感じが日に日に楽しくなっていく」(田中れいな)(※2)

プラチナ期の終幕をきっかけに、自ら大胆なリスタートに踏み切った2011年春のモーニング娘。の姿。それは例え偶然の産物であったとしても、大きな喪失感に満ちたあの時代の気分には、エンターテインメントにしか創れない一筋の光として、どこかマッチしていたようにも思う。そしてこの新生モーニング娘。の誕生は、ファンだけでなく、やがてプロデューサーのつんく♂、また事務所スタッフにも大きな刺激を与えることになる。その結果、まだ震災後初ツアーの真っ只中だった2011年5月上旬のライブにおいて、グループはさらなる衝撃の発表を行うことになったのだ。

「モーニング娘。またまたオーディションやります!」「あなたもモーニング娘。になれるチャンス!今こそ日本を元気にしようじゃないか!」(※5)

(「月刊エンタメ」11月号掲載の後編に続く)

※1『MBSヤングタウン土曜日』(MBSラジオ/2011年3月19日)
※2「モーニング娘。ライブ写真集『新創世記ファンタジーDX~9期メンを迎えて~』」(東京ニュース通信社)
※3『GREE 道重さゆみオフィシャルブログ』 (2011年3月18日)
※4『GREE 道重さゆみオフィシャルブログ』 (2011年3月19日)
※5『Amebaつんく♂オフィシャルブログ「つん♂ブロ芸能コース」』(2011年5月8日)
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