──そもそも、内田さんが焼肉屋さんを始めたきっかけは?
内田 19歳のときなんですけど、AKB48の運営会社の社長と面談があったんです。将来どうしていきたいかを聞かれて、「ずっとAKB48をやるのは無理だと思っていて、焼肉屋をやりたいです」って正直な話をしました。両親が焼肉屋を経営していることもあって、お店を持つのは密かな夢でもあったので。そしたら社長が「いいじゃない、やっちゃいなよ」って言ってくれて。それからお母さんと物件を探し始めて。
──まわりのメンバーは知ってたんですか?
内田 しばらく内緒にしてました。最初に言ったのは同期の北原里英ちゃんかな? 「うそ、冗談でしょ?」って、すごい驚かれました。発表はGoogle+でしたんですけど、みんなからは「内田どうした」って心配されて……。
──最初は本気かなって思われますよね。お店は5年も続いていますが、危ない時期はなかったんですか?
内田 開店した直後はファンの方でいっぱいだったんですけど、2、3カ月しか続かなくて。
──ヤバいじゃないですか! どうしたんですか?
内田 それこそ初期のAKB48のようにチラシを配ったりして、宣伝を頑張りました。今ではAKB48のファン以外のお客さんや、外国のお客さんも来てくれたりします。
──すごい! 仕事をしていて面白いことは何ですか?
内田 頑張った分が数字として出ることですかね。あとはお客さんから「おいしい」って言ってもらえたり、直接お話ができるのが、楽しいです。
──大変なことはありますか?
内田 スタッフをどう育てるかですね。AKB48では後輩の面倒を見ていたけど、お店の経営は、それとはまた違うし。
──IWAは元AKB48メンバーが何人かバイトをしてますが、どういう経緯で?
内田 最初にみちゃ(野中美郷)が働きたいと言ってきたんです。それから(鈴木)紫帆里、わかにゃん(名取稚菜)って続いて。今は岡田彩花、飯野雅、橋本耀がいて、毎日誰か1人は出ています。元AKB48の子って、バイト経験がないけど、みんな頭がいいし器用です。握手会をやってたから接客は上手だし、教えたことはすぐに覚える。
──バイトに向いてない子とかいなかったんですか?
内田 小森(美果)はふわふわしていて、注文の間違いが多かったんですね。でもお客さんから「いいよ」って、許されてました(笑)。
──普通ならクレームなのに!
内田 うちでバイトして、その後就職したり、自分の店を持つ子もいたりするので、みんなの社会勉強の場にできたらって思います。
──先日『ロンドンハーツ』(テレビ朝日)のAKB48卒業生企画に出演しましたが、反響はいかがですか?
内田 すごく大きくて、予約が何倍にも増えました。あとは雑誌で元メンバーと水着グラビアをやらせてもらったり。ありがたいですね。
──また、11年続いた『AKBINGO!』(日本テレビ)が9月で終わっちゃいましたが、何か思い出はありますか?
内田 乃木坂46と対決した回に出たことが印象に残ってます。モノボケで生駒(里奈)ちゃんとかを笑わせて、牛乳を吹き出させました(笑)。
──AKB48時代の一番の思い出となると、やはり、じゃんけん大会で優勝したことですかね。
内田 あれで世界が変わりました。自分だけの衣装をもらって、初めて歌番組に出たり、たくさんインタビューを受けて。
──それと店名の由来にもなっている「IWA」。もともとコント番組『びみょ?』(ひかりTV)で「岩」のキャラクターをやってたんですよね。
内田 あの頃は台本を見たら、セリフはないし、スタジオに行っても、ただ岩の衣装を来て座っていてと言われて……。ここまで干されたかと、もう終わったなと。でも放送を観た人から面白かったよってすごい反響があったんです。岩ネタを考えてくれた方に感謝ですね。
──そして今のAKB48は、内田さんからどう見えますか?
内田 私がいた頃と比べてちょっと寂しい感じはしますね。でも時代っていうのもあるし。AKB48らしさを忘れずにやっていれば応援してくれる人はいるだろうから、腐らないでやってほしいなって思います。
──最後に、今の経営のお仕事がうまくいった最大の理由は何だと思いますか?
内田 みんなの協力があったからです。
(取材・文/関根弘康)
▽内田眞由美(うちだ・まゆみ)
1993年12月27日生まれ、東京都出身。2007年、AKB48に5期生として加入。2010年、「第1回じゃんけん大会」で優勝し話題に。2014年、AKB48在籍中に焼肉店「焼肉 IWA」をオープンし、オーナーに。2015年にAKB48を卒業。現在は「焼肉 IWA」オーナー兼タレントとして活躍中。YouTube「内田眞由美チャンネル」では、お店や自身の情報を配信中。