【写真】最新作『プレゼントでできている』が好評の矢部太郎
──『プレゼントでできている』は2001年にテレビの企画で共同生活をしたモンゴル人一家からプレゼントされた絨毯のエピソードから始まります。3か月の共同生活を経て、一家の住むモンゴルに行って10日間ほど一緒に過ごした後、別れ際に絨毯をもらいます。その後、ずいぶん時間が経ってから矢部さんはモンゴルを再訪しますが、その一家は遊牧民のために再会できなかったんですよね。
矢部 連絡先も分からないし、当時のADさんに聞いても知らなくて。別の機会で知り合った通訳の方に一家の名字を伝えたら、「その名字は町に3000人はいるよ」と言われるぐらい、ありふれた名字でした。一家の子どもが通っていた小学校に行けば連絡を取れるというアドバイスもいただいたんですが、その学校の名前も分からずで会えなかったんですよね。会ってお礼が言えたら、マンガのクライマックスになったかもしれませんが。
──矢部さんはモンゴル以外にも、ロケでいろんな国に行かれていますが、現地の言葉を覚えるのが得意なんですよね。
矢部 よく海外ロケに行ってた当時は、得意だと思っていなかったんですけど、振り返ってみると最低限の日常会話は普通に話していました。たぶん外国語を覚えるパターンみたいなものが、自分の中にできていたんだと思います。
──学生時代、英語の授業は得意でしたか?
矢部 英語の授業が多めの学部だったんですけど、特に得意ってことはなかったですね。モンゴル語の場合、一家とコミュニケーションを取りながらだったので、覚えるのも早かったと思うんです。だから言葉というのもプレゼントかもしれないですよね。
──モンゴルを再訪したときは、モンゴル語が全く通用しなかったとか。
矢部 言葉としては覚えているんですけど、発音が伝わらないんですよね。もしかしたら一家は、僕のモンゴル語の癖を熟知していたから、「矢部がこう言っているときは、こういう意味なんだ」と僕に斟酌して聞き取ってくれていたのかもしれません。僕のモンゴル語が上手かった訳じゃなく、一家のスキルが上がっていただけかもしれないです(笑)。
──どこの国もコミュニケーションの方法は変わらないものですか?
矢部 いろんな国に行きましたが、それぞれ国民性があって、違う印象です。モンゴルの人は、あまり感情を表に出さないので、日本に近いと思います。
──モンゴルを再訪したときは板尾創路さんとご一緒だったそうですが、いつ頃から親交があるんですか?
矢部 板尾さんが監督した映画『月光ノ仮面』(2012年)に出させていただいたときから仲良くさせてもらっています。
──板尾さんはどんな方ですか?
矢部 優しくて、懐が深くて、でも何を考えているのか分からないようなところもあって、宇宙みたいな方です。相方のほんこんさんとも仲良くしていただいているんですが、対照的なタイプなので、お二人がコンビというのも不思議です。
──板尾さんから、どうして矢部さんを起用したのか聞いたことはありますか?
矢部 現実感がなくて、ファンタジーっぽいからいいみたいなことを仰っていただきました。
──板尾さんもそういうところがありますよね(笑)。矢部さんが板尾さんからもらったプレゼントも変わったものばかりで、そこも矢部さんに似ています。
矢部 僕と同じで、たぶん板尾さんも変わったプレゼントという意識はないと思うんです。誕生日プレゼントに「130センチ」って書いてあるキッズ用のTシャツをくれたのも、僕に似合うと感じたからだと思うんです。実際にサイズもぴったりでしたし。
──どのタイミングで手渡されたんですか。
矢部 出発当日、朝集合して、タクシーで空港まで向かう前に配られたんです。もう一人先輩がいて、一人一個ずつで、板尾さんは自分の手鏡も用意していました。確かに旅で役立ちそうな気もするけど、三人で一個あればいい気もするし、余韻のあるプレゼントが板尾さんっぽかったです。
──何の用途か板尾さんには聞かずに?
矢部 聞かなかったです。聞けないような空気が板尾さんにはあるんです。そもそも手鏡を何に使うか聞くのもおかしいじゃないですか。ただ、一週間モンゴルに滞在したんですが、一度も手鏡は使いませんでした(笑)。
──改めて矢部さんにとってプレゼントとは何でしょうか。
矢部 プレゼントって深く考えずにやり取りしているところがあると思うんですけど、思っている以上に、もらっているものも、あげているものも、たくさんあるなと。それは物質として残るものだけじゃなく、言葉なんかもそうだなと『プレゼントでできている』を描きながら感じていて。
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