12月30日(月)神奈川・パシフィコ横浜国立大ホールにて、ももいろクローバーZの佐々木彩夏がオーガナイザーを務める新しいアイドルイベント『AYAKARNIVAL2019』が開催される。このイベントにカミングフレーバーfrom SKE48、=LOVEとともに出演するのがEMPiREだ。
ピンクと黒の邂逅は何をもたらすのか。元週刊プロレス記者で、ももクロ公式記者の小島和宏氏に特別寄稿してもらった。
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『AYAKARNIVAL2019』の開催は11月27日『AbemaPrime』の生放送中に突然、発表された。

スタジオには各グループからメンバー1名が集結し、まさに12・30パシフィコ横浜の『前夜祭』的な華やかなムードに包まれたが、その背後にはコメンテーターとして出演していた“黒のカリスマ”蝶野正洋の姿も映りこんでいた。

僕はこの数週間前に、蝶野正洋とももいろクローバーZについて1時間以上も語り合ったばかりだった。

来年1月7日に文庫化される『ももクロ導夢録』(朝日新聞出版)に新たに収録する書き下ろしの『証言構成 TDF誕生秘話』(本当に秘話ばかりなので、ぜひ文庫版をお手にとっていただければ幸いです)の取材で話しこんでいたのだが、蝶野はアイドルとしてももクロが10年以上も活動していることに感心しつつも「ももクロには“黒”が足りないんじゃないか?」とも口にしていた。

数年前、武藤敬司にもまったく同じことを言われたことがある。

「ももクロをふたつに分けてさ、片方を“くろいろクローバーZ”にすりゃいいじゃん。そして、ももクロとくろクロで競争するんだよ!」

武藤の提案に百田夏菜子は涙目で「そんな仲間同士で争うぐらいだったら、私、辞めます!」と反抗。これには武藤もちょっと困り顔で「いやいや、エンターテインメントの世界は飽きられたら終わりだからさ、そういう変化も大事ってことだよ。なんならさ、妹分のアイドルを“くろクロ”にしてもいいじゃん」と噛み砕いて説明していたが、今回の蝶野の指摘もまったく同じこと。そう、真のプロは飽きられることに敏感で、それを避けるために自己プロデュース能力に長けていくのである。


「メンバーを変えずに続けていくならイメージチェンジは必須。それをやらずに人気を10年以上もキープしているももクロは特異すぎる」 これが蝶野の印象であり「たしかに今のももクロに“黒”の要素を足しても、いい結果にはならないかもしれない。だったら、黒い要素を持ったアイドルと競うことで、そこから刺激や変化をもらったら面白いんじゃない?」と続けた。

もともと白を基調とした優等生キャラだった蝶野は「このままじゃ埋もれてしまう」という危機感を持ち、1994年にコスチュームを黒に一新してヒールターン。そこからイッキにカリスマ的な存在へと駆け上がっていった経験がある。まさにデビュー10年目にしての決断だっただけに、10周年イヤーを追えたばかりのももクロに、どこか相通ずるものを感じていたのだろう。

そんな話をしたばかりだったので、AbemaTVの画面上に佐々木彩夏、YU-Ki EMPiRE、そして蝶野正洋が揃って映った瞬間「あっ、そういうことなのか!」と思ってしまった(そのことに蝶野正洋が気づいていたかどうかは不明だが……)。

衣装だけでなく“黒”のイメージが強いEMPiRE。彼女たちが『AYAKARNIVAL2019』のステージに立ち、なんらかの形で佐々木彩夏と絡むことで、たしかにももクロは“黒”とクロスすることになる。

普通に考えれば黒とピンクを混ぜたら、ピンクは黒に飲みこまれてしまう。

だが、佐々木彩夏が纏うピンクはそんな弱い色ではない。

こればっかりは実際にステージに立ってみるまでわからないが、12月30日、パシフィコ横浜のステージ上でピンクと黒をミックスしてみたら、昭和や平成の世には見たこともない、まったく新しい令和ならではの色がアイドルの世界に広がるかもしれない。


じつはそういった予兆はすでにある。

その全貌は12月24日発売の『OVERTURE021』に掲載される佐々木彩夏とEMPiREの対談記事をお読みいただきたい。いや、読む前に掲載されている写真を見ただけで、なにか感じるものがあるに違いない。

こういったイベントは、さまざまな部分で予測がつかない初回こそが刺激的で、のちのち語り継がれることになるケースが多い。思い起こせば、蝶野正洋がブレイクするきっかけとなった『G1クライマックス』初優勝も第1回大会での出来事だった。あのとき、蝶野の優勝を予想していた関係者やファンはごくごく少なかったし、まさかG1というイベントが、そこから30年も続いていくことになるとは、誰ひとりとして予測していなかった(2020年が第30回大会となる)。

かく言う僕も、この第1回大会の決勝戦には足を運んでいない。インディー団体の地方興行の取材に飛んでいたから仕方ないのだが、あの日、編集部の先輩たちから電話で「この盛りあがりを体感できなかったのは記者生活最大の汚点だ!」と言われたことは、いまでもハッキリと覚えているし、30年近く経った今になって、たしかにその通りだったな、と納得してしまうほど、あの日は歴史の分岐点となった。

そんな経験があるからこそ、僕は12月30日、パシフィコ横浜に足を運ぶ。平成での後悔を、令和でも繰り返さないように……そんな予感が『AYAKARNIVAL2019』からはひしひしと感じられるのだ!
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