“世界を騒がすガチマジアイドル”をコンセプトに活動するアイドルユニット・CY8ERの藤城アンナ。バンドとファッションが好きなごく普通の学生時代を過ごしたが、ただ一つ“超ネガティブ”な性格が唯一の欠点だった。
就職活動中、岐路に立たされた彼女は、アイドルになる道を選び、その“超ネガティブ”な性格を見事克服してみせた。3つのアイドルグループを経験し、ポジティブな性格へと変わった藤城アンナの過去と現在を語ってもらった。
──ハーフ美人と話題になっている藤城さんですが、出身はどちらですか?

藤城 お母さんが日本人で、お父さんがポーランド出身なんですけど、生まれは日本なので帰国子女ではないです。

──生まれも育ちも日本なんですね。幼少期はどんな子供でしたか?

藤城 小さい頃は、外で遊ぶのが好きだったので、好奇心旺盛でした。

──アクティブに外で遊ぶタイプの女の子だったんですね。

藤城 活発だったんですけど、よくお絵描きもしてました。漫画家になりたいと思っていたぐらいで。風景を描くのは苦手だったんですけど、女の子の絵を描くのは好きでした。

──ご家族からはどんな子だったと聞いていますか?

藤城 赤ちゃんの頃は手がかからなかったらしいです。あとは、明るくて天真爛漫な子供だったとよく聞きます。「お笑い芸人目指せば?」と言われるぐらい、おしゃべりだったそうです。


──昔のお写真もお持ちいただきましたが、ご実家は和室もあったんですね。

藤城 日本が大好きだった父は日本国籍も取得していたので、ミドルネームがないんです。父には、箸の持ち方が悪いと「ちゃんと持てるまで食べちゃダメ!」とよく言われていた記憶がありますね。

──家族旅行の写真もいくつかありますが、思い出に残っている国はありますか?

藤城 父は仕事で海外に行くことが多かったので、幼い頃にいろんな国に行きました。ドイツにも行きましたし、ハワイには1ヶ月くらいいたのを覚えています。

──ご兄弟は?

藤城 兄がいます。今でも仲が良くて、今年の元旦も兄の家に遊びに行って、1歳になる甥っ子と一緒に遊びました。私は幼稚園の頃から体が大きくて、お兄ちゃんのお下がりをよく着させられていました。本当は、セーラームーンの靴とか履きたかったんですけど、サイズがなくて。その反動なのか、可愛い女の子に憧れて、学生時代はブリブリなお洋服を着ていました。

──学生時代は、バンドに夢中だったとか。

藤城 中学1年でポルノグラフィティのコンサートを観に行ってからバンドにハマっていきました。
高校生の頃、「閃光ライオット」というフェスがあって、それの決勝まで行ったシンガーソングライターの人を好きになって。その人のライブを下北沢まで観に行ったのを覚えています。ライブハウスに行くのが初めてだったので、怖くてお母さんに着いて来てもらいました(笑)。その後は、1人でも行くようになったんですけど。

──プリクラを拝見すると派手な印象ですが、ギャルではなかったんですか?

藤城 地元はみんなギャルだったんですが、私はおとなしい方でした。校則が厳しかったので、髪の毛を染めるのが禁止だったり、靴下もルーズソックスが駄目だったり。お化粧もちょっとファンデーションを塗っただけで、生活指導の先生に怒られました。だから夏休み中に染めてました。

──オシャレにも関心が強くなっていったんですか?

藤城 いつも洋服は「人と被りたくない」と思っていて。古着だと人と被らないので、古着にもはまっていきました。それで、原宿にも行くようになって、服飾をやりたいって思ったこともあります。

──例えばスタイリストとかですか?

藤城 高校を卒業後は、服飾の大学に進学してスタイリストを目指していたんです。
でも、実はかなりハードな職業だと、知人から聞いたとたんに「そこまでやりたい仕事なのかな」って考えてしまって、結局諦めました。

──大学生活は充実していましたか?

藤城 実は私、学生時代はすごくネガティブだったんです。大学には好きな音楽を共有できる友達がいなくて「私にしか分からない」っていう風に考えていて、中二病に近いような感じでした。なので、バイト先の古着屋の友達と一緒に過ごすことが多かったです。でもそういう友達にも「なんでそんなにネガティブなの?」って言われることもありました。

──今はネガティブな部分が見受けられないから信じられないです!

藤城 そうですよね……。アイドルになって1年くらい経って、久々に会った友達に「アイドルやってよかったね。前はネガティブすぎて嫌いになりそうだった」って言われたことがあって。自分がネガティブなことによって、人に嫌な思いにさせることがあるんだなっていうことに気がきました。「ブス」って自分のことを言ってたんですけど、もうを止めました。

──今の藤城さんからは想像できない学生時代から、アイドルの道に進むわけですが、BELLRING少女ハート(ベルハー)に所属して、その後、ICE CREAM SUICIDEに加入して、そこから今のCY8ERに所属。

藤城 当時BiSが好きで、オタクとして現場にも通っていたぐらいでした。
でも解散して、もう一回BiSをやりますってなったことがあるんです。それまでは、自分が好きなアイドルが解散してメンバーを募集しますという話を見ても「新メン入るんだ」ぐらいにしか思ってなかったんですけど、当時は「BiSもう一回やるの? 私やりたい!」と思えて。そのぐらいBiSの楽曲が好きだったんです。メンバー募集の時期は、ちょうど就活の時期と被っていたんですけど、ちょうどスタイリストの夢を諦めた直後で、やりたいことも見つからなかったので、今のBiSHの最初のオーディションをとりあえず受けてみたんです。でも落ちちゃいましたけど(笑)。

──それからベルハーへ行くことになったのは、どういう経緯があったんですか?

藤城 BiSHのオーディションに落ちた後、ベルハーに所属していた私の推しメンが辞めることになったので、ラストライブを観に行ったんです。その時「新メンバーの募集」もしていたんですけど「こんな凄いライブは私には出来ないだろうな」と思って応募しないで後悔していたんです。そしたら、ライブの次の日から2次募集が始まって。こんな運命あるのかなと思って、ダメ元で受けました。落ちたら就活しようと思っていたんですけど、見事受かって私のアイドル活動人生がスタートしました。

──ベルハーに受かった時のお気持ちはいかがでしたか?

藤城 こんなに心臓がバクバクすることがあるんだなって思いました。友達と一緒に居た時に合格通知のメールが来たんですけど、その場に居た友達にも言えなくて。
受けてることも数人にしか言ってなかったですし、親にすら言ってませんでした。

──そこからネガティブな性格がポジティブに変わるんですね。

藤城 オーディションに受かったってことは、必要とされたっていうことじゃないですか。それが自信になりました。あとは、ディレクターが厳しい方だったっていうのもあります。ツイッターでネガティブな要素を少しでも含んでいたら、すぐに連絡が来て、ネガティブ発言を修正されていました。「美人なんだから自信を持ってステージに立て」みたいな。フォーメーションの移動の時も下を向いて歩いてたんですけど「前を見ろ!」って。そのディレクターさんとファンの方のおかげで、少しずつポジティブになっていきました。

──CY8ERでもポジティブに活動できていますか?

藤城 CY8ERに入ってからが一番明るくなった気がします。「アンナちゃんにはこうしてほしい」って言われることが無いので、キャラクターを作らず素のままでいられるのと、それでも好きって言ってくれる人がいるから、だいぶ明るくなりました。

──では、そのCY8ERをご紹介してください!

藤城 グループに誘ってもらった、はむちゃん(苺りなはむ)は、元々BiSのメンバーだったので、最初は「苺りなはむさんだ~」みたいな感じでオタク目線で見ていました。
CY8ERの中では、一番アイドルだなと思います。レスポンスとか表情が凄くアイドルなんですよ。私にはできない表情ができるので、尊敬しています。私の友達がライブに来ても「りなはむちゃん一番アイドルだね」って言うくらいザ・アイドル。なのに社長で、行動力の化身って感じです。

──小犬丸ぽちさんはどうですか?

藤城 仲良しで2人で遊ぶことが一番多いメンバーです。この間も2人で韓国に弾丸旅行に行ってきました。あとは、ディズニーに行ったりUSJに行ったり。フットワークが軽くてノリも合うんです。加入当初、ぽちが私を気にかけてご飯に誘ってくれたりしたことがきっかけで仲良くなりました。

──ましろさんについても教えて下さい。

藤城 ましろちゃんも仲良いですね。変顔とか、アイドルとして載せていいのかなって思う写真も「全然いいよ」って言ってくれます。私も変顔に抵抗がないので、よく一緒に撮りますね。ファンの方からは、ましろとアンナのコンビが好きって言われることが多いので、ダンスの振付で絡んだり、先行配信中の『恋愛リアリティー症』という楽曲でも絡んだりしています。

──最後に病夢やみいさん。

藤城 でもやみちゃんは、チェキの時の話し方とか人を惹き付ける力を持っているし、雰囲気も美しさもファッションも好きです。あとは人脈が凄い! 「やみちゃんってなんでこんな知り合いが多いんだろう」って思ってたんですけど、そりゃあみんな好きになるし慕うよなって、2年間一緒にいて思いました。人の話しを引き出すのも上手い!

──ちなみに藤城さんはグループではどんな存在ですか?

藤城 いつもふざけている感じです(笑)。

──ムードメーカーなんですね。

藤城 ムードをメイキングできているかは分からないんですけど、ずっとふざけてます。うちのメンバーは、それを許してくれちゃうんで(笑)。

──藤城さん個人としては、Youtuberやラジオアシスタント、弾き語りなど個々でも様々な活動をされていますね。

藤城 弾き語りで何かできることはないかなと考えた結果、カホンっていう楽器も練習したりもしました。あまり他の人がやってないことをやりたかったっていうのもあります。

──なるほど。アイドルとしてセンターへの意識はありますか?

藤城 アイドルってセンターを気にすると思うんですけど、私は一番じゃないと嫌だとは、あまり思わないんです。一番じゃなくても、CY8ERが大きくなることが一番なので。まずはグループが売れないと自分がどうこうって考えられないですから。

──グループとして、結成当初から横浜アリーナでのワンマンライブを目標に掲げていますが、そこはブレないですか?

藤城 そうですね、ポルノグラフィティさんのライブを観に行ったのが横浜アリーナだったんですけど、大きかったな……。私が加入した時から、新木場 Studio Coast、恵比寿LIQUIDROOMでワンマンをすると公言していて。夢の舞台だと思っていたんですけど、実際そこに立てたので。“立てる”と信じる心が大事ですね!

──さて、横アリへの足がかりにもしたいメジャーデビューアルバム『東京』が発売中です。どんな作品に仕上がっていますか?

藤城 アイドル好きじゃない人にも聴きやすい楽曲が詰まっていると思います。例えば、『東京ラットシティ』はオリンピックで流れて欲しいっていうくらい、疾走感と熱のあるかっこいい曲になっています。

──リード曲『恋愛リアリティー症』は中田ヤスタカさんがプロデュースされているそうですね。

藤城 中田ヤスタカさんに曲を書いてもらえる日が来るなんて……。歌詞も可愛らしいし、この曲でCY8ERを沢山の人に知ってほしいなと思います。メンバーの個性も立っているし、ライブでも一緒に踊ったり盛り上がれる曲です。

──藤城さんが推したい1曲があれば教えてください。

藤城 りなはむちゃんが歌詞を書いている『東京少女』っていう曲がすごく好きです! 私は邦楽ロックがずっと好きだったんですけど、聴いてすぐに情景が浮かぶ歌詞って何回も繰り返し聞きたくなるんですよ。それで言うと『東京少女』は情景が浮かびやすいし、色んな人が共感できて感情移入できる曲だと思います。

──2020年始まってすぐにメジャーアルバムリリース。今年はどんな1年にしていきたいですか?

藤城 色んなイベントに出させてもらったり、TOKYO DOME CITY HALLとかでもワンマンやったり、CY8ERは今までもずっといい年ではあったんですけど、さらにさらに飛躍していきたいです!

▽藤城アンナ
ふじしろ・あんな。6月22日生まれ。世界を騒がすガチマジアイドルをコンセプトに活動する完全セルフプロデュース東京系アイドルユニット「CY8ER」のメンバー。イメージカラーは緑。好きなものは音楽とお酒とお洋服と動物。特に犬が好き。

▽メジャー1stアルバム『東京』
トラックメーカー・Yunomiが手掛ける楽曲『東京ラットシティ』や同じく音楽プロデューサーの中田ヤスタカがプロデュースした『恋愛リアリティー症』などが収録されている。1月22日(水)発売。
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