【写真】初写真集を発売する中西智代梨、珠玉のカット
彼女はHKT48の1期生として、2011年にアイドルデビュー。
「20代最後の水着なんですけど、実際のところ二十歳を過ぎてから水着で撮っていただくのも、これが最初。つまり20代最初で最後の水着がこの写真集になるんですよ!」
なぜそうなったのかは後述するとしよう。
まるで天職のように長くアイドルを続けてきた中西だが、そもそもアイドルになる気持ちはこれっぽっちもなかった、という。
「中学生のときはまだ明確な夢はなかったんですけど、うっすらとエステティシャンとかメイクさんには憧れていましたね。だからHKT48に入っていなかったら、いまごろ(HKT48の)メンバーのヘアメイクをしていたかもしれないです。少なくとも自分が“出役”になるなんて考えてもいなかったです」
それが地元・福岡に新しく48グループの新しいアイドルが誕生する、というニュースが流れ、友人の強い勧めでオーディションを受けたら、見事に合格。
「それでも、まだアイドルのことを甘く考えていました。はいはい、ニコニコしながら踊っていればいいんでしょ?みたいな。でも、活動をスタートした瞬間にアイドルはそんなに甘くないということを思い知らされました。でもそこから、どんどんアイドルの魅力にハマっていった感じで、気がついたら10年以上、活動を続けていましたね。で、周りを見たら、たくさんいた同期が全員、卒業していました(笑)」
アイドルブーム全盛期に立ちあげられたHKT48には1期生からスター性あふれる人材が集結。
ただ、いつまでも順風満帆というわけではなかった。すぐに後輩となる2期生が加入してきたことで、より生存競争は過酷に。そんな状況下で中西の大きな武器となったのは、持ち前のバラエティー力。当時「バラエティー班」と呼ばれたメンバーには、中西のほかに、いまや売れっ子となった村重杏奈がいる。当時、冠番組を抱えていたHKT48にとってもバラエティー力のあるメンバーは貴重な存在だった。
そして、その能力を高く評価されて、AKB48への移籍まで決定。そちらの道で注目されてしまったことで(M-1にもR-1にも出場経験アリ!)、水着グラビアのオファーがなかなかかからなかった、という事情から、いままで写真集が出されることがなかったのだ。
「個人的にはこれが最後の写真集という気持ちで撮影に臨みました。次もある、と考えたら、じゃあ、こういう写真は次の機会でいいかなって考えちゃうじゃないですか? でも、これが最後と思えば、やりたいことをひとつ残さずやっておこうってなる。
アイドルを卒業してから、いろいろな可能性を探るため、さまざまなチャレンジをしてきた中西智代梨。写真集もそんなチャレンジのひとつ。もうすぐ30歳の誕生日を迎える彼女がいままでにない表情を見せ、大胆な露出も。生まれ故郷にして、アイドルの原点でもある福岡にはじまり、たくさんの思い出を残した秋葉原でも撮影。まさに20代最後に魅せる「集大成」の一冊となっている。
常に明日を見据えて前向きに活動をしている中西智代梨だが、アイドルとして、ちょっとだけ心の片隅に引っかかっていることがあった。
「私はAKB48に移籍したんですけど、いつかHKT48に戻ってくるものだと思っていたんですよ。移籍の際に秋元康先生が書いてくださった『今 君を想う』という楽曲の歌詞にも『いつかきっと帰ってくるよ』というフレーズもあったし、いつになるかわからないけど帰ってくるんだろうなって。
ファンの方にも『卒業公演は博多の劇場でやるんだよね?』って、そのときから言われてきて、私も『うーん、きっとそうかなぁ~』って答えました。AKB48に移籍してから素敵な仲間達に会えてそこで卒業出来たことはとても嬉しかったのですが、HKT48の一期生として博多で何も出来なかったことは寂しい気持ちが残りました...。
叶うことがなかったファンとの約束。本当にぼんやりとした約束ではあったけれども、いざアイドルを卒業してしまうと、イベントでファンと交流する機会も減ってしまう。
「あのころ応援してくださっていた博多のファンのみなさん、そしてHKT48に中西智代梨っていたなぁ~って覚えてくださっている方にも、ぜひ集まっていただきたいです!」
HKT48の1期生最後の卒業メンバーとなった中西智代梨がふたたび約束の博多の地へと舞い戻るという運命的すぎるイベント。きっと、そこでは最高の笑顔の交歓がたくさん見られるはず、である。
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