【写真】アイドル活動、芸能活動休止など過酷な下積み時代を語る長澤茉里奈の撮り下ろしカット【7点】
――長澤さんは2013年7月に「放課後プリンセス」に加入されていますが、そもそも何をきかっけに芸能界入りされたんですか?
長澤 高校3年生のときにスカウトしていただいたんです。アイドルにはもともとそこまで興味がなかったものの、芸能界には興味があったので、アイドルからスタートしてステップアップしていけたらいいなと思い、所属を決めました。両親も「今しかできないことだから」と背中を押してくれたので、すぐに活動を始めることができました。
――「ステップアップしていきたい」ということは、芸能界でやりたいことがあったということですか?
長澤 漠然とですが芸能人になりたいとは思っていたんです。当時は『Popteen』を愛読していて、椎名ひかりちゃんに憧れていたので、読モになりたいという思いもありました。
――学業とアイドル活動の両立は大変ではなかったですか?
長澤 大変でした。当時は埼玉に住んでいて、家から駅まで遠かったのもあり、東京まで片道2時間ぐらいかけて通っていました。アイドルはライブで遅くなることもあるので、帰りはいつも終電。でも、学校には行かなきゃいけない。で、土日はまたライブという生活でした。
――高校3年生となると進路を決める時期でもあります。
長澤 「就職でも進学でもなくアイドルをやろう」と思っていました。今でこそ、このお仕事でご飯を食べられていますけど、当時はお金もなく、この道に決めたのは賭けでしたね。
――金銭的にも厳しかったと。
長澤 きつかったです。妹が2人いて実家には部屋がなかったので埼玉で3万円のアパートを借りていました。それでも毎月家賃はギリギリ、電気、ガス、水道は止まり、携帯もよく止まっていました。お給料は平均すると3万円ぐらいで、それより少ない月もあったんです。
事務所が提携しているコンカフェでバイトをさせてもらっていて、来てくださったファンの方が気を遣っていろいろ頼んでくださって。それでなんとか食いつなげていました。文字通り、ファンの方に生かされていました。
――過酷な下積み時代を過ごされたんですね。
長澤 候補生から正規メンバーになろうってときにTwitterの裏垢が発覚しちゃったんです。ただ、プロデューサーさんが「1回だけチャンスをあげる」と言ってくださって復帰ができました。
――その後、2016年に改めてグループを脱退されています。
長澤 ちょうどその頃、アイドルに向いてないかもと思い始めたんです。歌もダンスもあまり伸びなくなって、どこかで限界を感じてしまって。ちょうどその頃に、ミスiD(講談社主催のオーディション・プロジェクト)で一般投票1位をいただいたり、グラビアの仕事も増え始めたので、もっと輝ける場所があるのではと。
――脱退後、一度芸能活動を休止されています。当時は引退も考えられていましたか?
長澤 まったく考えていなかったです。事務所に所属したい気持ちはあったんですが、初心に戻るために、高校1年生からバイトをしていたマクドナルドで働いていたんです。少し知名度が上がっていた時期だったので「サインください!」ってことが結構ありました(笑)。そんなときに椎名ひかりちゃんに今の事務所を紹介していただいたんです。(後編に続く)
▽長澤茉里奈(ながさわ・まりな)
1995年10月8日生まれ、埼玉県出身。
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