5月28日にトンツカタン森本の書籍『ツッコミのお作法 ちょっとだけ話しやすくなる50のやり方』(KADOKAWA)が刊行される。書籍には、“ツッコミガチ勢”を自認する森本のツッコミ哲学から、ツッコミから見るコミュニケーションの方法なども記されている。
【写真】くりぃむしちゅー上田に憧れ芸人へ、自身が考える理想のツッコミについて語るトンツカタン森本の撮り下ろしカット【4点】
――まずは森本さんのお話を聞かせてください。少年時代、学校ではどのようなタイプでしたか?
僕はインターナショナルスクールという特殊な環境で育って、そこでつるんでいたのが日本のお笑いが好きな面々。バラエティ番組を見るという人もそんなにいない中で、とにかく面白いっていいよねという連中でずっとつるんでいました。
――そのグループでの立ち位置はどういったものだったんでしょうか?
誰が中心というわけでもなかったんですが、ひとつ胸張って言えるのは僕が生粋のツッコミでしたね。
――そんな生粋のツッコミである森本さんが憧れたのがくりぃむしちゅーの上田晋也さんでした。
テレビで見るぶんには好きな芸人さんの一人だったんですけど、ピンでやっているラジオ番組を聴いたときにすごいと思いました。もちろんトークが面白いのは大前提で。それが中高生向けのラジオで、電話企画があったんです。今までは、学生の方が緊張して言葉が出なかったりするのを聞くと共感性羞恥というかムズムズしちゃう質で、あまり得意じゃなかったんです。でも、上田さんと絡むと、それごと面白くしてくれて、その学生さんがそういうボケをやっていたみたいな感じにしてしまう。
――芸人になろうと思ったきっかけも上田さんだったのでしょうか?
元々芸人がいいかなと漠然と考えていたんですけど、本気でやりたいなというほどでもなかった。だから、最後の一押しが上田さんでしたね。
――そうして芸人になり、やっていけるという感触はあったのでしょうか?
インターナショナルスクールでツッコミというのも僕くらいしかいなくて、面白いとは言ってもらっていたけど、日本語を主に使う環境ではなかったし、どうなのかなと思っていました。それから大学に進学し、お笑いサークルに入りました。大会の準決勝や決勝に行くようになり、面白いねと言ってもらえるものの圧倒的ではなかったんです。大学の環境では知ってもらえたけど、プロになったときに通用するかは微妙なラインですよね。30歳になってもまだバイトしていたら考えようと、不安はずっとありましたね。
――その不安はどのように払拭されていったんですか?
まず30歳になる前にバイトを辞められたので、まだ続けてもいいかなと。あとは、とにかく周りの先輩が褒めてくださったのが原動力で、続ける理由になっていました。
――ここまでは芸人キャリアとしての話でしたが、こと森本さん個人のツッコミに関して通用している感覚はありましたか?
褒めてもらえることもあったので、行けるのかなと。あと、行けると思ってないとやっていけない業界ではあります。
――森本さんにも当然壁もあったんですね。
この人にはかなわないなとか、こんなに面白いのにこの人は売れてないのかと挫折することもありました。僕らは賞レースで結果を出したわけではないし、実績や肩書がない中で、どうやって世に出ればいいんだろうと。年一のM-1グランプリやキングオブコントだけで考えると、賞レースに依存する芸人生活になるので、精神的にもつらいなと思っていました。
――そんな中、森本さんは気づけばテレビでも見るようになり、真空ジェシカのラジオイベントでも「成立松」としておなじみの存在となりました。どこがターニングポイントとなったのでしょうか?
華々しいブレイクのきっかけはないんですけど、めちゃくちゃさかのぼると、2019年の「ブチ切れデトックス」 というライブですかね。大学時代から知っている人がテレビ朝日の社員さんで、「森本さんのツッコミをいろんな人に観てほしい」と企画書を書いてくれたんです。それが今のYouTubeでもやっている「タイマン森本」のような形式で、ゲストが入れ代わり立ち代わり来て僕をブチ切れさせるというものでした。
――すでにその頃からフォーマットがあったんですね。
ライブの規模としては小さかったんですけど、CSテレ朝で放送されることになり、テレ朝の社内にポスターが貼られたらしいんですよ。
――改めて森本さんのツッコミについての考え方を掘っていければと思います。森本さんが考える理想のツッコミとはどのようなものでしょう?
出演者、番組の時間帯、テーマに準じたツッコミです。間やワードをそれぞれ自分なりに変えられて、誰も不快になることなく最大限の笑いを取る。そんなツッコミが理想ですね。
――たしかに森本さんはツッコミを柔軟に使い分けているイメージがありますし、それによってよりボケが際立つなと感じることもあります。
(ボケが)言わんとしていることをまず把握するというのは意識していますね。情報と補足を入れたほうが面白いだろうなとなったら、ツッコミの雰囲気を保ちつつ、サポート的な側面を意識しています。
――サポートというと、「どんなボケも絶対に切り捨てたり無視したりせずに必ず最後までツッコむこと」という森本さんのモットーにもつながってきますね。これで苦労することはないんでしょうか?
最初から見捨てないぶん、確定でスベるなと思いながらツッコむことがありますね(笑)。苦労とも思っていないんですけどね。ただ、一人ではスベらせないぞと思っているので、切り捨てる人と比べたら必然的にスベる回数は増えると思います。
――逆にこのモットーで動いてよかったと思う瞬間はありますか?
一緒にスベったときにボケの人の「ありがとね」みたいな微笑みですかね(笑)。微笑みとともに二人で散るんですけど、最後に報われたなと思います。
――ツッコミはボケがあってこそだと思いますが、森本さんとしてやりやすい人、やりづらい人などはいるのでしょうか?
ランジャタイの国崎さんはやりやすいですね。地続きでずっとボケているので、自分のタイミングでツッコめる。やりにくい人はいないですけど、緊張するのはギャグの人ですね。
――ギャグというと、ホリケン(堀内健)さんがぱっと思いついてしまいました(笑)。
ホリケンさんに関しては親になった気分でツッコんでいます。子供を叱るかのように「やめなさい」とか、「勝手に口触んない」とかよくしていますね。
▽森本晋太郎(もりもと・しんたろう)
1990年、東京都出身。お笑いトリオ「トンツカタン」のツッコミ担当。プロダクション人力舎のお笑い養成所・スクールJCA21期を経て、現在はテレビやラジオで活躍中。
【後編はこちらから】「ツッコミは懐にしまえるナイフ」トンツカタン森本が語る、“無理しないツッコミ”のススメ
今回は書籍の上梓に先立ち、森本にインタビューを実施。森本のこれまでと、ツッコミについての考え方をうかがった。(前後編の前編)
【写真】くりぃむしちゅー上田に憧れ芸人へ、自身が考える理想のツッコミについて語るトンツカタン森本の撮り下ろしカット【4点】
――まずは森本さんのお話を聞かせてください。少年時代、学校ではどのようなタイプでしたか?
僕はインターナショナルスクールという特殊な環境で育って、そこでつるんでいたのが日本のお笑いが好きな面々。バラエティ番組を見るという人もそんなにいない中で、とにかく面白いっていいよねという連中でずっとつるんでいました。
――そのグループでの立ち位置はどういったものだったんでしょうか?
誰が中心というわけでもなかったんですが、ひとつ胸張って言えるのは僕が生粋のツッコミでしたね。
――そんな生粋のツッコミである森本さんが憧れたのがくりぃむしちゅーの上田晋也さんでした。
テレビで見るぶんには好きな芸人さんの一人だったんですけど、ピンでやっているラジオ番組を聴いたときにすごいと思いました。もちろんトークが面白いのは大前提で。それが中高生向けのラジオで、電話企画があったんです。今までは、学生の方が緊張して言葉が出なかったりするのを聞くと共感性羞恥というかムズムズしちゃう質で、あまり得意じゃなかったんです。でも、上田さんと絡むと、それごと面白くしてくれて、その学生さんがそういうボケをやっていたみたいな感じにしてしまう。
ムズムズがなかったのが衝撃で、この人みたいになりたいって思いましたね。
――芸人になろうと思ったきっかけも上田さんだったのでしょうか?
元々芸人がいいかなと漠然と考えていたんですけど、本気でやりたいなというほどでもなかった。だから、最後の一押しが上田さんでしたね。
――そうして芸人になり、やっていけるという感触はあったのでしょうか?
インターナショナルスクールでツッコミというのも僕くらいしかいなくて、面白いとは言ってもらっていたけど、日本語を主に使う環境ではなかったし、どうなのかなと思っていました。それから大学に進学し、お笑いサークルに入りました。大会の準決勝や決勝に行くようになり、面白いねと言ってもらえるものの圧倒的ではなかったんです。大学の環境では知ってもらえたけど、プロになったときに通用するかは微妙なラインですよね。30歳になってもまだバイトしていたら考えようと、不安はずっとありましたね。
――その不安はどのように払拭されていったんですか?
まず30歳になる前にバイトを辞められたので、まだ続けてもいいかなと。あとは、とにかく周りの先輩が褒めてくださったのが原動力で、続ける理由になっていました。
――ここまでは芸人キャリアとしての話でしたが、こと森本さん個人のツッコミに関して通用している感覚はありましたか?
褒めてもらえることもあったので、行けるのかなと。あと、行けると思ってないとやっていけない業界ではあります。
実際、壁にぶち当たることも多かったですし。養成所卒業したての頃はすぐにテレビ出てやるぞという思いだったけど、徐々に自分の天井が見えるというか、ここくらいまでは行けるのかなという現実的な範囲での自信がついていきました。
――森本さんにも当然壁もあったんですね。
この人にはかなわないなとか、こんなに面白いのにこの人は売れてないのかと挫折することもありました。僕らは賞レースで結果を出したわけではないし、実績や肩書がない中で、どうやって世に出ればいいんだろうと。年一のM-1グランプリやキングオブコントだけで考えると、賞レースに依存する芸人生活になるので、精神的にもつらいなと思っていました。
――そんな中、森本さんは気づけばテレビでも見るようになり、真空ジェシカのラジオイベントでも「成立松」としておなじみの存在となりました。どこがターニングポイントとなったのでしょうか?
華々しいブレイクのきっかけはないんですけど、めちゃくちゃさかのぼると、2019年の「ブチ切れデトックス」 というライブですかね。大学時代から知っている人がテレビ朝日の社員さんで、「森本さんのツッコミをいろんな人に観てほしい」と企画書を書いてくれたんです。それが今のYouTubeでもやっている「タイマン森本」のような形式で、ゲストが入れ代わり立ち代わり来て僕をブチ切れさせるというものでした。
――すでにその頃からフォーマットがあったんですね。
ライブの規模としては小さかったんですけど、CSテレ朝で放送されることになり、テレ朝の社内にポスターが貼られたらしいんですよ。
ゲストはR指定とか三四郎とか売れている人だったんですけど、ポスターを見た社員さんが「メインのこいつ誰なんだ」と思ったらしくて。さらには、このライブのためにCSを契約してくれたファンが多くいて、3位あいみょん、2位トンツカタン森本、1位井上陽水というときがあったそうです。ときを同じくして「バラバラ大作戦」という深夜2時台の企画が始まり、ツッコミと回しができる森本とかいうやついたな、という記憶が社員さんの中に残っていたみたいで。テレ朝の深夜に呼んでもらえることが増え、もうちょっと浅い時間の「ハマスカ放送部」や「激レアさんを連れてきた。」にも出演するようになりました。それが僕の中ではテレビで広がっていくきっかけだったかなと。
――改めて森本さんのツッコミについての考え方を掘っていければと思います。森本さんが考える理想のツッコミとはどのようなものでしょう?
出演者、番組の時間帯、テーマに準じたツッコミです。間やワードをそれぞれ自分なりに変えられて、誰も不快になることなく最大限の笑いを取る。そんなツッコミが理想ですね。
――たしかに森本さんはツッコミを柔軟に使い分けているイメージがありますし、それによってよりボケが際立つなと感じることもあります。
(ボケが)言わんとしていることをまず把握するというのは意識していますね。情報と補足を入れたほうが面白いだろうなとなったら、ツッコミの雰囲気を保ちつつ、サポート的な側面を意識しています。
――サポートというと、「どんなボケも絶対に切り捨てたり無視したりせずに必ず最後までツッコむこと」という森本さんのモットーにもつながってきますね。これで苦労することはないんでしょうか?
最初から見捨てないぶん、確定でスベるなと思いながらツッコむことがありますね(笑)。苦労とも思っていないんですけどね。ただ、一人ではスベらせないぞと思っているので、切り捨てる人と比べたら必然的にスベる回数は増えると思います。
――逆にこのモットーで動いてよかったと思う瞬間はありますか?
一緒にスベったときにボケの人の「ありがとね」みたいな微笑みですかね(笑)。微笑みとともに二人で散るんですけど、最後に報われたなと思います。
――ツッコミはボケがあってこそだと思いますが、森本さんとしてやりやすい人、やりづらい人などはいるのでしょうか?
ランジャタイの国崎さんはやりやすいですね。地続きでずっとボケているので、自分のタイミングでツッコめる。やりにくい人はいないですけど、緊張するのはギャグの人ですね。
――ギャグというと、ホリケン(堀内健)さんがぱっと思いついてしまいました(笑)。
ホリケンさんに関しては親になった気分でツッコんでいます。子供を叱るかのように「やめなさい」とか、「勝手に口触んない」とかよくしていますね。
▽森本晋太郎(もりもと・しんたろう)
1990年、東京都出身。お笑いトリオ「トンツカタン」のツッコミ担当。プロダクション人力舎のお笑い養成所・スクールJCA21期を経て、現在はテレビやラジオで活躍中。
【後編はこちらから】「ツッコミは懐にしまえるナイフ」トンツカタン森本が語る、“無理しないツッコミ”のススメ
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