【写真】パン食い競争に参加したのぶ、ほか『あんぱん』場面カット【5点】
●ハチキン女子をあたたかく見守った朝田家
多くの親は、娘に苦労をさせたくないという思いから、本人の個性を押し込めてでも社会規範に従うよう促す。例えば、のぶの幼なじみ・うさ子(志田彩良)の親は彼女の希望をよそに、娘を結婚させようと必死だった。
のぶが生きた時代、ジェンダーロールが明確に定まっており、ほとんどの男女がこの規範に従って生きていた。朝田家においてもこうした価値観が根付くことはさまざまなシーンから分かるが、 のぶの父・結太郎(加瀬亮)は自由な気風も兼ね揃えている。のぶの男勝りで、ハツラツとした性格を肯定的に受け入れ、娘には自分らしく生きることを望んでいる。
「海の向こうやったら男に負けんばあ活躍しゆう女の人が こじゃんとおる。女子も遠慮せんと 大志を抱きや」
結太郎のこの言葉は、のぶが秘めていた“女子はつまらない”という思いを解き、人生を拓いた。
のぶは幼少期から“女子だから〇〇でなければならない”という価値観に疑問を抱いており、パン食い競争に参加したときのように慣習を打ち破ることもあった。社会規範に従って生きている次女・蘭子(河合優実)や母・羽多子(江口のりこ)はのぶの言動にハラハラしつつも見守っている。二人がのぶに向ける眼差しから察するに、当時の価値観にうっすらと疑問を抱いており、自分の心に真っすぐに生きるのぶに胸の内を託しているのだろう。
●ハチキン女子とかっすいがぁ男子の持ちつ持たれつの関係
のぶは気弱な嵩を幼い頃から気にかけているが、幼少期には自分が嵩を守るとまで言い張った。この言葉のとおり、嵩の弁当を横取りするクラスメイトに力尽くで立ち向かうこともあった。
しかし、のぶは嵩を守るだけではなく、嵩から守られてもいた。人を守るということは敵に対して勇ましく立ち向かうことだけではないと、嵩を見ていると改めて思う。相手のそばに優しく寄り添うことも、守るといえるだろう。
一昔前までは、男が女を勇ましく守り、女は男の少し後ろであたたかく支えるという男女関係が一般的だった。のぶと嵩の関係性は従来の男女観とは逆だ。しかし、実際のところ、ひ弱な男もいれば、雄々しい女もいるわけで、本作では性別に対する固定観念が打ち破られているところに重要な意義があると思う。のぶと嵩の関係性が二人の今後にどう影響するのか期待できる。
●嵩とヤムさんの戦争観に見える希望
本作において戦争の重苦しい空気を感じるようになってきた。朝田家が戦争の恐ろしさを身をもって感じたのは釜次の弟子・豪(細田佳央太)に届いた赤紙だ。豪の徴兵に悲しみつつも、彼がお国のために兵士として戦うことを表面上は喜んでいる。
「勇ましく戦おうなんて思うなよ。逃げて逃げて 逃げ回るんだ。戦争なんていいやつから死んでくんだからな」
逃げ回る兵士は常識的に考えるとありえないが、ヤムさんの言葉に視聴者の多くは頷くだろう。勇ましく戦った結果として、戦死し、国が勝利したところで、遺族が悲しみに暮れることを分かっているから。そもそも、たった一つの命を自分が起こしたわけでもない戦争で失うことが正しいといえるのだろうか。
また、嵩はのぶに高価なバッグを贈った際、贅沢品に使うお金があるなら兵士のために寄付するべきだという考えに同意を求められたが、否定していた。この後、「美しいものを美しいと思ってもいけないなんて そんなのおかしいよ」と思いを伝える。戦時中、贅沢が禁じられ、美しいものに心惹かれることも許されない雰囲気になる。
しかし、全国民がのぶや雪子(瀧内公美)のように戦争にすべてを注ぎ込み、“お国にのため” “勇ましく戦おう”と唱えていれば、さらに多くの犠牲者が出て、国民は暗闇に吞み込まれると思う。
●社会から逸脱した正義が未来を生きる人たちの幸せをつくる
個人に対する人権意識は時代から逸脱した考えをもつ人たちによって高められたといえるのではないだろうか。
女子がパン食い競争に参加できないことに疑問を抱く者、時代にそぐわない価値観をもつ身内を見守る者、戦争に背を向ける者がいたからこそ、個人の尊厳が重んじられる社会、女性と男性が同じ権利を得られる社会になった。
ある時代では非常識だと思われていた考え方であっても、時代が違えば正義になることは少なくない。また、いつの時代においても、愛なのか、優しさなのか、はたまた別のものなのか「逆転しない正義」もある。
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