日本時間9日にボローニャが日本代表DF冨安健洋の獲得を発表した。女子選手を含めると、15人目のセリエAでプレーする選手となる。

そこで今回は、これまでにセリエAでプレーした日本人選手をご紹介する。

【後編】冨安が見習うべき?セリエAでプレーした日本人選手たち

小笠原満男 2006年のワールドカップ後、メッシーナに移籍した。チームは中盤のクオリティーを上げるために小笠原を獲得したという。しかし、メッシーナでの生活はとても難しく、小笠原がイタリア語を話さなかったことは1番の課題だった。 デビュー戦はそれなりのパフォーマンスを披露(ガゼッタの採点で6.5)したものの、その数試合してから出場の機会が一気に減少。最終的に、イタリアでの出場回数は8回にとどまった。 
【後編】冨安が見習うべき?セリエAでプレーした日本人選手たち
大黒将志 大黒は小笠原と同時に2006年ワールドカップ後にセリエAに昇格したトリノに加入。移籍する前にフランスの2部のグルノーブルでプレーしていた大黒は20試合出場して6点を獲得。 そんな大黒もイタリアで2シーズン戦ったものの、いい結果は残せなかった。しかし、大黒の誕生日5月4日が、スペルガの悲劇と同じ日付だったことから、トリノファンから愛された。 スペルガの悲劇とは1949年5月4日、トリノ郊外のスペルガの丘で起きた航空機墜落事故のこと。乗員・乗客31名全員が亡くなり、その乗客の中にトリノの選手18名と監督やスタッフの5名が含まれていた。
【後編】冨安が見習うべき?セリエAでプレーした日本人選手たち
森本貴幸 20歳で東京ヴェルディからカターニアに移籍した森本。アタランタ戦で途中出場し、同点ゴールを決めるなど素晴らしいスタート切った。 森本のベストシーズンは2008-2009シーズン。ワルテル・ゼンガ監督の下、森本は25試合に出場し9ゴール3アシストを記録。ローマ戦やナポリ戦、パレルモ戦などで勝利貢献した。 そんな活躍もあり、海外クラブからたくさんのオファーがあったが、森本は残留を決断。ファンは彼のこと「マレモート」、イタリア語で「津波」と呼んでいた。その後、パフォーマンスが少しずつ落ちていくも、大事な場面で点を決めるのが森本の強みだった。 2012年にはセリエAに昇格したノバーラ・カルチョに移籍。これがイタリアでの最後のシーズンになった。
【後編】冨安が見習うべき?セリエAでプレーした日本人選手たち
長友佑都 2011年にFC東京にからチェゼーナに移籍した長友。リーグレベルが変わっても、攻撃と守備両方でいいプレーを見せつけた。
そのパーフォーマンスから、冬の移籍市場ではインテルに移籍し、インテルでプレーした初めての日本人になった。 2013-2014年シーズンでは5得点を獲得し、最も得点を入れたディフェンダーにもなった。しかし翌シーズン、出場機会が減少。しかし、長友はメンタル面でチームを支え、試合に出場した際にはキャプテンマークを巻く場面もあった。 2017年にトルコのガラタサライに移籍したが、インテルでは210試合に出場した。
【後編】冨安が見習うべき?セリエAでプレーした日本人選手たち
本田圭佑 2014年にCSKAモスクワからミランに移籍した本田。ヨーロッパのトップクラブで10番を背負うという夢を叶えた。 少しずつ自分のポテンシャルを見せた本田は2014年のワールドカップ後、好パフォーマンスを披露。シーズン開幕から10試合で6ゴールを記録し話題になった。 しかし、2015年のアジアカップ終了後、本来のポジションでプレーさせてもらえず、ウィングで起用されるように。それでもアシストでチームに貢献し続けた。 しかし、その翌シーズンから出場機会が激減。
それでも契約の終わりまでミランに残ることを決めた。そしてクラブ退団前には直接FK決め、ミランのUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献した。長峯かおり 1991年のワールドカップの後にレッジアーナに移籍した長峰。レッジアーナはコッパ・イタリアを2回優勝するなど強豪のチームとして知られていたが、1992-93シーズン終了後、クラブの経済的な問題で長峯は日本に帰国。鈴与清水FCに移籍することになった。 森本鶴 森本は1996年のアトランタオリンピック予選で魅せたプレーがイタリアのクラブからの興味を引きラツィオに移籍した。 しかし、ラツィオでいいパーフォマンスを残すことはできず、数ヶ月でイタリアを後にした。 山本絵美 2004年のアテネオリンピックに出場した山本は2013年ナポリに移籍。ナポリへ移籍する前にはアメリカのシカゴ・レッドイレブンとLAパーリ・ブルースでプレーした経歴を持っていた。 ナポリでは18試合で9得点を決め、チームに貢献。しかし、シーズンが終わると日本に戻り横浜FCシーガルズに加入した。 松林美久 日本人GKとして初めてイタリアに渡った松林。
フィオレンティーナのスカウトがわざわざ日本まで足を運び、松林の獲得に動いたという。 松林がフィオレンティーナに加入してからは安定したシーズンを過ごし、個人賞も獲得している。

 

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