7月4日にチェルシーの監督に就任することが発表されたフランク・ランパード氏。補強禁止処分やエデン・アザールの退団など、明るいとは言えないニュースが続いた中で、レジェンドの帰還はサポーターにとって一筋の光となった。
しかし、チェルシーは開幕から苦しい戦いを続けている。開幕節のマンチェスター・ユナイテッド戦には4-0で大敗。リバプールとのUEFAカップを接戦で落とすと、第2節のレスター・シティ戦でも勝ち点を落としてしまった。
今回は、これまでにチェルシーで酸いも甘いも経験した直近3監督たち(暫定監督は除く)の船出をご紹介する。ランパード監督が彼らから学ぶべきものが見えてくるかもしれない。

ジョゼ・モウリーニョ(第1次政権)
ポルトで輝かしい結果を残し、2004年に満を持してチェルシーの監督に就任したモウリーニョ氏。開幕節はランパード監督と同じマンチェスター・ユナイテッド戦。モウリーニョ氏はこの試合に1-0で勝利した。しかし、その内容は支配的とは言えず、からがら手にした勝利と表現すべきものだった。
続くバーミンガム・シティ戦も1-0で勝利したモウリーニョ氏。チェルシーでの船出は決して華々しいものではなく、大成功とは呼べないものだった。しかし、モウリーニョ氏はチェルシーに50年ぶりの勝利をもたらし、リーグカップも制覇。

ジョゼ・モウリーニョ(第二次政権)
第一次政権で大成功を収めたモウリーニョ氏は、インテルでも素晴らしい成功を収めた。マドリードでも成功を収めたが、最終年に無冠に終わったことで契約を解除。2013年にチェルシー監督に再び就任した。
モウリーニョ氏は開幕節のハル・シティ戦を2-0で制すると、続くアストン・ビラ戦も2-1で勝利し開幕2連勝を飾った。しかし、その後は下位クラブへの取りこぼしが目立っていく。ホームで圧倒的な強さを誇っていたモウリーニョチェルシーだが、無敗記録もサンダーランドに敗れたことで潰えた。結果、モウリーニョ氏個人としては2003年以来の無冠でシーズンを終えることになった。

アントニオ・コンテ
2015/2016シーズン限りでチェルシーの監督を解任されたモウリーニョ氏の後任として監督に就任したのがコンテ氏。現在はインテルで指揮を執っている。ユベントスの常勝軍団への礎を築き、イタリア代表も限られた戦力で高みに導いた手腕が評価されての招聘だった。
ディフェンスの整備に定評のあるコンテ氏だが、開幕節のウェストハム・ユナイテッド戦ではそのディフェンス面に脆弱さが見えた。3バックが有名なコンテ氏だが、開幕当初は4-1-4-1の選手配置をメインに戦っていた。
コンテ氏が3バックを採用したのは第7節から。第6節のアーセナル戦に3-0で完敗を喫したことで、伝家の宝刀を抜いた。以降は一度も3バックを解体することなく連戦連勝。クラブ最高記録である13連勝も記録した。こうして、2年ぶりにチェルシーにプレミアリーグのタイトルをもたらしている。

マウリツィオ・サッリ
2年ぶりにタイトルをもたらしたものの、翌シーズン終了後に解任されたコンテ氏。その後任となったのがサッリ氏だ。現在はユベントスで指揮を執っている。
サッリ氏が率いたチェルシーは開幕節でマンチェスター・シティと激突。結果として2-0で完敗を喫した。
しかし、サッリ監督はあまりにも頑固だった。対策を練る相手に対しても、自身の哲学を曲げることはなく、我道を貫いた。エンゴロ・カンテの起用法に関しては、多くの否定的な意見が飛び交った。
ただ、サッリ氏は多くの批判を浴びながらもヨーロッパリーグ(EL)を制覇し、リーグ順位でも翌シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)出場権をクラブにもたらした。最低限以上の仕事は果たしたと言えるだろう。