21世紀に入ってから大活躍し出していたファブリツィオ・ミッコリのことは覚えていますか?ユベントス、フィオレンティーナ、パレルモなどで多くの得点を決めていた元イタリア代表の小柄なストライカーです。
ミッコリは、その小柄な体格とプレースタイルが元ブラジル代表ロマーリオに似ていることから「サレントのロマーリオ」(サレントはイタリア南東部にある半島)と呼ばれていたが、彼が目指していたのはディエゴ・アルマンド・マラドーナです。
セリエAを中心に素晴らしいキャリアを過ごしていたミッコリだが、マフィアとの関わりがなければもっと長い間活躍できたでしょう…。2017年10月、イタリアのマフィアである友人との関わりから恐喝容疑で言い渡された3年6カ月の禁固刑は、今年2020年1月に確定になった。
ミッコリのストーリーを振り返りながら、事件までの流れを一緒に見てみたいと思います。

年齢を偽って試合出場していた幼少期
ミッコリの初めての所属クラブは、プッリャ州レッチェ県にあるサン・ドナートという小さなクラブでした。素晴らしい才能の持ち主であった彼は、6歳の時からクラブの指導者を驚かせていた。当時、クラブは上のチームの試合にミッコリを出場させるために、2歳年上だった子供のIDカードに彼の写真を貼って、つまり年齢を偽ってプレーさせていたという。
12歳の時にはミランのユースにスカウトされ、ロッソネリ(ミランの愛称)で2年を過ごした。ユースの大会で28得点を獲得し、得点王となった。プロになる夢を見ながら、ミランのトップチームの試合ではボールボーイをしていたと言われている。
しかし、2年でホームシックにかかったミッコリは、故郷の南イタリアに戻り、レッチェの近くにあるカラザーノというチームのユースに入った。

セリエAでの活躍:ユベントス時代
2002年の夏、ミッコリの活躍がユベントスの目に留まって移籍が実現し、経験を積むためにペルージャにレンタル移籍をさせられた。そのシーズンにペルージャでセリエAデビューを果たし、リーグ戦で9得点を挙げた。また、コッパ・イタリア(日本における天皇杯に相当するカップ戦)では5得点を決めて得点王になった。ちなみに当時のペルージャの監督はセルセ・コズミであり、彼は2020年1月4日に16年ぶりに再びペルージャの監督に復帰している。
レンタル期間終了後、2003/2004シーズンにユーベに戻ったミッコリは、ユーベのレギュラーであったアレッサンドロ・デル・ピエロとダヴィド・トレゼゲの控え選手として使われていた。それでも9得点を挙げ、そのうちの1得点はオリンピアコスを相手にした初めてのチャンピオンズリーグ(CL)でのゴールとなった。
しかし、同シーズン後2つの理由でミッコリはユーベから離れることになった。1つは当時ゼネラルマネージャーだったルチアーノ・モッジ氏との関係が悪かったためです。もう1つの理由は、ユーベが当時まだ才能のあふれる若手にすぎなかったズラタン・イブラヒモビッチを獲得したためです。

最も輝いたパレルモ時代
ユーベではスタメン機会をもう得られないと思ったミッコリは、元日本代表の中田英寿と同じタイミングでセリエBから昇格したばかりのフィオレンティーナに移籍し、2004/05シーズンには35試合中で12得点を記録した。
その後の2シーズンはミッコリにとって初の海外経験となる。2005/06シーズンからはポルトガルのベンフィカにレンタル移籍し、2005/06のCLではマンチェスター・ユナイテッドやリバプールを敗るジャイアントキリング(番狂わせ)に貢献した。
海外から戻ったミッコリはパレルモに完全移籍し、ここで7シーズンを過ごした。個人的にはミッコリが一番輝いた時期がパレルモ時代だと思います。印象に強く残っているのは彼のハットトリック。ミッコリはいまだにパレルモ史上最も多くハットトリックを達成した選手です。
セリエAのサポーターはその後も活躍を期待しただろうが、ミッコリがパレルモで最後の年となった2013年、彼が秘密にしていたマフィアとの関係が発覚した。

マフィアとの関係がキャリアを台無しに…
事件を説明する前に、ジョヴァンニ・ファルコーネ氏という人物を紹介する必要があります。ファルコーネ氏はマフィア撲滅運動に命を捧げたイタリアの裁判官です。彼は盟友の治安判事パオロ・ボルセリーノ氏と相前後して共にマフィアの手で暗殺されている。
2013年、ある事件の調査をしていたイタリア警察が、ミッコリとマフィア一族のボスの息子との会話を電話で盗聴した。その会話の中でミッコリが「Fango(クソッたれ)」という言葉を使い、ファルコーネ氏のことを侮辱したことが明らかになったのだ。これが公になると「パレルモの英雄」と囃し立てられていたスター選手の価値は一気に崩れた。もちろんパレルモとの契約更新の話もなくなり、セリエAで彼を求めるチームがいなくなった。
ミッコリはなんとか地元のセリエC(イタリア3部リーグ)のレッチェに移籍ができたが、それはサッカー選手として最後のイタリアでの1年となった。その後は、マルタ島のあまり知られていないサッカーチーム(ビルキルカラ)に移籍し、2015年に引退した。
しかし、マフィアに絡んだ事件の話はここからだ。
ミッコリは引退後、2017年10月に恐喝の容疑で裁判所から3年6カ月の禁固刑を言い渡された。マフィアのメンバーである友人にディスコ運営資金の回収を指示したが、その友人が暴力的な手法で資金を回収したという。
愛されていた選手の裏にイタリアが無くそうとしているマフィアとの関係が隠れていたことは、誰にも想像がつかなかっただろう…。マフィアを完全に無くすためのイタリア政府の努力は続いていますが、まだまだ時間がかかりそうな話です。